庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

直感

2012-08-06 23:53:00 | 日々雑観

今回も今朝の唐突な思いつきで吉野川へやって来た。私は自分のことを相当に理屈っぽい人間の一類だと思うことが多いが、実際の行動はほとんど、その場その時の「感性」に拠っている。

人間の行動は、ある程度の予測や計画に従うのが通常だし、私もたいがいはこの通常に従って生きている。ところが時々、突然不意に或る種の衝動が心の中に湧き出して、それが指し示す方向に私を突き動かすことがある。どういう経緯でこうなったのかはまだよく分からない。  

ただ少し思い当たるのは、「風」という目に見えず、簡単にはこちらの都合や論理に従ってはくれない相手との長い間の付き合いが、大きく影響しているのではないか・・・ということだ。  

最新コンピューターの計算能力をもってしても、一葉が風に吹かれて落下する地上位置を正確に予測することはできないという。論理や計算に関して、愚鈍な私がコンピューターに勝ることなど一つもあるはずがない。  

ところが、それが正確であろうと無かろうと、現実に風の世界に身を置いて、海を走り空を飛ぶためには、可能な限りの気象データを集め、身体に備わったあらゆる感覚器官を使いながら、必要な時点で、行動を開始するための判断を下さなければならない。  

その判断は、時に生死を左右することもある。それに内包されながら自分一人で向き合う自然世界では、人間社会では通用するかもしれない、どんな種類の虚飾もウソも誤魔化《ごまか》しも小賢《こざか》しさも通用しない。正直に自分の全てを曝け出すしかない・・・という現実が突きつけられる。そういう時、この生命の極めて深い部分が働き始めるのを感じることがある。

この感覚は説明するのが難しい。それをあえて言葉にすれば「澄み切った直観力」とでも言うべきもので、たぶん、西丸震也はこれに似たものを「原始感覚」と名づけたのだろうし、ここで宮本武蔵を引き合いに出すのは気が引けるが、『五輪の書』の空の巻に出てくる「心の直道」などは、その先にある「何ものか」なのかもしれない。  

ともかく、ほとんど何の合理的な裏づけも無く去来する、この私的《わたしてき》「直感」に従うことで、少なくとも自然世界では、対応困難な危険に陥ったり、不愉快な思いをしたことが一度もないだけでなく、大概は何らかの新しい発見があり、楽しい出会いがある。私にとっての不思議現象の一つである。

 


先入観と事実

2012-08-04 23:39:00 | 海と風

今日の暑さは格別だった。たぶん沖縄沖の台風が東から張り出す太平洋高気圧の熱気を巻き込んでいるのだろう。堀江は9時を過ぎた頃から北東順風が入り始め、10時前の時点で事務所の温度は私の頭の限界温度に迫っていた。これはもう、午前中だろうがなんだろうが出かけるしかない。

空は完璧な夏色。北東風6~8mに10m近いブローが混じる。15㎡でも19㎡でも走れる風だ。ゆったり跳べる19を選んだ。インフレカイトの皆さんには、なかなか分かってもらえないのだが、私が使っているラムエアカイトは、とんでもなくオーバーに強いのである・・・というよりも、オーバー気味の方が楽に乗れるのである。

その理由は幾つかあり、私の観察を一つ二つ述べると、まず、滑空性能の違い。カイトを滑空翼としてみた場合、ダブル・サーフェイスでアスペクト比が高いラムエア翼は、滑空性能そのものが優れる上に、ピッチ角(正確にはAoA:迎角)を比較的に(インフレと比べて)大きく下げても翼表面の気流が乱れにくい。

水上走行中は、カイトを水面近くまで落とし、板を立てて、水中側面抵抗を有効に利用してもしなくても、なにがしかの揚力によって、なにがしかの重量が失われるので、速度を決定する一大要因である翼面加重が減少する。これが高じて、ボードを抑える縦の力が減衰し、カイトコントロールも含めた水上走行やまともなジャンプなどが困難になった状態を、いわゆるオーバーと呼ぶのだが、ピッチ角(AoA)を大きく下げてもカイトの挙動自体が不安定にならない限り、その許容範囲は広くなる。

次に、滑空速度の問題・・・これはインフレでも似たようなことが言えるのだが、例えば私の体重70kgでの19㎡のカイト翼の滑空速度は、ピッチトリムを全く使わなくても、恐らく時速50km辺りだろう。これを秒速に換算すると14mの速さになる。つまり、少なくてもジャンプの最中、カイトを中天に位置し、バーを引き込んでAoAを上げない限り、10mやそこらの風では、風下側に飛ばされることはない。逆に風上側へのオーバーシュートを抑えるの注意する必要がある。 

その点、インフレ翼の多くは自重の大きさと共に角速度の変化がラムエアより大きいのが普通だ。これがインフレ翼の長所でもあるのだが、オーバー・コンディションでは短所として働く。運動エネルギーは「質量×速度の二乗」で決まり、その運動エネルギーの変化がラムエア翼よりも容易に起こるのだから。

私がこれまで使ったカイトで比較すると、カブリナ・クロスボーの13㎡のインフレ翼で気持ちの良い風域が、だいたい現在使っているラムエア翼の19㎡の適応風域と一致する。私の先入観は、ラムエアはインフレよりもアンダーに強い・・・というものだったのだが、事実は全くの逆であった。やはり、本当のことは、実際に、可能な限り自分で検証してみないと分かること少ない・・・ということだろう。



読書術 4

2012-08-01 12:25:00 | 追憶

或る一つの強烈な体験は、それ以前に経験した数々の出来事の印象を薄めるのかもしれない。小学校時代の六年間に私が読んだ本は、教科書類や課題図書など他にも多くあったに違いないのだが、その内容のほとんどを今は思い出すことができないのは、単に時間の問題だけではないような気がする。

私の興味の対象が、圧涛Iに「野外での遊び」にあり、小学校で配布される本類の中にも、小学校そのものにさえ、存在することが少なかったということもあるだろう。

しかし、小学校という特殊な閉鎖社会に全く魅力を感じていなかったわけではない。戦前から存在する木造平屋の横に長い校舎は、極めて汚い便所も含めて随所に、そこで多くの時間を過ごした子供たちや先生方が残していった痕跡が刻まれていたし、何よりも、当時の私にとっては、可愛いらしいことこの上ないKという同級生の女の子がいた。

彼女とは幼稚園から中学一年まで組が変わることがなかった。(小学校は松・窒フ二クラス、中学校は1??4までの四クラス) 私が級長のときは。たいがい彼女が副級長で、勉強の上ではライバル的存在でもあったのだが、想えば、あの年齢で八年間も、たった一人の女の子が好きだったわけで、これは生命的時間論からすると、成人なら何十年もの永きに渡る片想いということになるだろう。さらに彼女とは同じ高校に進学したので、相当に深い縁があったと言わざるを得ず、高校時代には幾らか胸のときめく後日談があるのだが、ここでは触れない。

さらに、三年生から六年生まで通して四年間も担任だった矢野友弘先生の人格は、昭和二十年の敗戦を境に百八十度変わった国家の教育方針などとは、おそらく全く無関係に、私たちを大きく包んでいた。彼は便所の傍らに、彼しか使わない陶器用の釜を持ち、常にズボンの横からタオルを垂らし、なんであれだけ出るのかと子供心に不思議なくらいの鼻水を拭うことを習慣にしていた。

その口癖は、授業中に何かを言い違えたとき「もとい・・・」を連発して訂正することと、生徒たちの悪戯《わるさ》が時々発覚し、中の一人が別の生徒も同じことをしているではないか・・・というような弁解を始めると、「自分のことを棚に上げて人のことを言うな!」と鼻の頭を赤くしながら真剣に叱責することだった。

だが、私たちの誰もそれによって萎縮することも反省することもなく、数限りない悪戯を繰り返したのだった。彼の全身から溢れ出る巨木のような優しさは、どんな種類の彼の怒りにも勝っていたのである。私たちは親愛の情を込めて、ずっと彼を「友やん」と呼んだ。

小学校を卒業して十年以上も後、何かの祝いに頂いた大きな鯛の油絵は、今でも我が家のリビングの壁、中央上部で食卓を見守っている。

一人息子の教育に関しては、父も母もたぶん普通以上に熱心なタイプで、嫌がる私を一山向こうの村の習字塾と英語塾に通わせた。五年生の頃には、旧家の一室を開放してソロバン教師を招いたので、否応なく我が家がそろばん塾になり、村の子供たちの多くが、週に一回パチパチとソロバン少年・少女になった。

しかし、習字塾も英語塾も数ヶ月も続かなかったと思う。かろうじで、ソロバンだけは自宅塾から逃げるわけにもいかず、大いに落ち着きに欠ける少年の集中力の養成にはある程度の用になったかもしれない。まだ二十代後半のソロバン教師は、穏やかな微笑みを絶やさない、大声で怒ること一度もない、実に気持ちの良い青年だった。春休みの或る日だったか、彼は私を含む子供たち数人を鈍川渓谷への一日旅行へ連れて行ったりもした。

何を成すにも言えることだろうが、教育にもタイミングというものがある。本人がまったくやる気のない時期に、強制的に何かをやらせようとすると、どこかに無理が出る。従順な子供は一時それなりに成果を上げる。そうでない子供は表面的には従順を装うが、どんな服従も長く続くことはあり得ない。いずれにしても、やがて無理が高じて反抗に変わり、周囲が望むところと反対の結果が出ることがほとんどだ。

本人の先天的な才能を前提としても、有名スメ[ツ選手の例では、卓球少女の愛ちゃんやスケート少女の真央ちゃんなどは例外中の例外で、おそらく彼女の母親やコーチには、相当に合理的な計画と、並ではない忍耐と、極めて緻密な配慮があったのだろう・・・と私は推察する。

(5につづく)