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「魂の退社」 稲垣恵えみ子

2021-02-28 | 読書

以前、ときたまテレビでも見ていた朝日新聞論説委員の著者が50歳を期に退社するに至った顛末。

勉強していい学校へ入り、大企業に就職して仕事に頑張る。その仕事の中で、この生き方、なんか違うと思う小さな違和感が次第に大きくなり、高松総局へ転勤になったころから一度、この人生を下りたいと思うようになる。

きっかけは高松での暮らし。香川県の人はうどん食べて無駄遣いせず、世帯当たり貯蓄高は2008年の統計で全国一。都会のように遊ぶところもないので山歩きするうち、歩き遍路の老人と出会う。讃岐は88所の最後の国、札所の寺院は涅槃の道場と呼ばれている。苦労して歩いて来て最後に澄み切った笑顔になる。物を持つのが幸せではなく、捨てていくのが幸せでいないかと、啓示を受ける。

それから何年もかけて決心を固め、50歳を期に退職する。潔ぎいいなあと思った。高給取りから無職になるのである。人生のリセット。

その後はどこへも属さず、ものも必要最小限しか持たない暮らしを実践し、その立場からいろいろと発信している。著作もいくつか。

アマゾンのレビューでは、一生困らないだけのお金がたまったので無職でも安心、好きな暮らしができる・・・と批判的な意見もあったけど、その立場であえて退職するのが面白いと思った。

その後の暮らし方の本も読んでみたいものです。

大新聞の社員って、恵まれているんだなあとこの本でしたのは新たな発見。服買いまくり。パソコンも携帯も会社が与えてくれて設定もしてくれる。退職するまでしたことなかったそうで。

この私、誰もしてくれないのでネットでテキトーにパソコン買って自分で設定。昔よりは簡単になったけど、年とともに億劫になる。いいなあ、大企業。

それと笑えたのは香川県ではうどん一杯が基軸通貨。ランチで千円出すならうどんが何杯食べられると計算する。と著者はいう。確かに。私にもそういうところがあるかも。

香川県の人はしっかりお金貯めているけれど、家と車はよその土地より贅沢しているかも。家は土地が都会に比べて安いので、その分お金かけられるし、電車バスはそう走ってないので、高校卒業したらほぼ全員車に乗るのでは。一家に一台ではなく、一人に車一台。私の実家の周りではそうです。だから物を持たないというのでもないのですが。冠婚葬祭は昔は派手で、法事もきちんと盛大にしていたけれど、今はそれほどではない。

でもやはり私が感じていたように、余裕があるのは確かですね。あくせくしない暮らし方に、著者は感化されたのでしょう。

この中では電気代かけないために夜も電気つけない。遠くの明かりで目が慣れるとか冷蔵庫持たないとか。面白かった。お金がなくてできないのと、お金があっても節約するのは大違いだけど、みんながこの暮らし方していたら原発も要らないのでは。一つの問題提起。

余り批判せずに、なるほど、簡単に暮らそうと私は教えてもらいました。

うどん食べて、山を歩いて、お金は残して、そこで満足できる。そういう境地に早くなりたいものです。


耳は左側だけ、一時間に一度くらいずずずずーと小さな音がする。初めは金曜日だったかな。土曜日日曜日と少しずつ良くなったけど、明日午後から耳鼻科受診の予定。心理的ストレスと不規則な睡眠も原因かな。

メンタルは強いつもりだったけど、年取るといろいろなことがあるようで。

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「しょぼい生活革命」内田樹 えらいてんちょう

2021-02-10 | 読書

面白い本でした。305ぺージあるけど、割とすんなり読めました。

えらいてんちょうはHNで、本名は矢内東紀、ネット上では有名な人のようです。全然知りませんでした。

両親は東大全共闘の生き残り、(節を曲げず社会に妥協せずに生きるという意味)沖縄で集団で農業したり、東京に戻って商売したりしながら緩やかな家族として今も集団が続いている。

小さいころは誰がお母さんか知らないと言う暮らし方をしたそうで、その話に私はとても興味を持った。

二、三年前から、いろいろ著作があったらしいのに全然知らなかった。

その人となりは詳しくはこちらへ。

起業のヒントは「寅さん」にあった えらいてんちょうさん「しょぼい起業で生きていく」|好書好日 (asahi.com)

発想がものすごく柔軟。勉強していい会社に入って勤勉に働いて・・・ということをしなくても、自分の知恵、才覚、人とのつながりで自分の好きなことをして結婚もして妻子に食べさせつつ、またまた新しいことをしていく。

ものすごくしなやかな人。

内田樹氏はこれまた既成の常識をひっくり返して、来るべきこの国と世界へ提言いろいろする人で、年は40歳も離れているけれど、お二人のユニークな考えがスパークして、私の目からは鱗落ちまくりの、凝り固まったものの見方が激しくゆすぶられて楽になるという楽しい読書体験でした。

前後の脈絡なく、印象に残ったフレーズ、いろいろ挙げてみます。

内田「日本のためになんて言っている連中は具体的には誰を支援する気もないんです。・・・彼らがナショナリストなのは、国家を忠誠の対象にしておくと、何の具体的な責務も発生しないからなんです」103P

内田 「家長が責任を果たすより、権限をふるって威圧的に臨むことを優先させると家父長制は崩壊する・・・適切な礼儀正しさが(必要)」

・・・・・

ここまで書いて来て面倒になったのであとは省略。

日本は中国に追い抜かれ、韓国ももう政治経済で日本を抜きつある。と内田氏。この本は新型コロナが流行る前、昨年一月に発刊、対談はもっと前だけど、この間の日本政府の対応を見ると、中国、韓国、国の体制は違うけど、きちんとしているのかなあと、私などは思ってしまう。

最後に日本とアジアのあるべき未来として、日本は中国、アメリカの二つの大国の間にあって、アメリカ一辺倒ではなく、他の東アジアの国々と連帯して、この地域のバランスを考えるべきとの考えに深く共感した。


東大の安田講堂が封鎖解除になったのは1969年の1月半ば、成人の日前後だったと記憶している。

あれから50年以上、久しぶりに東大全共闘と言う言葉を聞き、ギヨッとしたけれど、既成の価値を軽やかにひっくり返し乗り越えていく今の時代の1人の若者に、あの精神は受け継がれているのかなと思った次第。

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なぜ「活動家」と名乗るのか: 岩盤を穿つ 湯浅誠

2021-02-09 | 読書

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著者の名前を初めて知ったのは、リーマンショック後の不況で派遣切りに遭った人たちが、年末行き場をなくし、その救済策として、食料や寝る場所を提供する運動で。

確か2007年前後だったと思う。

年越し村と言う名前だったと記憶しているけれど、その運動の中心だった1人。

東大の院を中退した後は、山谷で便利屋を始めたり、貧困者の支援運動にずっとかかわってきた人。

年越し村の後、岩波新書で「半貧困」を著し、それは大佛次郎論壇賞に輝いて、その後民主党政権で内閣参与になり、政権の内側から政策に対して提言することもされていたと思う。

私はこのころ、広島であった著者の講演会に行ったことがある。大変にわかりやすく、かつ説得力のあるお話だった。

貧困と言うのなかなか目に見えてこないけれど、今日の食べ物にも困る、寝るところもない人は層として確かに存在している。自分とは関係ないと無関心、放置していれば、やがて普通の暮らしをしている人の労働力も買いたたかれ、貧困へと向かう。

人との縁が薄い人が、一度社会から滑り落ち始めると、元へ戻るのは容易ではない。それを自分の問題として、社会全体で考え、支えなければならない・・・というお話だったかと思う。

この本は当時、新聞や雑誌などに寄せた短文を集めたもので、内容的には「半貧困」と重なる部分もあるけれど、生活保護の申請の場面での自治体との攻防、行き場のない非正規労働者の困窮など、現場で支援してきた著者の話は具体的。

本当に困った人は助けを求める気力さえなくしているんだなと、思った。当時、生活保護が認められず、おにぎり食べたいと遺書残して餓死した人の話が話題になったこともある。

野宿生活者を集めてアパートに住まわせ、生活保護を申請させ、殆どを取り上げる貧困ビジネスのからくりもこの本には詳しい。

翻って10年以上経った現代の話である。貧困はなくならず、むしろ拡大しているはず。飲食業、物販、製造業の非正規労働者など、一番支援の必要な人に支援が届いていないのではないか。と思う。

オリンピックなんて本当にどうでもいい。Go Toも、私は旅行行きまくったので、えらそげに言えないけど、本当に支援の必要なのは旅行に行けない人。一番底辺にいる人になぜ支援が届かないのだろうかと思う。

誰か政治家の方、本気でやってください。

とりあえず、私はこども食堂にまた寄附したいと思っています。

 

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「戦場体験者」沈黙の記録 保坂正康

2021-01-25 | 読書

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親本は2015年、文庫本が2018年刊行。

著者はテレビ番組「報道1930」に出演する歴史学者。そのコメントが無駄のない言葉で正鵠を射ることが多いので、どんな人かなととりあえず本書を読む。

戦場で実際に戦った人の体験談を集めていて、迫力があった。著者は40年間にわたり、4千人から話を聞いたそうで、公にされた戦史から漏れた、戦争の悲惨さ、非人間性を具体的に知ることができた。

戦争とはだれが決めるのか知らないけど、状況を知らない軍や政治の中枢部の人が思い込みで始めるのかなあと、そのあまりに非科学的な態度から思った。

吉田裕氏の著書「餓死した英霊たち」の中では、日本軍がいかに補給をいい加減に考えていたかがよく分かって怒りを禁じえなかったのだけど、この本では中国戦線でも兵站は全然機能してなくて、現地調達という名の略奪。

徴用工は全然集まらないので、民家に押し入って家族で食事している若い父親をさらってきて日本の炭坑で働かせた事例、中国の戦地で民家を焼き払い、子供を殺す、インドネシアでは村の主な指導者をスパイの容疑を着せて虐殺する・・・とか、一つ一つの事例を保坂氏は丁寧に聞き出している。

私たちは、特に広島では原爆の被害を言うのは受け入れられやすいけど、戦争の時、中国大陸や東南アジア、太平洋の島々で日本軍がどんなことをしたか、記録して後世に残す動きがあまりに少ないのではないだろうか。

それがなぜか、本書にもあるが、要するに都合の悪いことはなかったことにする無言の力が働いていたと分析する。

敗戦時にはたくさんの書類が燃やされた。いいことも悪いことも記録に残して後世の判断に任せることをしないから、南京大虐殺も、例えば死者数について反論する資料がないということになる。著者はそう言っている。公文書を残すのは本当に大切と、森友事件で自殺者を出した経緯からも改めて思う。

話はあちこち跳びますが、軍隊内では性病がとても蔓延していたこと。慰安所は定期的に検査していたらしいけど、それ以外の場所で感染したら、たちまち部隊の中に広まり、戦闘能力が著しく損なわれるらしい。

慰安所は日本軍が侵攻したところには、業者を通じてすぐに設置されたこと。兵士はそこでのんびりと本読んだり、ただ体を休める場合もあったらしい。つかの間の自由空間。

どれも戦場での具体的な話で、初めて読むタイプの本で私なりの知見を広げられたと思う。

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「ニッポン巡礼」 アレックス・カー

2021-01-21 | 読書

先月22日発刊の最新作。

私は過去に「美しき日本の残像」と「犬と鬼」を読んだ。他にもあるかもしれないけど、寄る年波で失念。

1952年生まれの著者は12歳で父親の仕事に連れられて来日。イエール大学の日本学部とオックスフォード大学の中国学部卒業の後、再来日、日本文化の研究と、景観と古民家の保存再生に取り組む。

肩書は東洋文化研究者。著書も多く、各地で講演活動。そのほかに地方のその土地の良さを生かした、環境に負荷のかからない観光事業を提言するコンサルタントとして、各地へ出向く、その成果が本書である。

うーーーむ、日本国内、まだまだ知らないところだらけ。知っているところも予備知識をもって行けばまた新たな発見もあるというもの。旅行には予備知識必須。

この中で特に行きたいのは南会津の前沢集落。曲家の景観が素晴らしいそうで。

行き方は大宮までJR、東武鉄道で会津高原尾瀬口まで。あとはバスで34分。車でなくても行けそうです。宿泊は大宮辺り?

いつか行けたらいいなあ。と激しく旅情をそそられる本でした。

あと紹介されているのは、いろいろあるけれど、書き写すのが面倒。いろいろあります。日吉神社と三井寺は行きやすそうですが、あとは難しいところばかり。

滞在して、ゆっくりとその土地の良さを味わいたいものです。


5年くらい前、宮島の彌山へ登山した時、大阪から来たフランス人、40歳くらいの男性とたまたま一緒になって、話しながら登った。

古い建物を日本人は躊躇なく壊す。いい古材がゴミになる。フランスでは家は古くなるほど高くなる。50年(だったかな)過ぎると法律で壊せなくなる。日本語達者。

日本で古民家の保存活動されているんですか。

いえ、そんなお金はないので古い道具を集めたり、修理したりしています。

そうなんですか。日本の良さを外国の人に教えてもらうなんて、恥ずかしいです。

というような会話をした。

家はどんどん壊して新しく建てる。それで経済が回っている部分もあるわが国。人は親の家には住まず、中古の家にも住まず、新しく買い替える。それを見越した長く持たない家。どの世代もローンに追いまくられる人生。

いったい誰がもうかっているのかなあと思った。

 

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いゃあ面白い、読んだ本とこれから読む本

2021-01-12 | 読書

つい最近まで、読んだ本の一冊ずつ、感想をここに書いていたけど面倒になってとりあえずまとめて。

他にも読みかけがあった。写真撮るの忘れている。

貧乏物語は、2016年発刊。各界の有名人が、自分の貧乏物語を語っている。

いろいろと面白かったけれど、評論家の佐高信氏が、東北から慶応大学に進学して本当のお金持ちを知った話が面白かった。東京都心、駅に近い場所に広い屋敷があり、テニスコートが二面あるとか。

野呂栄太郎、野坂参三が慶応出身なのもうなずけると佐高氏。野呂栄太郎は講座派でしたか。20歳ころ日本資本主義発達史とか、この私も時代の風潮で読みましたが、(自慢モード?しかし何の自慢?変わり者と思われるだけ)、資本論に似た激烈な文体、なかなか面白く読みました。野呂栄太郎も若く、日本の資本主義も若かった。あの本はもう捨てた。

最近、資本論が文庫で出ていることを知り、そういえば昔からあったと思い、一巻だけ読めば神髄はそこにあるのでいいそうで、変わり者ついでに読むかな・・・読まないかな。

マルクスはドイツ南部トリア―の出身。2015年、トリア―に行った時は、マルクスの住んでいた家は城門近くで1ユーロショップになっていた。日本ならダイソーとかですよね。石造りの家はつくづくと長持ち。


この中で特に面白く読んだのは「夫に死んでほしい妻たち」

いゃあ、身も蓋もないタイトル。ルポルタージュですが、今の時代は女性も働くのが普通。しかも家事育児は女性に負担がかかりがち。片や夫は妻のサービスを受けつつ、会社の中で男であるだけで、女性より有利に扱われる。妻の怨念は深い。

で、そんな気の利かない男を育てたのは私たちの世代の女である。

多くの人が専業主婦になり、家事子育て一人でして、家に閉じ込めらていた世代。男の子も生活面で自立をと思っても、家庭内で親がそのモデルを示していないので、どうしていいか分からない。そんな感じかと思う。

ここはひとつ、遠慮なくしつけてもらって結構。と、自分の責任放棄して言ってみます。ごめんなさい。よろしくお願いします。


で、退職後の世代でが、離婚すると世帯が二つに分かれ、年金分割してもお互い生活が厳しくなる場合がほとんど。

それよりは死ぬのを待った方が現実的。だそうです。なるほど。待つ間に自分が先死ぬリスクもあるけれど、年取ってから名前は替えなくていいけど、住居、交友関係を失うのはデメリット多すぎ。

そう思って過ごしている人も多いかもしれませんね。

「私だけ夫がいると妻愚痴る」と言う川柳がありますが、夫のいる私はそれを笑ってはいけない、寡婦の人の思いを想像しなければと思いました。

この中で、腹立つときは夫の歯ブラシでトイレ掃除してまた元に戻しておく。というのに笑いました。大腸菌うようよ、でも大腸菌はどこにでもいるので案外大丈夫でしょう。

この私も、若いころ、夫が仕事とはいえ、ずっと26時ころ帰宅には頭に来て、帰ってから夕食食べるので、ご飯を半分にして塩を思いっきりかけ、またご飯被せて出したことがあります。

平気な顔して食べているので、この人の味覚は・・・と呆れたものです。

同僚の方は、ご飯、おかず、味噌汁、全部ボウルに入れられて、はいどうぞと出されたとか。猫まんまや。

このころは放影研で、通常の勤務のあと、自分の研究していたんですよね。夕方から・・・実験?結果が出るまでは帰れませんよね。

深夜と未明の間、帰宅途中、パトカーに不審尋問されたこともあったそう。勤め先を言うと「ああ、放射能の研究ですか」と無罪放免になったそうで。

このころ生まれた三男はめったに会わないお父さん見て、泣きまくり。家庭内不審者。

すみません、本の感想から離れて、自分の思いを供養しました。

 

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「兄弟は他人の始まり」介護で壊れゆく家族 真島久美子

2020-12-10 | 読書

公民館で借りてきた。

先日「わたしは誰も看たくない」という、身も蓋もない介護の小説読んだけれど、これはその対極にある本。小説ではなくて実話らしいが、名前はすべて変えてあるとのこと。

自分の母親が脳梗塞で体が不自由、父親は認知症が進んで手がかかる。思い切って親の古い家を壊して家を二軒建て、隣に住んでの介護が始まる。

家を建てるところからがひと悶着。聞いてないと話を壊したり、大手ゼネコンに勤めて一級建築士だった父親は自分の思い通りに家を建てて、数千万のお金をほぼ使い切ってしまう。

本人はしっかりしているつもりだけど、ここで止めておけばと、私は残念。でも自分の経歴に誇りを持つ父親の考えを変えさせるのは無理だったのだろう。

介護で困るのは二人同時に手を取るようになった時。今までの男は家の中で妻にかしずかれ、何もしてこなかった。それで家の中がまわって行く間はいいけれど、できなくなった時にも、男性は同じサービスを受けたがる。介護するものは大変である。

相手が娘だとわがまま言い放題。認知症とわかっていても、娘を物で殴るようになり、父親はとうとう精神病院に。そこでも暴れる。書くのは著者も思い出したくなくて大変だったと思うけれど、よく書いてくれたと思う。

肉親の情はあっても女性一人で介護する限界は超えている。困った時には相談できるパイプをたくさん持って、一人で抱え込まない。改めてその思いを強くした。

著者はとてもよくして上げたと思う。夫との間もたまには険悪にはなりながら、夫もよくしたと思う。

介護の周りの人間関係は、家族により千差万別だけど、今は長男の嫁が前面に出なくていいという流れなので、それをこの本の中であれこれ言うのはもう時代に合わなくなっているのではと思った。

お嫁さんの立場からの話も聞きたいものです。

人間性にまで言及されて、この本読んで気を悪くしているのかも。

ことほど左様に介護は難しく、それを書くのはもっと難しい。


私の経験。

2018年4月末、大腿骨頸部骨折をした姑様はリハビリ病院から帰宅。介護度4。入所介護を勧められたけれど、夫が自宅介護を希望し、結果としては8か月半、隣の家から私たち夫婦は通いの介護をした。2019年年明け、夫、腰痛で続けられず施設にお願いして今に至る。

退院時に、自宅介護の計画の話し合いが、ケアマネさんの元、リハビリ病院、デイサービス業者、介護ヘルパ―業者、家族で持たれ、それぞれの分担が決められた。

その時何よりも驚いたのは「長男のお嫁さんは何をしますか?」と言う問いかけがなく、もちろん負担も強制されなかったこと。

ああ、今はこうなっているのだと、実母の介護の苦労を見てきただけに、目からうろこ。姑様が通所していないとき、ヘルパーさんも来ない日は夫が担当。

もちろん食事の支度や買い物などは私の余分な手間ですが、それは普段からしていること。私は楽な介護だったと思います。

だから、男兄弟の連れ合いが関わらないことにこだわるのは、この本を書いた時点では受け入れられても、今の時代には日本全国津々浦々、同じ感覚ではないと思います。

著者の弟さんは財産すべて放棄したのだから、法事などの費用を出してもらおうとしたり、もうあれこれ言わない方がいいと私は思います。

私のささやかな介護の経験での喜びは、姑様の無垢な笑顔と、こんな私でも役に立っているということでした。

嫌だったのは、夫とその弟妹の、してもらって当然という態度。弟妹が帰省すると、肉親だけで語り合い、(それは全然結構なのですが)、私に「お世話になっています」の挨拶がなかったこと。その場にも入れない無言の雰囲気。私はいてもいないのと同じ空気のような存在。

妹の作る料理が口に合うと言われて、何度か抗議しましたが、いまだに謝りません。

ああそうですか、時間かけてドロドロに煮たあのおかずがおいしいのね、あんたの親も妹も何してもトロくて時間かかるもんね、親も妹も、部屋が全然片付けられないもんねと言うようなことは言いません。ただ思っているだけで。

何を期待していたのかなあと、今は思う。何を期待して、自分でへこんでいたのかなあと。割り切って当事者にお任せするのがよさそうです。

私のささやかな経験から、息子たちには介護の苦労はさせてはいけないということです。自分お金全部使って、足りなければ家を売るなり貸すなりしてでも一人の子供に負担かけない。


その点、ワンルーム借りていた未婚の次男に、今春、マンション持たせたのは、結果的にはよかったと思う。先で家に帰っておいでと言う流れになって同居していれば、介護保険も使いにくいし、本人に介護の負担は行くし、親の死後は家の相続ですんなりと自分のものにはならないはずだし。

一戸建ては家族があれば住みこなせるけれど、便利な場所のマンションが住みやすい。マンションの価値は何よりも暮らしの便利さ、古い新しいはあまり関係ないと、最近あるサイトで見て確かにそうだと思いました。

歩いて行けるところにすべてそろい、日常の暮らしに困らないことが何よりも大切。そして引渡し前にちょっとした瑕疵が見つかり、管理組合が手配してあっという間に直してくれた。そういう経験がないのでびっくりした。自分の家なら、複数の業者探して見積もり取って、当日は立ち会って・・・ああ、めんどくさい。

私も年取ったらマンションへ行こうかな~

 

 

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「路地の子」上原義広

2020-12-03 | 読書

初めは純粋に小説として読んでいたけれど、途中で子供として作者の名前が出てくるので限りなくドキュメンタリーに近いノンフィクションなのかなと。

後書きで父親と明かし、取材したことも書き加えているので、作者は事実としているのでしょう。

この中では地区で、肉切包丁一本から身を起こし、食肉加工会社の社長にまで上り詰める父親の立志伝が面白かった。

食肉業界の個性的な面々、反社会的勢力の人間とのやり取り、利権に群がる人間像、それから作者の両親のそれぞれの不倫と壮絶な夫婦喧嘩・・・

ノンフィクションとしても、身内のことだから書きたいことは強調し、そうでないことは端折るというバイアスはかかっているはずだから、ノンフィクションとして読めばいいのかなと思った。

この本と、角田直樹の本を「嘘を書いている」と遡上に上げている本も出版されているので、合わせて読みたいけれど、読んでも楽しくなさそうなのでやめた。

角田直樹の本は遺族から訴訟されて敗訴したけれど、この本は今のところそれはないようです。

それにしても、肉を捌く場面の表現が秀逸。そして、肉を捌く包丁で、やくざを追いかけまわし、喧嘩は相手を殺すつもりでやらなあかんと言い放つ主人公。

こういう世界があるのだと見聞が広がった。

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「わたしは誰も看たくない」 小原周子

2020-11-11 | 読書

斎藤美奈子「日本の同時代小説」の中に介護小説として紹介されたのがいくつか。

母の遺産、長女たち、長いお別れ、などなど。

うーむ読んだのもあるし、どれにしようかなとアマゾンを徘徊中に、あまりに直截なタイトルに惹かれて、斎藤美奈子氏の本にはなかったけど、つい買って、つい読んでしまった。

作者は現職の看護師で、2017年、オール読物新人賞佳作で世に出た人。

日々、看護師として老人をたくさん見ている(たぶん)人にしか書けないリアリティがあるのは一つの美点。また人物がよく書き分けられていて、今風に言うとキャラが立っていて、劇画風に楽しめる作品になっている。

しかし、私の読後感はとてつもなくどよーーんとしている。読んだ後の新しい気付きもないし、介護を経験したものとしては、とても主人公に感情移入できない。

主人公、穂乃果。40代前半。パート主婦。夫と大学生の息子一人。勤め先のスーパーの店長と不倫している。

実家は北関東、山の中の温泉宿。両親と未婚の妹で経営。父親が倒れて意識不明になり、胃瘻をすることになり、家族の意見が分かれる。

夫実家は姑と義姉家族の二世帯、姑は認知症が進み、足を骨折って書いてるけど、大腿骨かな。最近女性が高齢化するにつれて激増しているらしいから。

穂乃果はどちらとも同居していないので、介護はしなくていい立場。しかし、しっかり口は出す。妹と母親には胃瘻してもずっと生きさせるべきと主張するのは、娘時代の妹への恨みがあるから。

妹は、言い寄ってきた大学生に、姉をその気にさせたら付き合ってあげるとそそのかし、挙句、穂乃果は高校生で妊娠中絶し、街にもいられなくなってしまう。

その恨みだそうで。何かなあ。高校生でそんな付き合いするのは自己責任、結果についても自分で責任取るべき。辛い思いをしたのが妹のせいなんて、それは違うと思うし、それを根に持って両親のこと、家のこと、全部おっかぶせて知らんふり、たまに行くと文句たらたら。いけませんねえ、そういう態度。

身内だけならともかく、お正月にしか行かない夫実家でも、義姉に姑の面倒見ていないと文句つける。こんな義理の妹いる?

と言ってもちろん、姑を引き取るつもりはない。

要するに誰の介護もしたくないわけで。介護はいくら美辞麗句を並べても、しないで済むなら、誰しもしたくはないと私は思う。するのは巡り合わせ。どうせするなら気持ちよく、そしてその中から気づくこと学ぶこともあって決して無駄な経験ではないと、自分を納得、鼓舞しないとなかなかできないもの。

その時に外野が、介護者に感謝し、いたわり、時には自分のお金や時間を割いて少しでも助けてくれたら、また次の日から頑張れると思うけど、この主人公は「したくないの一点張り」。妹が幸せになるのを何とか阻止しようって、どこまで性格悪いのと呆れた。

たいていの小説なら、そうは言っても主人公に何か気付きがあり、または改心して、家族が再生するとかそんな結末になるはず。しかし、この小説では不倫がばれて離婚されそうだし、実家の父親も妹の考えで胃瘻を止めて亡くなる。身軽になった妹は地元の人と結婚することになっている。

父の死の真相を知った穂乃果は、妹を何度も平手打ちするって、これはあんまりである。暴力反対。自分が何もしてこなかったのに、よくそこまでやれるなあと呆れた。

この小説は人の醜さを描きたかったのでしょうか。しかし、人間はこんなに単純にはできていない。いろいろ葛藤がある。その葛藤が書けていなくて、主人公はあまりに単純思考。せっかく書いた作者には申し訳ないけど、気分悪かった。


ベッドに抑制=縛り付けるは姑様で経験済み。

この小説とほぼ同じ経緯。

隣の四階で一人暮らしだった姑様は、2年前の一月、夜、部屋で転んで歩けなくなり、翌日、私が車に乗せて整形外科に連れていく。夫は仕事。いつも仕事。弟妹は遠いし、医院関係のお供はすべて私だった。ブツブツ。

立てないので、車から降ろして車椅子に乗せるのが一苦労だった。

レントゲンで大腿骨頸部(脚の付け根ね)骨折が判明、近くの大病院に緊急搬送。車はクリニックにおいて、私も救急車に同乗。

着いたのは10時前、それから待たされたり、検査したり、あちこち移動したりで、病室が決まるまでに夕方までかかった。姑様の替えのオシメは病院のコンビニで買い、途中で換えてもらったり、私はサンドイッチかなんかを食べてひたすら待っていた。

入院が決まり、同意書をたくさん書いた。「長男の嫁」と間柄書いて、サイン。私の立場では書きたくなかったけど、いちいち電話で夫と弟妹に相談する余裕もなく、一存で。後で文句出たら、なら、私の代わりに付き添ってと言うつもりだった。

同意書の中には「危険防止のために抑制することがあります」というのがあり。ベッドに手足を縛り付けるそうですが、まさかうちの姑様に限ってそんなことないと思いつつ、いったん帰宅。いるものをそろえて一時間くらいして行ったらもうベッドに両手を縛り付けられていた。

あの姿を思い出すと今でも涙が出る。いい人ぶってますが、夫や弟妹が見たら哀れな姿にもっと悲しかっただろうと思う。

「お母さんどうしたんですか」

「どこにいるか聞いたら**病院って言うじゃありませんか。私、この柵乗り越えて帰ろうと思って」

「お母さん、脚を骨折して今朝ここへ来たでしょ。手術して歩けるようになってから帰りましょうね」

と自分の親でないので腹も立たず、落ち着いてなだめる長男の嫁=私。

いい体験をさせてもらったと今では思っている。私以外、誰もする人がいないので割り切って、心は平安。

でも夜、義弟に電話する夫は「お母さん、入院したで」って。自分で歩いて行ったわけでも、ましてや空中を飛んでいったわけでもない。丸一日、付き添っていた私の存在は初めから省略、無視。その言い方にむかついた。

三か月後には自宅介護に。その後軽い脳梗塞でまた救急搬送になり、その時は一日入院。私が強く医師に言わないから症状が改善しなかったときつく言われ、さすがに温厚な私も←どこが!!心の中で何かが音を立てて切れてしまったままです。

退院前に主治医と夫が電話で話をしたので、それで夫は納得していると思っていたのです。まあ私も迂闊と言えば迂闊ですが、そこまで必死になれないのはやはり実の親でないからでしょう。

姑様が施設に入って、年明けたら2年になります。夫は在宅介護をよく頑張ったと思いますが、私が食事を作り、留守の間はオシメ替えなどの介護もしたので家で看る期間も持てたのだと思います。

それは姑様にも、夫にも私にも、義弟妹の為にもよかったと思います。助け合ってこその家族。いろいろ思うことはため込まずに小出しにして、変えられることは変えてもらう。そう思えるようになりました。

介護では、その家族の普段からの「家族力」が問われます。長年の人間関係が問われます。ぎくしゃくしている家族はいい介護ができない。そして介護を通して家族の在り方もその成員も鍛えられる。気づくことがたくさんある。それが介護が終わってもいい財産として残れば言うことありませんね。

介護を通じて、私は嫌なことを嫌と穏やかに言えるようになったと思います。それから自分の老後について(もう老後だよという声あり)、具体的に考えられるようになりました。

誰しも年を取り、誰しも死んでいく。子供が成長するのとは逆のコース。素直に助けを求められるのも大切。助けたり、助けられたり。


この小説の主人公に問いたい。

わたしは誰も看たくないなら、あなたは誰からも看てもらわなくていいんですかと。

それはできない相談。それに気が付いたのが、この小説の最大に美点でありましょうか。

 

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「図説 日本の植生」沼田眞 岩瀬徹

2020-11-10 | 読書

面白かった。

初版は1975年発行、文庫本は2001年に出て、それからもう20年たつけれど、植物はそのくらいの時間では変わらないので、今でも十分に読める本。

植物学大家のお二人に失礼な言い方ですみません。

コンパクトで内容は深く、かつ分かりやすく、環境保全の真の意味を考えさせられる好著。

私が山を歩くようになってかれこれ30年近くになりますが、常々不思議だったのは山によって、また同じ山でも場所によって違う木や山野草があることや、四国の母親の実家の山と、中国地方の山では全然木が違うこと。

それの回答が誠に分かりやすく書かれてあり、今まで断片的だった知識が頭の中で整理されて、そこに新しいこともいっぱい加わって、とてもすっきりとした・・・というのが読後感。


この本の特徴は日本の植生を細かく分け、そこに生育する木も草も一緒に群落としてとらえて、それぞれの特徴がよくわかるようになっていること。いわば読む植物図鑑。それから時間の経過とともに、植生が変わっていく遷移の過程にも言及されていて、環境保全の本当の意味について問題提起している。

アマゾンでは写真が白黒が残念というレビューもありましたが、これは植物図鑑ではなく、名前でその植物が思い浮かぶ人が対象の本だと私は思う。分からない場合は他書に当たればいいと思う。

今まで知らなくて教えられたことはたくさん。とてもは書ききれないけど、例えば18歳で広島へ来て、最初の冬、寒いなあと思ったらやっぱり、この本の「暖かさ指数」が四国より1度低い。従って植物も違うわけで。

中国山地の奥には、見たこともない立派な木が次々と現れ、感動したものでした。地形が複雑で、夏は気温はそこそこ高いけど、冬は積雪が多くてそれに適応した植物があるのだとこの本で改めて納得。

県内に湿原があるのも嬉しいことでした。低層湿原は高度の低いところにある湿原ではなく、湿原の盛り上がりが低いのだと本書で初めて知りました。八幡原にだけ、なぜナガボノシロワレモコウがあるのかと言えば、それ湿地を好むからだそうで。やれやれ、長年の疑問が解けました。

また、観光道路を山の中に作ると、道端に草やススキが生えるけれど、これらマント植物は森の植生を保護し、全体として一つの環境を保っているので、美観のためにとむやみに刈り取ってはいけないそうです。

で、やはり思うのですが、先日ドングリ拾いに行った近くの山は、入口付近の森のふもとに、もう長い間、個人が勝手に花畑を作っているのは、環境の為にはよくないと私は思っています。

草が生えて見苦しいと思っても、そこは国有林、自分の土地ではないのだから勝手に園芸種の花を植えないでもらいたいものです。植物は正直で、その土地に合ったものしか生えません。森の周辺の植物はそこに生えることで、日照、通風などをコントロールする大切な働きがあるのです。

赤や黄色の、ホームセンターで買ってきたような花を育てないでもらいたいもの。あるがままを楽しめるのが教養と私は思いますが如何?

本土では海岸はクロマツ、沖縄ではアダンって。去年、沖縄の海岸で繁茂するアダンを見た。マングローブを形成するヒルギの仲間も北から南、分布が違うことも知りました。

お二人のフィールドワーク、日本全国に渡り、今、どの段階にあるか分かるのが素晴らしい。極相林から裸地まで、水田、牧草地、都会の真ん中の舗装道路まで、環境に適応して植物がどんな所でも生えている、そのことに今まで以上に目を向けたいと思わされました。

リュックの中に入れて、山で見ると楽しいでしょう。このあたりは照葉樹林帯と広葉樹林帯の境目、ほらあそこにあんな木が・・・と言って同行者に嫌がられる。それもまたよし。

2019年7月 沖縄県真栄田岬で。

周り全部がアダン。沖縄の海岸に多いそうで。

実はこんな感じ。パイナップルに似ているけれど、食べられないそうです。

那覇市だったかな、隣りの市かも。「漫湖水鳥・湿地センター」の見学者用通路。

周り全部メヒルギ、たまにオヒルギやヤエヤマヒルギ。

私は感動しまくったけど、地元の人は誰もいませんでした。珍しくない眺め?

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藤原定家「明月記の世界」村井康彦

2020-11-06 | 読書

先月、旅行中に高松市内で購入。発行は10/21だそうで、出たばかりだったんですね。

「明月記」は平安末期から鎌倉初めに京都で活躍した歌人、藤原定家の数十年にわたる私的日記。原本は、現在、京都御苑の今出川通はさんで北側にある冷泉家の蔵の中にあり、と聞いた気がするけど、確か国宝だったはず。

明月記の研究本は過去にも何度かあったらしいけど、今すぐには読めなくなっているのでは。ハンディな新書で、全体が分かったのは大変良かった。

で、和歌を家の芸としている人に今さらではありますが、大変に筆まめだったということに感心。意外だったのが、健脚で物見高い。上皇、天皇の外出の行列を見物し、供回りの名前、服装など、手元を見ずに次々メモしているのもある。立ったまま、筆で。今で言うとキ―ボードのブラインドタッチ?素晴らしい。


定家は後鳥羽上皇の信任が厚く、新古今和歌集の選者としてあまりに有名。しかも、1201年11月、熊野詣から帰ってきて、日枝神社にお礼の参拝、その後すぐ始めている。

藤原定家と熊野詣、イメージとして結びつかないけど、和歌の好きな後鳥羽院が道中、何度も歌合わせをしたそうで、その選者として。さらに一行の一足早くを行き、その夜の宿を調達する大切な役目。

今の熊野古道、足元わらじか何かで、雨の日もあるし、先達の法師と一緒に毎日毎日、歩いて宿を決めに行く。登山のような道もある。昔の人の体力にただただ驚くばかり。

まあこの話は本筋とは関係ない。

一番の読みどころは歌の家として、いい歌を詠まなければというプレッシャーと自負、思うように貴族社会の中で位階が進んで行かない焦り、中高年以後は子供たちの活躍に喜ぶ親としての本音が吐露されていて、その部分だと思う。

勅撰集の選者、これは大変名誉なことであり、後世にいい歌を残す使命感もあり、全身全霊で務めたことだろう。これが前半生の山場。

・・・と、この後が手違いで消えてしまったのか、出てこないのか・・・

もう一度書き直す気力がわかない。

定家が身近に感じられたと同時に、著者は現在90歳。90歳でこのお仕事。文章も若々しく、定家が前妻の子に冷たく、後妻の小さな子を溺愛するところをたしなめたりして、面白かったです。

毎日の記録も続けていくと、一人の人間の人生、当時の世相、自然環境など、貴重な記録になるようです。

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「感染症の日本史」磯田道史

2020-11-05 | 読書

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先日、旅行中の宿で読了。旅には文庫本、または新書必携。私は、他に時間つぶす術を知らぬ昔人間。


NHKのテレビ番組によく出る歴史学者。大河ドラマを初め、テレビの歴史ものはわかりやすい英雄史観に陥ったものがほとんど。

しかし、私は歴史を動かすのは、後世に名前の残っていない一般人。日々働き、家族を養い、年老いて死んでいく無名の人たちの、少しでも暮らしが楽にになりたいと思う営みが長い目で見ると歴史を作っていると思っている。要するに生産活動とそれにまつわる権利の諸関係。

したがって、大河ドラマ初め、テレビの歴史番組全然見ない私ですが、磯田氏の著作の方はたくさんの資料を読み、歴史に素人の私にもわかりやすい。

映画にもなった「武士の家計簿」、本では、藩の枠にとらわれずどこででも通用する技術を身につけたものが勝ちとの結論で深く納得。

おや、他の本の感想になっているけど、もう少し続けさせてください。

加賀藩の勘定方だった・・・名前失念の武士、家計が常に赤字、それを家計簿をつけて節約し、乗り切ろうとする。時あたかも幕末、そろばん侍と揶揄された人はあれよあれよという間に、幕府討伐軍にリクルートされ、戦費の管理にかかわる。

戦争の神髄は兵站にあり。兵站無視して、武士の魂、日本国の軍人精神の発揮のしようもない。

そのことを史料をもとに具体的に描き出したのが秀逸。そして、今も昔も家計運営に苦労するのは同じ、身近に感じた。


この本では古代の感染症にも触れているが、主には江戸時代以後。今になればウィルス由来か細菌由来か分からないけれど、何度も感染症が流行る。それは外国に窓を開けていた長崎から。

祈祷やお札を受けることも普通だった時代に、天然痘の流行に対して隔離の重要性を説いた橋本伯寿。その著書には感染予防の方法も詳しいのですが、時の幕府が取り入れることはなかったそうです。

当時は日本国中、各藩に分かれていてその対策もいろいろ。しかし、隔離や領民への支援など、きちんとやれていた藩もあり、それを記録に残している。

政策を行ったら、後世に記録として残し、次に同じことがあった時の参考にする。それは政治の基本。私もしみじみとそう思う。

マスクに、観光キャンペーンに莫大な予算を割きながら、医療現場への支援はおざなり、現場の努力に期待し、任せるだけではよくないと著者ははっきり言っています。


先日一緒に旅行したのは、父方の祖父は同じ、祖母は別という人。彼女の祖母は二人の幼子を残してスペイン風邪で亡くなって、後添えに来たのが私の祖母。

大正8年、1919年に25歳で亡くなったそうで。お墓に書いてあった。

昔だから24歳、若かったわのう。

そうなんだあ、おばあさんというから年寄りと思ってたけどね。

昔の人でそんなに出歩かなかったのに、感染したんやのう。

と二人でそんなこと言い合いました。

スペイン風邪の第二波のようですね。

この時は7か月で約27万人の死者、その中の1人だったんですね。

彼女のお父さんは跡取りとして嫁もとって同居していましたが、後妻の私の祖母と折り合いが悪く、分家を立てました。

その時に2町歩の水田のうち7反くらい分けたのは、子供のころ、大人の話の端々で聞きました。

その時に私の父が三男から長男になったのです。父の死後、初めて戸籍謄本見て、生まれ順が変わったはずないのに、と驚いた私。

彼女の家は早くに農地売ってアパ―ト貸付業になり、裕福になりましたが、我が実家は田んぼ手放すのは先祖に対する裏切りという考え。父の死後、相続税に苦労しました。


今しみじみ思うのは、パンデミックで人の運命も、家の在り方も変わる。その不思議さです。

この本の最後は、高校生のころから歴史学に志したその経緯など。お名前がそれをあらわしていて、まさかペンネームではないでしょうが、不思議。

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「日本の同時代小説」 斎藤美奈子

2020-10-24 | 読書

この新書は、同じく岩波新書、中村光夫著の「日本の近代文学」、「日本の現代文学」の続編を意図して書かれたもの。著者は鋭い切り口で、話題になった小説を快刀乱麻、評論してきた文芸評論家。

この本が取り上げるのは「日本の現代文学」が書かれた以後、この50年間を取り上げている。

50年・・・気が付けばもうそんなに経っていたのかと驚くばかり。私がよく小説を読んだのは1990年代まで。次第に同時代の小説が面白くなくなり、子供の手も離れて外に目が向きだしたころと重なる。

その時々で話題になるのは読んできたつもりだったけど、この本で通覧された作品の数々を知ると、あれはそういう意味があったのかと、パズルのピースを埋めていくような快感があった。

本書は1960年代から2010年代まで、10年ごとに章立てして大きな流れが分かるようになっている。

一言でいえば、文学が「知識人の悩み」から「時代の不安を映すもの」へ、一元的な価値から多様な可能性へと、時代の感覚が広がって行ったその流れをたどっている。

取り上げられた作品は、新書の制約はあるものの、数も多く、ジャンルも多岐にわたり、興味深かった。

特に2000年以降は戦争と格差社会、多発する災害など、不安な要素が多く、作家がそれを丹念に掬い取って作品にしてきたことが分かった。

身近な例でいえば、介護小説が増えたこと。有吉佐和子の「恍惚の人」は自宅介護。今は介護の担い手も場所も多様になったけれど、介護に人間の本音、本当の姿が顕れるのに変わりはない。

私は介護からようやく解放されて、今やっと落ち着いてその種の小説を読む気になった。

私の経験したことは、どんな意味があったのか知りたい。世の中には介護をせずに済む人もいて、私がその只中いる時は隔たりを感じていたが、今はせっかく体験したのだからいいように生かしたいと思えるようになった。

人さまの介護生活はどうだったのか、ノンフィクションではなく、心の奥深くに下りていく作品が読みたい。と、思って本書の中の一つ、注文しましたけど。

近所の80歳くらいの人、先日話していたら「大人用のオシメなんてあるんですか?」と怪訝な顔。びっくりした。長年同居した姑様は、朝起きたら亡くなっていた。同居した最後のご褒美のように私は思った。

世の中、ちゃんと辻褄が合うのだなあと感心した。

と言うことで、この本で最近の文学の流れが分かったので、時々立ち返って、読みたい本を探そう。

地元作家の「工場」、これもカフカのような不安、不条理を感じさせる作風です。これは読んだかな。「0の焦点」が三百万部売れたのは、不安な時代が、愛と感動を求めているから、だそうです。なるほど。


↑の「大人のオシメ」の人とはほとんど話すことがなかったのですが、最近、あることがきっかけで少しずつ話すようになりました。

話さなくなったきっかけは飼い犬のことでトラブルになったから。道を歩いていると、敷地から飛び出し、歯を剥いて吠えながら追いかけてくるから。犬を叱るでもなく、こちらに謝るでもなく、無言で犬を抱えて帰るので、一度「犬を吠えさせるのをやめさせてもらえませんか」と頼んだら、「うちの犬は人をかむような子ではない」と言われてしまう。

その、吠えながら追いかけられるのが嫌なんですけど。。。。

自分が何か無理言ったかなと落ち込んだけど、相手は可愛い飼い犬に文句つけられて腹立てた様子。典型的なご近所トラブルですね。

以後、ペット好きな人とはあまり深く関わらないようにしてきました。

おや、本の感想のついでに何話しているのやら。


ついでにしばらく前から話題の「地域猫」について。

気が付くと我が家の付近では野良猫が激減しています。以前は三匹くらい我が家に来る常連さんがいて、毎日のように糞することもありましたが、今ではたまに野良猫を見かけるだけ。糞はだいぶ長い間見ていない。

我が地区では「地域猫」活動はないようですが、なぜかこの激減ぶり。

これは単純に、野良猫に餌をやる人が減ったからではないかと思います。たまたまで、また増えるのかも分かりませんが、まずはよかった。

「地域猫」は、飼えない、飼わないけど、猫がかわいくて好きな人と、野良猫はいなくても全然困らない人との妥協の着地点かなと思います。

直接、エサやるなと言っても、私の犬のことのように、近所関係がこじれるだけ。注意して逆切れされ、殺された人さえいます。おーーー怖~

自治体が中に入っての活動の推奨のようですね。

地域猫活動ではボランティアと住民と自治体の連携が大切と、いろいろなサイトでうたってあります。

活動するのは住民の同意が必要と、踏み込んだ決まりを作っている自治体もあります。理解ではなくて同意。これは限りなくハードルが高い。猫好きの人がいて、猫嫌いの人もいる。話をまとめるのは大変です。多分まとまらない。パンドラの箱を開けるようなもの。

私の感覚から言えば、「地域猫」する人は、地域の糞の始末もきちんとしてほしい。地域猫かただの野良猫か、糞から見分けるのは不可能。糞は全部始末してほしい。

個人の庭に糞が見つかったら、地域猫ボランティアの人に連絡できて、すぐに来て始末。車に爪の跡つけられたらそれもボランティアの人で弁償。

人に迷惑かける生き物を地域で生かそうとするのだから、そのくらいの覚悟が必要では。かわいいのでエサやりたい、死ぬのがかわいそうという感覚だけでは、地域の共感は得られないのでは。

もう40年以上、野良猫の糞を始末し続けて、仕方ないとあきらめていましたが、「地域猫」活動には疑問があります。一代限りの猫でも糞はします。自分たちだけがいいことしていると思わないように。黙って排せつ物始末している私も偉いって、誰もほめてくれないので、自分で褒めておこう。

本音言うと「地域猫」もやめていただきたい。

飼い猫には去勢と避妊、外へ放さない、捨て猫しない、野良猫にエサはやらない、戸締り厳重に、ゴミの管理、などで、猫は減ると思います。

その上で、猫が好きな人は自分で一匹でも飼うなり、お金出し合って共同で飼って、関係ない人間に迷惑かけないでいただきたいものです。

以上が、今のところの私の考え。昔は犬も猫も嫌いではなかったけど、今はつくづく嫌い。

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「美しいものを見に行くツアーひとり参加」 益田ミリ

2020-10-22 | 読書

面白かったです。先日の尾道旅行の宿で読みました。

著者は1969年生まれのイラストレーターでエッセイも書く人。その人が海外ツアーに一人で参加した時の旅行記。

楽しく読んだあと、またきっと海外旅行行きたいと決心しました。


北欧のオーロラ、ドイツのクリスマスマーケット、モンサンミッシェル、リオのカーニバル、台湾の天燈祭、プリンスエドワード島への旅行が載っている。

旅行記は星の数ほどあるけれど、英語できない、夫は仕事、一週間も一緒に旅行する友達いない、時間はあるけど、お金は元々山ほどないし、旅行にそんなに使いたくない私にはぴったりの本でした。

ツアーの中での立ち位置とか、会話の心得なども、参考になりました。相手のことを詮索せずに、旅行の話題にとどめるとか、自分に合うグループを見つけて、食事の時は横に座らせてもらうとか。

それから持ち物。

スーツケース、行きは半分空けておく。へこむのが心配でとかく詰めてた私。入れなくていいんだあ・・・

ボールペンはたくさん。あちこち探しまわるのもストレス。

ブラジャーは前ホック。これはしています。機内では外しておく。登山用のプラスティックの留め具を使います。これでセキュリティチェックも安心。

お土産は買った日にその都度ベッドの上に並べて写真にとる。私はまとめて写真撮ってたけど、この方がどこで何買ったかすぐわかる。お土産は人に渡して、二度と見ないけれど、パッケージなどがきれいなのが多いのでいいアイデア。

中国台湾韓国へは一人では行ったことない。ネックは大皿料理。韓国では二人鍋というのもあった。一人参加はちょっと居心地悪いかも。

それに同窓生みたいな集まりの一部男性客が、現地人を見下し、食事のマナーは悪い、夜になると集団でどこかへ行くと、ヨーロッパ旅行ではまず見ない人たちが混ざっているのも何とも。


ふだん、まず付き合わない、出会わない人と出会うのが海外ツアー。その中でより居心地よくするためには服装を観察。豪華、派手な服装の人は私とは合わないので近寄らない。よしんば同じテーブルになっても、こちらから話を振って下手に出ない。もちろん、ご主人と直接話さない。話しかけられても返事は奥さんの方へ。

私は海外旅行で登山服着ていることが多いので、シンプルで機能的な服着ている人とは割と話が合います。服装、持ち物ででその人がほぼ分かる。似た人の傍へ行く。旅行の邪魔してはいけませんが。

一人の理由をそれとなく詮索されたら「主人は仕事」と言っておけば後は安心。いてもいなくても使える手です。ずっと独身だったとか、途中で別れたとか、亡くなったとか、仲良くなると言ってくれる人もありますが、聞き流してそれ以上は詮索しない。

そして女同士で助け合う。と、こんな感じでしょうか。


また海外旅行行きたいですね。あまり年取らないうちに。

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「隠し事」 羽田圭介

2020-10-22 | 読書

芥川賞作家、羽田圭介が9年前に文芸雑誌「文芸」に発表した中編。

単行本のほかに文庫本もある。


僕、大学時代の先輩の鈴木は、後輩の茉莉と7年前に知り合い、二年前から同棲している。

ある夜、入浴中の茉莉の携帯に着信メールが届く。相手は鈴木の大学時代のクライメイトで、今は茉莉と同じ広告業界で働いている。

内容は見ないけれど、送信相手だけは見てしまった。

なんでメールのやり取りしているんだ・・・鈴木は二人の関係が気になって、真夜中に起きてはこっそりメールのすべてを覗く。それを繰り返す。

自分が知らない茉莉の姿を掴もうとするが、どれもこれも疑い出したらキリがない。知っていたはずの茉莉が、却って掴みにくくなる。

会社の同僚の喫煙仲間(女性)に、喫煙室でそのことを相談するようになる。それは見ていいんだとアドバイスされ、ついでに自分の着信メールがすべて茉莉の別のアドレスに転送するように設定されていたことを知る。

盗み見していたのは茉莉の方が先だったのだ。

狭い部屋で共に暮らし、お互い隠し事をしない約束だったはずだけど、そんなことはできないし、無理だと当人たちも気づき、そこから物語がまた続いて行く。。。。

10年近く前なので、使っているのはまだ二つ折りの携帯電話。なんかものすごく昔に感じる。一人一人が通信手段を持ち歩くようになると、人との距離は縮まるようで、却ってそこにはない姿が見えにくくなっている。妄想だけが肥大し、昔の、会って話す、話さないことはなかったこと、無理に聞かないというのんびりした関係はもう取り戻せないのかもしれない。

仕方ないと言うよりも、人は道具を作り、道具で人が変わる。そこのところを書いた、今の時代の小説だと思った。

只のハッピーエンドではなく、人間の複雑さ、謎の深さを感じる結末となっている佳編。

スマホの時代はどんな書き方になるのでしょう。スマホのアプリ、機能などほぼ分かっていない私には想像もつかない。

 

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