久しぶりになるんだなぁ・・・実はほぼ完成。 本体部分は小さな丸以外はね。
しかも、でん・・・辞めとこうそろそろこれね。 じゃあシドね。
シドさんから、遊んで良いよって言われて、そこはちょいと保留・・・笑わせたいから
全体には、それほど色合いは抑えてあるんだけれど、派手に見えるのは、すべてが
パ-ルや、金、銀、ラスタ-と光り物が多いからなんだけれど。
後は、連休明けのAKI次第なのね。
そしてこれが人魚。 何度か剥がした。
納得いかなかったのと、次の作品への警告をうながすには、自分自身へいいのかもとね。
結局、張ればいいみたいになってしまうのね。 立体でこんな小さな物でしかも、
丸くなっている所なんかの角度がきついと、とても張りづらい。
妥協すればとっくに終る・・・けれど、やはり作り手の意地みたいなのは多分にある。
しかもここで偶然結果良しとしても、偶然では、何度も無い。
どうしてこうなるか? なぜこうなったか? 必ずものには理由がある。
腕だけの事なら、そんなもんは練習で解決すりゃいい。
しかし、精神的なものだとしたら、こりゃまずい。
物作りって言うのは、孤独を解消するには集中出来ると、こんな便利なものはない。
けれど、ひとたび上手く作りたいだの、早くだの、慌てているつもりは無くても
次の作品へ気持ちなんぞ移ってはいないか?など、色々な気持ちの変動がある。
そして、自分自身が気がついていないって場合こりゃ厄介だ。
自覚が無い。 これは最悪だ。
意識が無いから、どうしてこんなになってしまうのか? 判らない・・・・
作っていてはりが無いとか、ため息ついてしまうとか、進み方が悪いとか、
楽しめないなんてのは、どうかなとも思う。
勿論こだわっているくせに、楽しめるなんてのは、そうとうの腕前だろうけれどね。
正直、さくらもかぐやもそれじゃないのかな?って思っている。
さくらの場合はプレッシャ-、かぐやの場合は、立体って事でハ-ドルを低くして
難しい事はしないで、何とか可愛く張り終える。 それを練習として、やり方を知る。
はずだった・・・・それが切る事は上手くなっていたから、張り方が問題だったのが、
それも慣れて来て結局練習だったものが作品化してきている。
けれどプロセスの段階で、本来なら、あれ?私っていけてる・・・?他人が、わぁ素敵
なんて声掛けてくれたのに、 その第一歩の自分が納得出来ない。
根拠はテ-ブルの時は、ブログに載せるって言った時に、恥ずかしそうだったものが
今回はとても嫌そうだった。 勿論載せるってそれでも言ったけれどね。
みんなはどう見えるのだろうか? 是非聞いてみたいね。
そして今後のこれからの2人の指導の仕方も考えた。
さくらには、自分で考えて切るって言う事を少しずつやってもらう。
かぐやは、やりたい事をやる前に、伝えて貰い、やりたいようにやる。
悩んだら、やる前に確認してもらう。 これだけ・・・・
抜け出せるはずなんだけれど・・・・・後は自分の確認。
しかも、でん・・・辞めとこうそろそろこれね。 じゃあシドね。
シドさんから、遊んで良いよって言われて、そこはちょいと保留・・・笑わせたいから
全体には、それほど色合いは抑えてあるんだけれど、派手に見えるのは、すべてが
パ-ルや、金、銀、ラスタ-と光り物が多いからなんだけれど。
後は、連休明けのAKI次第なのね。
そしてこれが人魚。 何度か剥がした。
納得いかなかったのと、次の作品への警告をうながすには、自分自身へいいのかもとね。
結局、張ればいいみたいになってしまうのね。 立体でこんな小さな物でしかも、
丸くなっている所なんかの角度がきついと、とても張りづらい。
妥協すればとっくに終る・・・けれど、やはり作り手の意地みたいなのは多分にある。
しかもここで偶然結果良しとしても、偶然では、何度も無い。
どうしてこうなるか? なぜこうなったか? 必ずものには理由がある。
腕だけの事なら、そんなもんは練習で解決すりゃいい。
しかし、精神的なものだとしたら、こりゃまずい。
物作りって言うのは、孤独を解消するには集中出来ると、こんな便利なものはない。
けれど、ひとたび上手く作りたいだの、早くだの、慌てているつもりは無くても
次の作品へ気持ちなんぞ移ってはいないか?など、色々な気持ちの変動がある。
そして、自分自身が気がついていないって場合こりゃ厄介だ。
自覚が無い。 これは最悪だ。
意識が無いから、どうしてこんなになってしまうのか? 判らない・・・・
作っていてはりが無いとか、ため息ついてしまうとか、進み方が悪いとか、
楽しめないなんてのは、どうかなとも思う。
勿論こだわっているくせに、楽しめるなんてのは、そうとうの腕前だろうけれどね。
正直、さくらもかぐやもそれじゃないのかな?って思っている。
さくらの場合はプレッシャ-、かぐやの場合は、立体って事でハ-ドルを低くして
難しい事はしないで、何とか可愛く張り終える。 それを練習として、やり方を知る。
はずだった・・・・それが切る事は上手くなっていたから、張り方が問題だったのが、
それも慣れて来て結局練習だったものが作品化してきている。
けれどプロセスの段階で、本来なら、あれ?私っていけてる・・・?他人が、わぁ素敵
なんて声掛けてくれたのに、 その第一歩の自分が納得出来ない。
根拠はテ-ブルの時は、ブログに載せるって言った時に、恥ずかしそうだったものが
今回はとても嫌そうだった。 勿論載せるってそれでも言ったけれどね。
みんなはどう見えるのだろうか? 是非聞いてみたいね。
そして今後のこれからの2人の指導の仕方も考えた。
さくらには、自分で考えて切るって言う事を少しずつやってもらう。
かぐやは、やりたい事をやる前に、伝えて貰い、やりたいようにやる。
悩んだら、やる前に確認してもらう。 これだけ・・・・
抜け出せるはずなんだけれど・・・・・後は自分の確認。