誰かが歩いた小道を辿(たど)るのではなく、未開の原野に自らの足跡(あしあと)を残せ。
<宴泣t・ウォルドー・エマソン (May 25, 1803、pril 27, 1882)

エマソンやソローの“transcendentalism”(トランセンデンタリズム)がどうして「超絶主義」なんて硬い日本語になったのか知らない。たぶん、カントの“transzendentalism”「先験主義」とは区別する意味で、目賀田種太郎か佐藤重記が苦労して訳出したのだろうと思う。なんにしてもいかにも馴染み難い言葉だ。
私は「超自然主義」あたりの方がまだ分かりやすいと思うのだが、これだと奇跡・呪術など神秘的な匂いが強くなりすぎるのだろうか。「精神には物質の形態をとって、自己を表現すべき必然性が内在している」(生駒幸運、編著の『エマソン・その自然と人生』)というエマソンの一文は分かりやすい。
更に生駒先生の「・・・現代は思索や反省の隙が無いために、およそ余裕の無い精神生活の低調な時代だからである。こうした低調な精神生活が、やがて我々人間の誇りを、人間の特権を奪ってしまうことになりはしないだろうか?・・・」(上出P3)という警句はもっと分かりやすい。
Do not go where the path may lead, go instead where there is no path and leave a trail.
-Ralph Waldo Emerson
<宴泣t・ウォルドー・エマソン (May 25, 1803、pril 27, 1882)

エマソンやソローの“transcendentalism”(トランセンデンタリズム)がどうして「超絶主義」なんて硬い日本語になったのか知らない。たぶん、カントの“transzendentalism”「先験主義」とは区別する意味で、目賀田種太郎か佐藤重記が苦労して訳出したのだろうと思う。なんにしてもいかにも馴染み難い言葉だ。
私は「超自然主義」あたりの方がまだ分かりやすいと思うのだが、これだと奇跡・呪術など神秘的な匂いが強くなりすぎるのだろうか。「精神には物質の形態をとって、自己を表現すべき必然性が内在している」(生駒幸運、編著の『エマソン・その自然と人生』)というエマソンの一文は分かりやすい。
更に生駒先生の「・・・現代は思索や反省の隙が無いために、およそ余裕の無い精神生活の低調な時代だからである。こうした低調な精神生活が、やがて我々人間の誇りを、人間の特権を奪ってしまうことになりはしないだろうか?・・・」(上出P3)という警句はもっと分かりやすい。
Do not go where the path may lead, go instead where there is no path and leave a trail.
-Ralph Waldo Emerson