比治山、元は広島湾に浮かぶ島。長い間の土砂の堆積と近世以後の新田開発により、陸地に取り込まれ、今は市街地の中の貴重な緑地帯。
谷あいには墓地も多く、軍関係の墓地も今は陸軍墓地にまとめられている。そのほかに日米で共同研究する放射線影響研究所、テレビ塔、公園、広島市現代美術館などの諸施設も。
西側、爆心地に向かう部分は焼けたそうですが、今は森になっています。反対側はさらに大きな木がありますが、きょうは行きません。
比治山トンネルの西側、山すそに自転車停めて右の、放影研方向へと上がる。
古い砂防ダムと、古い墓石。すでに無縁となっているようです。
句碑あり。
日露戦争に従軍記者として参加した子規は、広島から出航する前、しばらく滞在したそうです。その時、故郷の松山へも帰省したとか。
季節は春だったのでしょう。
子規が見た同じ場所から。百年後の眺め。
タワマンは広島大学の跡地に。今も二部と通信制は残っている。
山野草を探しに行ったのですが、わずかにこの花が。
ソバのようにも見えますが、ソバは秋だし…何でしょうか。
現代美術館へ向かいます。
現代美術館へと続く雲霓橋。うんげいとは下を広く見渡すという意味らしいけど、名前の付け方が古風。
名前も歴史遺産と言うことで変えない方がいいけど。
カナメモチ。
現代美術館は只今改装工事中。あと2年くらいかかるらしい。
美術館前の展望台への道。
ムーアの屋外彫刻あり。
トキワツユクサ。
冬でも葉があるのでこの名前のようです。外来種。
ついでに狭い庭の花を。
出たついでにケーキを買う。
一つは同居する人に。
夕食後、ケーキ食べて、お餅食べていた。餅は別腹だそうで。
パン焼き機で簡単に餅搗きができるこの時代に感謝。
昔は一人ではできないし、大変でした。
午前中は地区の人たちとのお茶会。コロナが急に広がっているのでしたくなかったけど、感染拡大もあれよあれよという間だったのでとりあえず用意した。
早く解散と提案するも、月に一度の人と話をする機会だからと、いつも通りに残る人がほとんど。皆さん、一人暮らし。話したいのでしょう。まあ分からないでもないけど。
コロナに関する用心深さは人それぞれ。私は割と気にしない方と思っていたけれど、まだまだ上がいる。来月はお菓子、お茶の用意だけして早々に退散しようかな。来月、収まっているはずはないと思うので。
夜は粗筬。
640本かけたつもりが500本。なんで?
8本ずつで一回転するので、8の倍数ならまだわかるけれど、500本。なんで?
70/10cmの筬に混み差しの予定なので、500本÷2÷7≒36cm・・・このくらいの幅の方が織りやすいかな。
昼夜織りは習い始めのころ、よく理解できず言われるままに織っていたので、イマイチ自信がない。
まあ、もう自分でするしかないので頑張りますが、久しぶりに先生の声が聞こえてきた。
「もうお、あんたらは数が数えられんのじゃけぇ」って。習っていた期間よりそのあとの方が長くなった。今でもお付き合いできることに感謝。
しばらくは外出を少なくして、家でできることで頑張ります。