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「ペスト大流行 ーヨーロッパ中世の崩壊ー」 村上陽一郎

2021-06-04 | 読書

誰が読んだのか、夫実家にあったので借りて読んだ。1983年発行。今回の新型コロナ肺炎の流行がなければ、たぶん読まなかったと思う。

岩波新書なので簡単な概説書と思っていたが、コンパクトながら史料を駆使して、ペスト流行の諸相が過不足なく書かれている。名著だと思った。

ペストはエジプトから中東付近の風土病で、普段はおとなしく、病気も散発する程度だけど、ひとたび大流行になると他のどれよりも死者の多くなる大変な伝染病だとこの本で知った。

歴史の記録に残る最初の流行は、紀元前3世紀。この本では14世紀に50年間にわたってヨーロッパで流行したのを主に取り上げている。

医学の未発達な当時、ひとたび流行が始まるとほとんど手立てはない。村全体、町全体が消滅し、流行は西はイングランド、東は中国まで広がり、著者の推計で死者は7千万人とのこと。新型コロナは本日18時現在で、全世界で3,701,409人、それだって大変な数字だけど、人口の少ない当時、犠牲者の数は桁外れということが分かる。

これだけのパンデミックになれば、人口の減少で農奴制が維持できなくなり、小作制度へと移行すると契機になったという。

また旧来の信仰では救われないと感じた人たちが、自然発生的に鞭打ち運動を始めたそうで、これは自らや仲間内を鞭でたたいて贖罪としたとのこと。あまりに多くの死を見た後の虚無、自虐、救いへの強い希求などが一緒になったものでしょうか。

病気の原因を大気の汚染、地球内部からの毒性物質の噴出とか、いろいろ非科学的なことが出てくるけれど、中でも戦慄したのが「ユダヤ人が井戸に毒を入れている」という風評が立ち、ユダヤ人を捕まえて大きなワインの樽に詰め、川に沈めたとか、このほかにも歴史上何度もユダヤ人の虐殺はあったそうで、関東大震災の時の話と全く同じなので、本当に身の毛がよだつほどの恐怖と嫌悪感を感じた。なんで、非常時に時代も場所も遠く離れたところで同じ虐殺が行われたのかと。

この人間の残虐性を、今の時代の人間が克服しているかと言ったら、私は決してそんなことはないと思っている。

2018年の7月、広島県は激烈な土砂災害に見舞われ、多くの家が流されたのですが、そのあと、外国人のグループが夜中に車で乗り付けて、壊れた家で窃盗をしているという噂があるという報道を見ましたもん。

噂は普段の無意識が表に出てきたもの。本当かどうかは分からない。噂を検証もせずに報道していいんかな。

真に受けて、「ひどいことする、人間と思えん」とコメントしている人がいたけど、外国人がらみの事件が起きずに幸いでした。あれは噂だったと後追いの報道があったけど、ああいう非常時には節度を持って報道するべきでは。

その後ペストは17世紀、19世紀のはじめと、ほぼ300年毎に大流行、次は2200年前後かもしれないそうで。もちろん今はいい抗生剤があって克服しているけれど、病原体の方がもっと強くなってるかもしれないし、人類と病気の闘いはこれからも続いて行くことでしょう。

死は誰にとっても逃れられない運命だからこそ、それに至るまでよりよく生きることの大切さをこの本で教えられたと思う。


2016年、スペインのトレドを旅行した時、ユダヤ人がこの街を去る時にいつか帰って来る目印にと、舗道にユダヤ文字を刻んだという説明がありました。第二次大戦の時?と深く考えなかったけれど、14世紀のペスト流行ではトレドのユダヤ人が指令を出して流行らせていると言われたそうで、もしかしたらその時に街から連れ去られたのかなあと思った。

調べてもいいんだけど、気が滅入るのであえてしない。

パンデミックはもう一つの戦争。理不尽な大量の死を前にして、人は理性をなくし、恐怖を感じ、残酷になるのでしょうか。つくづく恐ろしいと思った。

 

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「みちづれ」三浦哲郎

2021-05-31 | 読書

自粛期間になったころ、本通りのアカデミィの100円コーナーで購入。短編集というよりは掌編ばかりが23編収められている。

初めの「みちづれ」は、青函連絡船から若い日に身投げした姉の命日に、船に乗り海峡の半ばで花を海へ投げ入れる彼。船室でひっそりとした風情の老婦人を見かける。彼女は小さな筒状の包みを脇の下に持ち、船室から出て長く帰ってこない。

彼が甲板に上がる時すれ違ったその人は自分の母親に風情が似ていると気が付く。母親は生まれつきの病気を苦にした娘が自殺するという悲哀を胸に抱えて生きていた人である。

彼と老婦人の悲しみが同調したところで短い作品は終わる。

作者の「白夜を旅する人」には実体験に材を採ったと思われる一族の悲劇を、その底まで下りて行って掬い取るように淡々と描いた長編である。それは他の作品にも何度も背景として出てくるので、知っている人も多い話だと思う。

余談だけど、小川洋子「妊娠カレンダー」の芥川賞の選評で、他の審査員が絶賛する中でただ一人、「奇形児を産ませようとする話に、私は抵抗感を覚えずにはいられない」と作品の良しあし以前の感情を吐露されていた記憶がある。著者の来歴を思う時、それは正当な意見で、何を描いてもいいのが小説だけど、人を傷つけるのはよくないと私も思った。

それに輸入グレープフルーツの中の農薬だか防腐剤に催奇形性があるとしても、何個食べればいいのよと思った。それ、今は改善されたのかな。

話がそれました。

この作品群は、日常からちょっと離れた人間関係に遭遇した時、人が戸惑い、その言動の中についその人の本質が現れる。その場面をとても上手に、達意の文章で、切り取っている。

「ねぶくろ」は75歳のおむら婆さんの、正月どこへも行き場のない話。同居の嫁からは実家へ帰るようにと追い出され、実家は甥の代になって居場所がない。幼馴染の家に泊まることにしていたが、その家も息子が結婚して孫まで生まれ、布団の代わりに寝袋を出される。初の寝袋体験、さなぎのような姿になっても遠慮のないのが一番と除夜の鐘を待つ。

切ないですねぇ。面倒見てもらおうと、うかうか同居するなということですね。どうしても若い人の暮らしの都合に振り回されがち。私も絶対に息子一家とは同居しない。深い教訓を得ました。たまに触れ合うだけで充分。自分のお金は介護その他で使い切る。残れば遺す。

最後は、発表当時に読んだ記憶がある「じねんじょ」。これは生き別れの父娘が初めて会う場面である。店で待ち合わせた実父は実直そうな年寄りだった。まず何を頼むか相談する。「父ちゃんは?」と自然に口を突いて出る。

開口一番、父親は「怨みでもあらば、なんでも喋れや。」と言い、娘はかぶりを振って無言で父親と同じクリーム・ソーダを飲む。

いいなあ、この場面。離れていても肉親は肉親。一瞬にして親子の空間。いたわりいたわられ、許し許される得難い関係。

父親は土産に自然薯を持って来る。畑で掘ってきたという。先まで折らずに、丁寧に掘りだしたという。あっさり別れた後ですぐに、自然薯は下を向けて持たないと栄養が抜けると言いに戻ってくる。

若い時にももちろん素晴らしい短編と思ったけれど、今読むと一層、肉親のありがたさにウルっとする。それだけ私もいろいろな体験をしたということでしょうか。

そして最後にこの作品が来て、生きる勇気をもらえ気がして、全体がうまくまとまっていると思った。

下に書いた山田氏の作品もいいけれど、人の悲しみ、その中での生きる希望を書くのはこの作家の右に出る人はいないように思った。たまにはこんな作品読んでしみじみするのもいいと思った。なにしろ100円です。110円だったかな。110円で覗き見る人の世界のあれこれ。

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「空也上人がいた」山田太一

2021-05-31 | 読書

今の時代の、年寄りを描いた作品が読みたいと思っていたら、姑様の本の中にたまたま見つけて、155ページと短い話なのですぐ読了。

著者は元はシナリオライターで、「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎たち」などの名作を書き、後に映画の脚本家、小説家へと転身した人。

話の転回がテンポよく、面白く仕上げて飽きない。

登場人物は、20代の介護職中津草介、40代のケアマネ重光雅美、そして80代の自宅介護を受ける吉崎征二郎。

草介は一瞬の腹立ちで、認知症の女性入所者を車いすから放り出し、女性は6日後に死ぬ。施設は事故として処理するが、草介は仕事場を去る。そこへケアマネの重光さんが、自費で自宅介護を希望する吉崎さんの話を持って来る。

吉崎さんは資産家で身寄りがいない。車椅子だけど、トイレは自分で行くし、入浴はは湯船の出入りだけ人出が必要で、あとは自分でできる。食事は作ってもよし、初めはレストランや料亭の豪華な宅配を一緒に食べる。頭もしっかりしている。

報酬は月25万、楽な介護だと思っていたある日、京都へ行って六波羅蜜寺の空也上人を見てくることを仰せつかる。なぜに空也上人?

空也上人の像を下から見ると目が生きているようで、自分のしたことも見透かされている気がする。吸い込まれそうな存在感に体が震えるが、感動しろと強制されているようで反発心も芽生える。

吉崎さんは、ケアマネの重光さんに一方的に恋心を抱いていて、自分ではそれを成就できないので、草介と結婚すれば二人に全財産を譲ると言い始める。激しく反発する二人。

それがだめなら、自分の前で深い仲になる行為を見せて欲しい・・・こんなこと言い出すなんて、常識的にはまともではないけど、老人の妄執のすさまじさをうまく描いていると思った。

吉崎さんには中年のころ、自分の不注意で、ある死亡交通事故を引き起こしたと思い込んでいる。事故の10年後に京都で空也上人像に出会い、裁かれるのではなく、心の痛みを分かって一緒に歩いてくれる姿だと感じる。それを利用者を死なせた草介に見せたかったのだと話す。

四日後に吉崎さんは自殺しているのが発見される。草介は実家へ帰るよう言われていて、第一発見者は前もって呼ばれていた重光さん。事件性がないと分かり、二人が立ち会っただけの通夜が自宅で執り行われる。その席で、二人はお互いの思いに気が付き・・・

うーーーん、よくできている話だと思った。80代になり、人生を振り返ってし残したこと、これからしたいことなどに気が付き、思うように人生を閉じる。そして結果として、二人に生きる道筋を与えている。年寄りの徳、というようなことを考えた。

老人の悲しみ、中年女性の寂しさ、若者のやるせなさ、どれもよく書けていたし、読みやすくてよかった。


余談ながら、車椅子にはシートベルトがない。姑様の車椅子を押す場面が度々あった時、なんでかなあと思ったけれど、もし坂道などで動き始めたとき、とっさに人間だけを救い出すためかなとも思った。でも、段差などで操作を誤ったら人間だけが放り出されることもあるわけで、今思うと、人の親、何事もなくてよかったと胸をなでおろしている。

姑様の荷物の整理と部屋の片づけは遅々として進まない。でもよほど頼まれたら考えるけれど、私は手出ししない方がよさそうです。捨て方が、たぶん躊躇なくて、その姿に釈然としなさそうで。いえいえ、アクセサリーなど、何度も持って帰ってと言っても置いてある。気が変わるといけないので預かってるけど、どうしたらいいのでしょうか。

 

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「0葬ーあっさり死ぬ」 島田裕巳

2021-05-08 | 読書

宗教学者の著者が、日本の葬式の歴史をたどり、これからの葬式と墓地の在り方を提唱。

日本人の死生観、宗教観を交通整理し、今の時代にふさわしい新しい方法を提唱している。いちいちうなずくことばかり。

人は=私は自分の見たことと、親、祖父母に聞いたことがずっと昔から行われていたと錯覚するけれど、そうではなくて、あらゆることが時代とともに変わっていくのと同じように、葬式、墓制も変わってきた。

今の都会では高価な墓地を持たない人が多く、各家庭にひっそりと置かれている遺骨は百万柱にのぼるとの著者の推計。電車内の忘れ物にもご遺骨があるそうだけど、忘れるはずがない。忘れているふりして放置するのではと私はひそかに思う。

葬式も簡単にできるそうで、葬儀屋のペースに巻き込まれるのは愚かなことと思った。棺桶もネットで売ってるそうで、それを火葬場に持ち込み、遺骨は灰にしてもらって処分してもらう。持ち帰らない。究極の葬送の方法、絶句し、かつそんなことができるのかと驚いた。

共同体がなくなり、少子化と未婚者の増加で家の継承も難しくなった今、今生きている者に都合がいいように変えて行っていい、私はそう思った。

墓の草抜き、大変です。木もすぐに生える。いつまでできるかは分からないけれど、息子たちのためには今の墓地を止めて簡単な方法を考えないと。

現在の遺骨の処理、この4種類があるそうです。

1. 墓地埋葬
2. 樹木葬
3. 散骨
4. 0葬

私は2が希望。今の墓石は整理して(撤去して)好きな木を植える。骨壺は腐らないので晒に巻いて遺骨を地中に埋める。好きな木を植えてもらいたい。

何がいいかな。あまり大木にならずに花の咲く木がいいけれど。


追加として、両墓制は土葬していた時代の名残だそうで。

私が見たのは香川県の志々島。

土葬した場所へは墓石置けないので、有力者がお詣りする為だけの墓を家の近くに作る。つまりは仏壇とお墓の間みたいな詣り墓。

共同墓地に小さな祠のような詣り墓が並んでいる。

埋め墓も今は火葬にするので普通のお墓のように見えます。

島は殆ど人がいなくなって、このお寺もすでに無住。人がいなくなって、その気配だけが残っているのは胸に迫るものがありました。


西日本では遺骨の一部だけ骨壺に納める。東日本では全部入れる。エッと驚きました。その境は糸魚川静岡構造線だそうで。不思議ですね。

だから東京の人は大きな骨壺を納める場所に苦労するらしく、墓地も高いのは一千万以上。どう考えても今までの葬送、墓制では無理ですよね。

本当にいろいろと考えさせられる本でした。

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「阿弥陀堂だより」南木佳士

2021-05-06 | 読書

久しぶりに小説らしい小説を読んだ。金座街の古書アカデミィで110円で購入。

1995年3月発表の長編。

映画にもなったので

amidado dayori 2002 trailer - YouTube

ご存知の方も多いと思うけれど、肺腫瘍の専門医の妻と、小説の新人賞受賞後四苦八苦する夫が、体調不良と都会の生活に疲れ、夫の生まれ故郷に戻り、美しい自然と素朴な人情に触れて再生する物語。

ストーリーもちゃんとしていて、医師でもある作者は医療の部分の描写も的確で(たぶん、私は素人なので)、安心して読めました。そして人は結局、自然の中で人とのつながりで生かされるのだと、作者の強い確信を感じました。

1995年と言えば阪神淡路大震災の年、書かれたのはその前だと思うと、あれから続く天変地異に事件の数々、感染症の広がりは、その心のよりどころさえ頼りにならない時代になったのかと、殺伐とした思いにとらわれます。

帰るべき美しいふるさとも人情も、もうこの国には残されていないと結論付けるのは早すぎるけれど、わずか四半世紀前の作品なのに、とても昔のことのように感じてしまう。

時代は逆に向いては流れない。新しい時代の、コロナと天変地異の時代の新しい再生の物語を読みたいと思った。

作者は、私の遠縁の友達のお兄様、一度だけ消息を聞いたことがある。たったそれだけの御縁ですが、遠い知り合いと勝手に思っています。

作者自身、助からない患者さんを見続けて心身不調になられたと、何かで読みました。もう回復されたのでしょうか。世界中の病気のニュースを見るにつけ、生きて成長するものを見て元気になりたいと、しみじみと思う。

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「コロナと生きる」内田樹 岩田健太郎

2021-05-03 | 読書

この本は昨年の5月、6月、7月に対談したのをもとに9月に出版。

その時期は流行の第一波が、完全ではないけれど収まっていた、今思えば凪のような時期。気を付けつつ、この時代を生きていこうという論調。なんか昔日の感がある。

内田氏は仏文を出て幅広い著書をたくさん持つ思想家。岩田氏は昨年のダイヤモンドプリンセス号のとき、世間から注目された感染症の専門医。

【news23】岩田教授 見たクルーズ船の“内部” - YouTube

二人は神戸在住で、普段から交流があるとのこと、忌憚のない意見が面白かった。

特に岩田氏は事実に基づかない政策の立て方、非能率な役所の仕事の仕方、誰も責任を取らない日本独特の感染症対策などに、アメリカで勉強してきた立場から鋭く切り込む。

内田氏はコロナであらわになった社会の矛盾をどうとらえ、どう生き延びていくかに言及する。

二人ともめちゃくちゃ頭いいと思った。頭のいい人の言うことは筋が通っているのでよくわかる。

たいていの人間は、コロナの流行という大きな出来事を前にすると、今何が起きているのか理解できず、従って自分か何をしていいかもわからずに右往左往して的外れな言動をするか、はたまた固まってしまって何もできないのではないだろうか。私もそっちへ入るので偉そうには言えないけど、私の愚かさは私が被害を受けるだけなのでまあ引き受けるけど、これが政治家、官僚だとどうでしょうか。

和をもって貴しとなすこの国では、何もない時は何とか回っていても、コロナ禍の時代には冷静に判断し、果敢に政策を打ち出し、その結果も引き受ける気概を持った人物が出てきて欲しいもの。残念ながら、私の知る範囲ではあまり見当たらないのですが。えらそげですみません。

この対談当時、まさか今のような事態は想定していなかったと思う。

第二波は来るかどうかわからない。ワクチンは出来ないかもしれない。その両方とも外れた。ワクチンはいい方に外れたけど、いつ打ってもらえることやら。7月末をめどにって、それはオリンピックと絡めての発言でしょうか。

この中では感染者を徹底的に洗い出して治療するのを繰り返す。徹底したロックダウンで人の流れを止める。抑えるにはそれしかないと強調している。その単純なことが未だにこの国では、なぜできないのか、大いに疑問に思った。

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「山を買う」 神崎剛

2021-04-26 | 読書

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只今ベストセラー一位だそうで。ハンディな新書ながら、山の買い方から実際の購入者へのインタビュー、環境問題、自然保護にまで言及して、なかなか読みごたえがありました。

まず驚いたのは、山の売買の仲介に国の資格は要らないこと、農地と違って山は誰でも買えること。私は安いのは特に驚かなかったけど、著者はそこのところを強調している。きっと、意外に思う人が多いのでしょう。

コロナが流行ってから、山を買うのブームだそうです。きっかけは、あるお笑いタレントが山を買って一人でキャンプする姿を動画配信すると、7千万以上のアクセスがあったそうで。

在宅勤務が増え、毎日出社の必要がなくなった人には、田舎に住むのも選択肢の一つ。みな心の落ち着く場所を求めているのだと思う。

実際に山を買った人のインタビューも面白かった。キャンプ場を経営する。田舎暮らしがしたい、投資と目的はいろいろ、でも皆さん満足している。場所によっては整備が大変で、それも楽しめる人が山を買うのでしょうが。

最後に、山は個人の持ち物ではあるけれど、他の持ち主の山と共に一つの環境を作っている。そのための適切な管理は必須。条件が悪いと管理にもお金がかかる。と言うことで、買うのは若い方がいいようです。定年退職の時期が最後のチャンスでしょうか。

山、登るのは好きだけど、自分が好きにできる山があるとどんなに楽しいことでしょう。山、欲しいなあ。でももう無理なので、この本を読んで心を慰める。狭い庭の木を切ったり落ち葉を掃いたり草を抜いて、ささやかに自然と触れ合う。

で、嬉しいことには先日、タケノコ堀りの後、墓地を整備したら、その後ろの敷地が案外広いことに気が付いた。後ろはずっと藪になっていたけれど、元々は平坦な土地だったのです。休憩小屋が一つ建つくらいは広さがあります。

まだお姑様の山だけど、あとは恐らく長男の夫が相続?

そうなったら遠慮なく狭い山で遊びたい。

山を買いたいと検討されている方、そうでなくて山へ行くのが好きな人も楽しく読めると思います。

 

 

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「ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか」熊谷徹

2021-04-24 | 読書

著者は元NHKの記者でワシントン支局に勤務。1990年にフリーになってドイツミュンヘンに住み、ドイツ、ヨーロッパに関する政治経済などの著書多数・・・という経歴の人。

これはたくさんの著作の中でも、分かりやすく短く書いた新書ではないかと思う。

長いタイトルは、読者への問いかけ。確かに日本で290万の年収は低い方になると思うけど、ドイツ人はそれを不満に思うことなく心豊かに暮らしている。なぜか。それを考えることで、合わせ鏡のように日本人の姿も見えてくる仕掛け。

著者はNHK時代の若いころ、忙しい仕事の合間にブランドものの高価な洋服を買うのを趣味の代わりにしていた。ドイツに住み始め、フリーになって時間ができるとお金を使ってストレスを解消しなくても楽に暮らせるようになったとか。

ドイツでは一日10時間以上の仕事は法律で禁じられている。休暇は30日、残業をした分を10日までの休みに換算もできるので、土日合わせると勤め人は150日は休んでいる計算になる。それでも経済がまわっているのは時間当たりの労働生産性が高いからだそうで。

要するに短い時間で効率よく仕事をしていることになる。

それからドイツ人は質素で外食などはめったにしない、日本なら業者に頼む家の修理なども、簡単なものは自分でしてしまうなど、お金をあまり使わないそうで。

それよりは長期休暇でゆっくり過ごすことに価値を置くそうです。

この本読むと、丁寧な接客、過剰なサービスが結局はものの値段を高くしているのかなと思った。それを買うために残業をして、休暇をけずってコマネズミのように働く日本人。質素でもいいから、便利でなくてもいいからゆっくり暮らす。それもいいかなと思った。

私自身は老境に差し掛かって若い時のように服や身の回りのものが欲しくなくなったのは、時間に余裕ができて好きなことしているからかもしれない。お金もあまり使わない。若い時から心の余裕と言うことを考えて暮らしていればよかったのだけど、なかなかそうもいかない事情もあり。。。。

お金にとらわれないゆったりとした生き方、人と比べてあれこれ考えずに足るを知る。この本読んで、これからはそうなりたいと思った。


ドイツは半日立ち寄ったのも含めると三度行った。

印象は・・・

街がとてもきれい。

物価が安い。

贅沢品は殆ど売っていない。

などでしょうか。

ツアーバスの窓の掃除の仕方でその国が分かる。ドイツのバスの窓ガラスはピカピカ。きちんとした国民性。それが暴走するととんでもないことになるけれど、反省するのも徹底している。

ドイツで買ったもの、このブログから探してみました。旅行自慢で恐縮ですが、よかったらどうぞ。

ミュンヘンのスーパーLidleで。3.99ユーロ。

2012年11月には1ユーロが100円くらいなのでこのチョコは400円という安さになりますね。

こちら息子に渡したので開けてないけど、窓のところだけがチョコではないと信じたい。1.99ユーロ。

ドレスデンのシュトーレン専門店で。

大10ユーロ。小5ユーロ。だったかな。忘れた。。。。としても安い。

レーゲンスブルクのショップで。色がきれい。デザインシンプル。

値段不明。

パンは一個25セントから。

大きい食事パンもこの値段。

ワインも2、3ユーロ。大衆品とは思いますが。

粉末のスープの素。一袋35セント。当時で35円前後。一袋で10回分くらいありました。

ジャガイモ団子の元。1.99ユーロ。ハイデルベルクのスーパーで。

パンに塗るムース。鶏肉とかツナの味。0.99ユーロ。

カモミールティーのティーパック25個入り、49セント。一箱が当時で50円くらい。

レジはベルトコンベアで流れていく。計算終わったら自分で素早く自分の手持ちの袋に入れる。もたもたしていると恥ずかしい。

今は1ユーロ131円くらい。それでも生活必需品は激安。

ドイツで付加価値税率は食品などは安く、贅沢品は高いと聞きました。日本も食品は消費税を安くしていただきたいものです。


旅行に行くとスーパーマーケットを覗きたい私。そこに暮らしのすべてがある。ミュンヘンで、アラブ系のブルカをまとった老婦人にレジの順番譲ってもらったことも。

日本人=私は恥ずかしがり屋でコミニュケーションの取り方が下手だけど、人間はこちらが心を開いて行けばそう悪い反応は帰ってこない。

きょうはあちこち話が飛んでとりとめなくなりましたが、週末ということで何卒ご容赦を。

 

 

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「人口減少社会の未来学」 内田樹編

2021-04-15 | 読書

親本は3年前、つい最近文庫化されたようです。

大変面白く読みました。

11人の論者がそれぞれの立場から、これから迎える人口減少社会を考えています。

初めに編者の内田氏が、人口減は不可避であること、それに見合ったシステムを考えるべきと、提言しています。

人口減を資料を基に考えるのではなく、気分で考え、子供が減ると企業が困る、国が困るという発想では女性を出産と子育てに向かわせることは難しいと、複数の人が言っている。

また少子化問題は、東京で最も深刻なこと。東京では出生率は全国でも特に低く、老人の人数がずば抜けて多い。地方も子供は少ないけれど、老人も少ない。老人のなり手がないそうで。確かに。

東京で家庭を持ち、子供を育てるのがどれだけ大変か、身近な例でも実感する。一人は40代半ばでいまだ未婚、もう一人は家賃が高すぎて一家で実家に帰ったけど、お婿さんが田舎の暮らしに馴染めず離婚になったとか、そんな話ばかり。

岡山県の津山市に隣接するある町は出生率が2.8と全国一だそうで、注目されている。この街では徹底して、若い女性が子供を育てやすい施策を行い、文化的な環境も整えている。仕事は隣の津山市へ。

子供を安心して育てられる町は女性に好かれる街だそうです。

極端な例として、東北のある地方では葬式は男性が御馳走食べてお酒飲んで、女性は座る間もなく働くそうで。

ある人は父親の葬儀にも帰らなかったそうな。悲しむ間もなく、女が働かされるからと。

女が子供を産む道具、子育てして家を存続させて当然では少子化はとまらない。これは同意する人も多いと思う。また日本では正式な結婚以外で生まれた子供に対しての援助が少ない。親の法的関係には関係なく、その子に援助すると言う仕組みになってほしいと私も思った。

世の中も家族制度も不断に変わり続ける。少子化は誰にとっての問題?

人口の多い私たちの世代が死に絶えると、案外バランスの取れた社会になっているかもしれない。

いろいろな制度を、結婚して子供がいるのが当たり前から、いろいろな生き方に対応する方へと変えていくべきだと思う。

誰もが自由で幸せに暮らせるように、それが結局は人口問題なのかなと、愚考した次第です。

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「農民になりたい」 川上康介

2021-04-04 | 読書

10年以上前の本。金座街の古書店アカデミィで、100円で買った。

先日、合同展の搬出の日に八丁堀でバス降りて急いで買って、あとは徒歩で会場に。

さっさと歩ける有難さ。同世代の人、みんな歩くのが遅くなっている。私はまだ何とか尾道の山も上がれるし、せいぜいあちこち出歩いて脚力をキープしたいもの。といってもまだこの歳、歩けなくなったら後の人生、不便で辛すぎる。


この本はサラーリーマンとか異業種から農業に参入した人の体験談をまとめたもの。

どれも面白かった。

長い間、なぜ若い人が農家を継ぎたがらなかったのか。

それは親の言うままに働き、きちんとした給料はもらえず、結婚しても妻も只働き、それではせっかく農地という資本がありながら、主体的に働く気が初めから起きないというもの。妻ともども賃労働に就いた方が、まだしも労働者としての権利が守られる。

御先祖からの土地を次に伝えるべきという精神論だけでは農家は続かない。長年にわたる農業の衰退はこの前近代的な経営方法が最大要因、と私は思う。加えて、流通と消費が世界規模に広がり、安い農産物が海外から輸入されるようになったことも大きい。

では日本の農業に勝機はあるのか。私はあると思う。しかしそれは細く困難なトンネルの先の、全く違う景色としてしかイメージできない。

この本の中の人は皆、自分の考えで働けることにサラリーマン時代とは違う喜びを感じている。また、米作は従で、野菜、果物などの商品価値の高いものを作り、販路も自分で開拓していること。

米作りは水利権が複雑で、使う農業機械も高価で、素人がいきなり参入するのにはハードルが高い。それに農家になるには農地委員会の審査が必要だったのではと思う。これは戦後、寄生地主を排除するための仕組みだったと思うけれど、本気で農業したい人にはもう少し融通を効かせてもいいと思う。

この本の中で、サラリーマン時代より収入が減った人がほとんど。それでも生きがいがあると自己肯定感は強いけど、さらに収入も安定し、高収入になれば言うことなしと思う。

経営規模が小さいのは日本農業の宿命。とすれば、日本国内でしか作れない付加価値の高い商品作物を作るしかないのでは。

農家の子供が親の働く姿を見て、農業に誇りを持ち、農業をやりたいと思うようになってほしい。また家が農家でなくても、農業ができる仕組みを作らないと、日本の食糧自給の未来は暗いのかなと思う。

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「地形の思想史」 原武史

2021-03-30 | 読書

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なかなかに面白い本でした。

日本全国七つの場所へ実際に行ってみて、そこに立ち上ってくる先人たちの気配を感じ、地形と人の関りを考えています。

作者の心は天皇制に親和性があるらしく、いくつかの章はその場所に、天皇、皇族の足跡をたどっています。

章立ては以下の通り。

「岬」とファミリー(浜名湖近辺)
「峠」と革命(五日市から大菩薩)
「島」と隔離 (瀬戸内の二つの島)
「麓」と宗教 (上九一色村から富士山の麓の宗教施設)
「湾」と伝説 (三浦半島と内房)
「台」と軍隊 (大山の麓の相武台)
「半島」と政治 (大隅半島)

私が最もインパクトを受けたのは、岬の物語。今の上皇一家が皇太子時代、いわゆる御用邸ではなく、民間企業の保養所に滞在して夏を過ごしたこと。家はごく普通の和風建築。家族と、時には未亡人になっていた皇太子の姉を伴い、家族水入らずで、地元の人と普通に交流して過ごしていたこと。今の天皇がユニフォーム借りて、地元の子供たちと野球ゲームしたことなど。

ほほえましい話だろうか。いえ、私は胸が痛むのです。天皇と一口に言っても古代と現代では生身の人間の暮らす時代が違う。生身の人間を制度の中に閉じ込めていいのかと。

普通に暮らすのが難しく、それをつかの間体験できることに喜びを感じる家族がいることにショックを受けた。庶民の私は家が広く庭も広かったらゆったり暮らせると思うけれど、広い御殿に住む人は、お互いの気配が感じられる狭い家で肩寄せ合って暮らすのに憧れるらしい。大原のベニシアさんもそんな話していた。

で、胸が痛むことと、そんなに苦労されて国民のことを常に考えてくださると思うことは容易につながっていく。これが天皇制の空間。天の下知らすめす皇尊の下、世は今日もことなしの空間。

天皇制のフィルターで景色を見るのは、このほかにもあちこちで見られる。

第二章の峠の話、歴史上、追い詰められた集団は東京都を流れる川に沿って山襞の奥深くへと入り込み、そこで再び都へ打って出る機会をうかがう。私の若い時、連合赤軍のグループが大菩薩峠で捕まる事件があったけれど、自由民権運動が先鋭化して同じ場所へと逃げ込んだ歴史を思い出していた。

なんで同じ場所かと不思議だったけど、東京と山梨の間の山はとても険しく、容易に超えられないと同時に谷あいに人が隠れるにはいい場所なのだと今回初めて知った。

連合赤軍が捕まった登山客の宿泊所に、今の天皇が皇太子時代、休憩で立ち寄ったのは、どんな人にも目配りを忘れないからと本書にはあるけれど、私はたまたまではないかと思う。ご本人に聞いてみるのが手っ取り早いけど。

半面、峠が低いと、歩いて移動する昔の人は今の時代に想像するよりもずっと容易に交流する。好例が八王子と五日市。五日市は低い峠で八王子と、八王子は絹の取引で横浜とも行き来があったとのこと。

明治憲法のできる前の民間の憲法試案が、五日市の旧家に残されていたのが50年くらい前に発見された。

民主的な内容を含むその憲法に上皇后が皇后時代触れている。私はあの時、ピンポイントでなぜそのことを言うのかと思ったけれど、その前に見学したらしい。また安部の改憲の動きに釘をさす意味もあったとか。それは感じましたね。政治的立場を表明できないので、あえて違う言い方で思いを伝える。

改憲は講和条約の後から延々言い続けて、言うだけで、その先には進んでいない。本気でするなら本気で議論を始めなければならないけれど、支持者向けの選挙対策にしか結果としてはなっていないように見える。内輪受けすることを話しているだけではだめ。考えの違う人を説得するだけの理論武装、してください。

そのほかの章も、紀行文として読んでも面白いし、まだまだ戦前の残滓が残っていることを知ることもできた。

天皇制、日本国民はこれからも選択し続けるのだろうか。男系で続いて行くには生物学的リスクが多すぎ。そのためにお妾制度、釣り合う家柄をキープし続けるための貴族制度(日本では華族制度)で補強しない限り、無理は明らか。

女性も天皇にとなれば、法律改正して継承順位も決め直すのでしようか。ハードルいろいろ。いろんなこと言う人が入るし、まあ、私が心配してもしようがないけど、皇族の厳しい暮らしをこの本では知りました。

現天皇が浜名湖の、子供時代の思い出の家を再訪してとても懐かしそうにしていたらしい。田舎のない人の、それは懐かしい田舎の家なのでしょう。しみじみ。

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「ドイツ流掃除の賢人」 沖 幸子

2021-03-21 | 読書


生活評論家。ドイツ、イギリス、オランダで生活マーケティングを学ぶ。
特にドイツでの経験から、簡単な掃除を提唱する。
その心は、使う度にちょっと一拭き、汚れる前の掃除で気分すっきり、元気が出て幸せになるそうです。

なるほど。

毎日の暮らしに片付け、掃除を組み入れ、1回に15分以上しないのも長続きするコツだそうで。
あちこち出歩いたり、ものを買うのが幸せではないと改めて気がついた次第。

これからの私、生まれ変わった気持ちで頑張ります。
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「性からよむ江戸時代」 沢山美果子

2021-03-13 | 読書

なかなかに面白い本でした。歴史を人々の性生活から見るという新しい切り口。

もちろん、今も昔も自分の性生活を克明に記録するなど稀。史料は乏しいけれど、唯一と言っていい例外が小林一茶。52歳での遅い結婚の後、家の存続のために跡継ぎを切望する。夫婦生活を詳しく記録し、合間には山へ行って精のつく山野草の採集。

でも子供は立て続けに4人が乳幼児期に死亡、妻も30代の若さで亡くなってしまう。家を存続させるための涙ぐましい努力。俳人一茶のもう一つの顔が面白かった。

一晩で5回って、日記だから話し盛る必要もないとすれば、そこまでするのは家の為?何の為?

江戸時代と言っても期間が長く、地域もいろいろ。この本では通史ではなく、たまたま残っていた史料をもとにいくつかのテーマについて書かれている。

一茶のほかには、離婚後に生まれた子供を巡るもめごと、難産に活躍する医師と産婆、江戸時代の性産業の実態、性を巡る幕府などの政策。

私の今までの認識は、東北の間引き習慣、吉原の遊女を出るものではなかったけれど、江戸時代でも結婚、出産に支援した藩では間引きが行われなかった事例もあったそうで。

結婚の支度金、家、農地、年貢免除、そしてオシメ代と至れり尽くせりは米沢藩。寛政年間の改革後、人口は増え続け、幕末の男女の性比は現代と変わらないそうで、女子の間引きがなかった一つの証拠だとか。

末尾で、著者は「江戸時代の性はおおらか」との通説を問い直している。

仲人を立てた結婚のみが認められ、家を存続させるため、結婚と性と生殖の一致する性規範、それから外れた性売買は差別されつつ、大衆化していく。

性とは生き方の根幹にかかわること。自分が自分らしく生きるための性ではなくて、家や社会、国の為にが優先された時代もあったわけで、これは私たち世代の若いころはまだ残っていた意識だった。

恋愛はまかりならん、商売を継ぐための養子をもらう、と父親から厳しく言われたのは私の友達でした。

また家を継ぐ男の子を産んでやっと安心したと、何人からも聞きました。私自身、口には出さないけど、私もまたその規範の残滓に縛られていたのでしょう。男の子が三人で、前の世代に喜んでもらえてよかったという。。。。

広島で「性を大切に」という啓蒙活動をしている女性産科医師がいます。今は性の規範が緩くなった結果、却って女性が粗末に扱われる場面もあり、自分を大切にする必要性を訴えています。

小林一茶・・・三人目の妻の妊娠中に亡くなりますが、その子が養子をとって家は続いたそうです。望みどおりになったということですね。

 

 

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「主婦病」 森 美樹

2021-03-05 | 読書

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久しぶりに書店へ行き、正価で買った文庫本。たまには行くものです。全然知らなかった作家。1970年生まれ。少女小説でデビューしたそうで、官能的な作品が多いという。

面白かった。難しく疲れたその先にかすかな光明のように自分の知見が開かれる小説もいいけれど、(苦労した分偉くなったと錯覚する)読みやすくて、人間の、女性のエロスの深いところまで下りていく作品。

短編集になっているけれど、登場人物は重複し、主役になったり、脇役になったりで、全体として一つの小説になっている。

主役はみな女性、結婚しても子供がいなかったり、子供がいても、夫がトランスジェンダーであるのを知った後の苦悩とか、夫に女として相手にされない寂しさとか、体を持つ女の、その体を持て余すどうしようもなさがよく書けていると思った。

男性には書けない作品。女性の隠された欲望を知りたい男性には必読の書と思いますが、怖くなるかも。

エロいし、それはまあいいとして、時々劇画調になるけど、くっきりと場面が浮かび、展開も早いので読んで面白い。

女が男と出会って深い仲になり、子供を産んで育てる。人生とは言ってみればそれだけのもの。で、何よりも大切。太宰治が「斜陽」の中で女主人公に言わせています。

しかし、女の欲望、不満も千差万別。でも日常生活ではまず口にしない。そのいろいろがここにはあります。自分に似た人がいるかもしれない。女の人生を深く知りたい男性と女性におすすめです。

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「日本の伝統」という幻想

2021-03-04 | 読書

20年以上前に読んだ上野千鶴子著「近代家族の成立と終焉」の中で、すべての時代を貫く伝統というものはない、前の時代の都合のいいところを出してきて、伝統という名で利用しているに過ぎない…という意味のことがあった。

その時はなるほどと膝を打ったわけです。家族制度も時代によって変わり、そもそも家族という言葉の意味も時代とともに変化していると最初に問題提起していたと思う。

先日、夫が読んでいた、鉄道会社が作った初詣みたいなタイトルの新書があった。そもそも昔はお正月に神社にお参りなんかしてなかったそうで、鉄道会社が観光のオフシーズンに「電車に乗って初詣」のキャンペーンを始めたとか。

伊勢神宮、川崎大師や成田山新勝寺、あと全国のいろいろな神社へ鉄道を利用して初詣するのは大正頃から・・・うろ覚えですが、の割と新しい伝統。 


この本でも、昔からの習慣と何となく思っていることの多くが、案外新しく始まったものであると解き明かしている。

なぜそんなことが起きるかというと、商売のタネにするため、または昔からの伝統と言って人に言うこと聞かせるため。何かしらのメリットがあって前の風俗習慣から都合がいいところを取り出し、利用しやすいようにアレンジしたもの。それが伝統の実態と言われると、なあんだと拍子抜けするというものである。

この本の結論は「日本古来の伝統」と言われるものは変えていい。「昔からそうやって来た」かどうかは不明。「伝統的な文化・しきたり」は絶えることがある、それを今楽しむだけでいいのではと、うまくまとめてくれている。

分かりやすくて、ものの見方が風通しがいい。気にしなくていいということでしょう。


さて、この私も長く生きてきたので、その間にも「伝統」は激変したと思う。まずは冠婚葬祭。カジュアルに、簡素になったと思う。

初詣、実家では全然したことなかったのですが、結婚する前、広島へ遊びに来て初めてお正月に護国神社へ行くと、女性はほとんど着物着ていました。50年位前です。私は着てなかったけど。小紋、中には訪問着の人も。その頃は自分で着物が着られる。着られなかったら家族が着せる。それが普通だったのでしょう。

40年くらい前の姑様の着付けの本見たら、若いミセスは紅絹裏の留めそでがいいとか、名古屋帯も角出しのいろいろな結び方があって驚きました。伝統と思っているものも激変する。

この本では触れていませんが、近代の統一国家を作る要に、古代からの天皇制をリニューアルして持ち出したのは日本的特性。天照大神から続く万世一系って、戦前は学校で教えていたんですよね。天皇家はずっと神道と私はある時期まで思っていましたが、近世以前は仏式で葬儀を営み、泉涌寺が担当でしたよね。嵯峨の二尊院にも宮中の法事に行くときの駕籠というものが展示されていました。

頭を柔軟に、歴史の中で作られたもの、自然発生的にできたものも、時代と暮らしに合わなければ、変えていく、変わっていくでいいのでは。

普通の庶民がストレスなく暮らせる世の中が一番いいのではと思います。

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