我が家近くのバス停から、高速経由、呉まで27分で行けます。途中停まるのは天応西条だけ。
昨日、いいお天気だし、急に思い立って出かけることにしました。
音戸方面へ。左へ行きます。
美術館への坂道。
まずは入船山記念館へ。
チケット売り場に建物の来歴など。
コンドルに直接習った一期生4人の1人、あの辰野金吾の同級生、曽禰達三が設計したと考えられるけれど、地震で倒壊、今の建物は1906年に桜井小太郎の設計で再建されたそうです。
羽織袴姿のコンドルの写真が珍しい。
当時の工部大学校の講義はすべて英語と聞いたことがあります。
桜井小太郎はコンドルに習い、のち、18歳でロンドンに留学して本場の建築学を学んだそうです。
歴代の司令長官。勲章がたくさん。
海軍のマーク入りカップ。
建物は小さくて瀟洒、威圧感はありません。
広島の建築 arch-hiroshima|旧呉鎮守府司令長官官舎(呉市入船山記念館) (arch-hiroshima.info)
左右対象にしたら、平凡になるところをあえて左右でデザインを変えています。
屋根はスレート葺き。
玄関のステンドグラス。
見学者は裏口から入ります。
応接室。家具、カーテン、内装は復元。
メインの応接室。
ピアノは何かのイベントの時に使うようです。
食堂。
壁紙。
和紙に金箔を貼り、模様を型押しして作ります。日本で発明された作り方。
模様はウィリアム・モリス風。
天井も。
この建物は戦後占領軍が使い、その時ペンキ塗ったり、ベニヤ板張ったりしたそうですが、わずかに残っていたスイッチ裏などから復元したそうです。
建築当時の豪華さがよみがえりました。
食堂抜けるといきなり和館部分。長官一家の生活の場です。
こちらの方が広い。
毎日風を通すと建物はよく持ちます。
それにしても人がいません。学芸員と見学者一名だけ。
隣接する資料館で、金唐紙の版木が。
右を復元したもの。
金唐紙を使っている洋館は全国に12か所。
東京の岩崎邸など。中四国ではこの建物だけです。
続いて隣の美術館へ。
高橋由一から藤島武二まで 日本近代洋画への道ー山岡コレクションを中心にー
ヤンマーディーゼル創業者、山岡孫吉のコレクションだそうで、明治中期までのあまり知られていない作家の小品が多かったので、日本に西洋画が少しずつ根付いて行った流れがよく分かった。
西洋画はそれまでの日本画、浮世絵と違って、遠近感、陰影などを描き込んで一層リアルに見せる描き方。
画材、お手本が少ない時代に苦労した先人たちをしばししのぶ。
特に有名な鮭の絵、私は昨日までの何十年、背景の板は実際の杉板だって知らなかった。木目も描いたものと思っていました。
キャンバスも手作りしていた時代に、板に書いて、色も変わらずによく残ったもの。
やがて明治中期以後は、日本人の感性でこなれた表現ができるようになったのかなと。
印象派のように光を取り入れたのが大きい。濃い色の重厚なのばかりが洋画ではない。黒田清輝の人物画の輝く肌の色は新しい時代を象徴するものでした。
本展では父親の人物像が。忙しくて未完となったそうですが、顔はよく描けています。藤島武二、小磯良平と日本絵画のアカデミズムの流れがここに始まります。
他には浅井忠、青木繁など。
小山正太郎という名前は今回初めて知りましたが、名所旧跡でない風景画、軽快な色遣い、のびのびとしたデッサンの線など、今の時代に見ても全然違和感がありません。うまいなあと感動しました。
以前所属していた絵画サークルで、外国の世界遺産ばかり描く人がいましたが、題材が立派さと絵の良さは別。原爆を小説に書いたら無条件で褒められるのと同じ構造。
むしろ何でもないものを描くときにその人の力量が分かる・・・などと私の下手な解説はよろしい。解説はこちらをどうぞ。
高橋由一から藤島武二まで 日本近代洋画への道―山岡コレクションを中心に― | 呉市立美術館 (kure-bi.jp)
平日の昼間、美術館は数人しかいません。スタッフの方が多い。静かに鑑賞して静かに感動する私。
帰ります。帰るころ、数人の女性グループがやって来ました。
さて、帰りのバスまでまだ間があるので少し歩きます。
海上自衛隊の教育隊。昔は初年兵の教育施設があったそうで同じ場所を利用しています
。
鉄条網がアウシュビッツを思わせます。アウシュビッツはこれが二段構えで並んでいて、高圧電流が通してあったそうです。
橋渡って振り返る。
続いて桟橋前の建物の5階、展望室へ行きます。こちらも人は皆無。
海上自衛隊の船各種。向こうは造船所。
桟橋。
西方向。
隣は大和ミュージアム。
いまだ行ったことなし。今日も行かない。息子三人の母親は男の子が大勢で亡くなる話が嫌い。巨艦主義がもう時代遅れ、制空権もなくて沖縄に特攻出撃、途中で撃沈される。全然救いのない話。展示はそれだけではないと思うけど、見たくない。
広場のポセイドン像。奥は鉄の鯨館。潜水艦を利用。
遅い食事をして、しばらく待ってから帰宅します。
似島と金輪島。広島が近づいてきます。手前が海水浴場。
2018年の土砂災害で道が埋まった時は、砂浜に迂回の道路を臨時で作りましたが、今は元通りになったようです。
急な山が海岸にまで迫る土地の宿命。もうあんなことがないよう願うだけです。
牡蠣筏たくさん。右、マツダの工場。景色モードにしたら変な写真に。カメラ、まだまだ勉強中です。
毎日出歩いているので、夫が「ところで明日はどこへ行くん?」と聞きます。
お天気よくて気候よくて、用事もなくて、体調良くてという日は一年のうち、そうたくさんあるわけではありません。
と言いつつ、たまっている用事各種も頑張りましょう。
桜を見る。
着物を着る。
一眼レフカメラで花を写す。
本日の目標です。
これを着ます。
染めの大島訪問着に塩瀬の帯。唐子が花の下で遊んでいます。
大勢の中に着物着て行くのはちょっと勇気が要ります。
なんて言われるか、言われなくても何思われるかと身構える私。
しかし、私以上に私を気にしている人はいない筈。なんか言われたら言い返そう、その切り返し方も考えていざ出発。
いやはや、まるで戦地に赴くがごとし。着物は女の鎧兜か・・・。
現地は駐車場がありません。
今までずっと五日市駅からシャトルバスに乗っていましたが、今回はR2バイパス経由のバスで直接行くことにしました。降りるのは佐伯区民文化センター前、鷹野橋電停最寄りの大手町4丁目からわずかに27分。
速い。これからはこの路線、せいぜい利用したいもの。
バス待っている時、ほぼ同世代の女性に話しかけられる。着物の話題になる。お茶習っているので着物はよく着る。お茶は洋服よりも着物着ている方が楽とのことでした。
で、着ている染大島の値段などバラスと絶句、私は大島を何十万円も出して買ったので、もったいなくて着られないとのことでした。
何十万円は殆ど流通経費?
怖くて呉服屋へ行けない私は分からないけど。
着きました。本日二日目。
名前はいろいろあるのですが、記録していないのがほとんど。残念。
64品種、216本の桜があるそうです。
関山?
写真撮る私。
紅普賢象
長く伸びたオシベの一本を象の鼻に見立てる。
琴平。今年の花。
香川県の琴平神宮境内で発見された種類。
花は白くて小さい。清楚で上品。
花笠
濃淡の花色。
紅傘。
鬱金桜
兼六園菊桜。
兼六園の中にあった。花弁は小さくて多数つく。一つの花に300以上。
御衣黄。花が緑色。
糸括。
御衣黄。
花影を歩く。
ここらへんで守衛の男性から、置物が桜に合っていると声かけられる。嬉しい。
広い会場、私以外は全員洋服。
以上、御衣黄。
須磨之浦普賢象。
色合いは少し鬱金桜に似る。
紅豊。
花、花、花・・・
関山。
さよなら、また来年まで。
区民文化センターバス停で待っていると男性から「一時台は(バスは)2本しかかないけえね」と話しかけられる。なぜに私に?
これも着物の効用?
結果、きょうは意地悪な人に出会わないばかりか、いろいろ話しかけられて楽しかった。これからもいろいろな着物着て出かけましょう。次は白大島かな。と自分を追い込んでみる。
鷹野橋までバスで約30分。2時過ぎてお腹空いて、喫茶店の房州で一休み。一階がパンと洋菓子のボアヴリエール、二階が房州。
1967年、広島へ来たときにはもうあった。店に入るのはたぶん50年ぶりくらい。その前は数えきれないほど通ったのに。
中は広い。インテリアはアンティーク風。
家具が重厚。
大学は移転したけど、かつては学生街の喫茶店。だから足が遠のいていたのかもしれない。
昔を思い出したところで、時間は逆には流れない。長い時間が経って、引き寄せられるように故地に立ち寄る私。こんな年になるなんて・・・ただ驚くばかり。
いえいえ無事に今まで来たことに感謝。
シャガールはリトグラフ?
鷹野橋は太田川の支流の一つ、西搭川の河口で、藩主の鷹狩りの場所だった。川に掛かっていたのが鷹野橋。
地名で残っていないけれど、商店街、電停の名前として残る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
・・・・・・・・・・・・・・・・・
日が去り、月がゆき
過ぎた時も昔の恋も 二度とまた帰って来ない
鷹野橋の下を太田川が流れる。
高層ビル、マンションが増えました。
これからは時々来てみましょう。
とてもおいしいコーヒーとリンゴのタルトでした。
手前の席にいた人が帰ると店には私一人。
昔々の時間がどこかに漂っている気がする。。。。
いえいえ、センチメンタルジャーニーもほどほどに、そろそろ家に帰ります。
鬱金桜見たなら、御衣黄も見たくなるのは人の常。
今年は季節が早いのでもう咲いているはずと、猫屋町の明教寺へ出かけます。
本通り抜けて、平和公園の向こうにお寺はあります。
木陰の嬉しい季節。
もはや初夏の日差し。
カフェで休む人たち。
平和公園抜けて本川橋を渡ります。
公園を抜けてお寺まで行きましたが、桜の木はありませんでした。
日当たりのいい場所に一本だけ植わっていたので、陽射しが強すぎたのでしょうか。
土も硬そうで、根も呼吸できなかったのかも。
桜は難しいです。
がっくり。
何も写さずに帰ります。明教寺は広島が城下町になった時に安芸高田市からきた古刹。原爆までは広い境内でしたが、戦後の都市計画で大幅に寺地は狭くなっています。
本川の上でヘリコプターが旋回しています。消防車、救急車、パトカーも多数。
水面を目視で捜査していましたが、結局、何事もないように去っていきます。
春の昼下がり、世にこともなし。事件ではなかったようです。
本川と相生橋。
平和公園の北端にある原爆供養塔。名前があるのに引き取り手のないご遺骨が地下に眠っています。
両側にオガタマノキ。
魂を招き寄せると言われる木。初夏に芳香のある小さな花を咲かせます。
タイサンボクなどの仲間。
似たようなカラタネオガタマは時々庭木にしています。
木陰を通って帰ります。
元安川。右隣は折鶴タワー。入館有料。
再び元安橋を渡る。冷たいコーヒー飲みたいなあ・・・でももう帰ろう。花が見られなくてがっかり。
植え込みの中の道路原票。
散歩の男性が誰かに説明しています。この付近は西国街道に、藩政時代の船着き場で交通の要衝、測量の基準点なので大切にしたいものです。
2006年4/16
明教寺のギョイコウ。
2011年 4/17
上と同じ日。こんな感じで植わっていたのですが。
2011年 5/10 広島県緑化センター
ギョイコウ。
こちらは他の木と一緒に、何本かあったので今も多分あると思います。
緑化センターはどんな木が広島県の気候風土に合うかを研究する試験場。
以前は一人で車運転してよく行ってましたが、また行きたいものです。
明教寺の原爆被災の詳細と戦後の寺院の復興が詳しく書かれています。
著者は明教寺に生まれ、京都大学を卒業して龍谷大学の教授になった人。
史料を駆使し、一切の感情的表現を配した記述は却って原爆被害の悲惨さを際立たせています。
今は絶版になっているのか、アマゾンでは激高。
土曜日、広島駅で待ち合わせてJR乗車、尾道へ行きました。メンバーは孫2人、お嫁ちゃん、私の4人。
約90分で尾道着。北口で人と待ち合わせ、少し話して別れ、あとは山へ。
ロープウェーは使わず、土堂小学校から尾道城跡を通って展望台へ。
孫二人は駆け上がるけれど、成人二人、喘ぎながら追いかけていく。
最初の展望台でお弁当を広げる。パン、持参のおにぎり、コンビニ弁当、サンドイッチなどなど。お嫁さんがお茶のペットボトル転がしたら、孫娘が走って取りに下りる。
お弁当食べ終えると、孫二人は岩に登ったり下りたり、気を付けてねという祖母。
これはずっと昔から変わらないお花見の光景。走り回って遊ぶのが自分の弟たちのようでもあり、息子であり、今は孫二人。何十年たっても全然変わらない春の光景。
お弁当終えて市立美術館方面へ。
千光寺山北側。一目百本の桜。人より桜が多い。
美術館はビクトリアンジュェリー展をしていました。
豪華でアンティークな宝飾品の数々。その技術の高さに感動しました。
無料券4枚、さっき会った人に貰ったのですが、中学生以下と70歳以上無料でした。
子供たちも珍しそうに見ていました。特に女の子はきらきら大好き。
1のブローチは描いたのではなく、染め分けた細いガラスの棒を組み合わせて絵柄を作るそうです。
ビクトリア女王はウェディングベールやウェディングケーキを始めた人でもあるそうで、今の時代の豪華さの先達ということでしょうか。
ダイアナ妃が宝飾メーカーにプレゼントされ、後にチャリティに出した指輪の展示もありました。金とダイヤを使っているようです。こちらも豪華。
テーブルセッティング。こちらは撮影可能。
きらきら。きれーーい★~☆
一休み。
ママが縫ったスカート。
上手に縫っています。
美術館展望室からの眺め。
右側の宿に昨秋、一人で宿泊しました。
尾道水道と尾道大橋。
西方面。向かい側は向島。
美術館出て、ソフトクリームとかき氷食べます。
昔ならアイスクリーム。栗林公園の花見で、アイスクリーム買ってもらえるのが嬉しかった私。
大型の保冷ポットに入れたアイス、大きな匙ですくって枌へぎで作った小型のお弁当箱みたいなのに入れてもらう。5円くらい。蓋を少しちぎってスプーンがわりに。
買ってもらった私も今では買ってやる(あげる)身に。時代は変わっても花見の作法は変わらない。
グループで焼き肉して盛り上がる姿もなく、静かなお花見でした。
花の下を帰ります。
山をどんどん下ります。
孫二人、Tシャツ一枚の薄着です。
綿菓子屋。
みんなでシェア。
駅が近づいてきました。
またJRで帰ります。帰りの電車の中で三人はよく眠っていました。
おじいちゃんと息子は仕事の都合で不参加。おじいちゃんは、どこがいちばん山場だった?と残念そう。
いつかゆっくり花見できる頃には、孫たちが着いてこない予感。
一年一年、その時々のイベントを楽しくこなしていきましょう。
昨日、正午過ぎ。京都府福知山市内、国道9号線で。
昨日は、昼前からまた坂町へ出かけました。簡単に行けて、ウォーキングに山歩きのコースがたくさん、歩いてみることにします。
まずはスーパーでお弁当買って、・・・寒いので結局、車の中で食べる。
警察学校の横を通って海岸へ。
警察学校、以前は広島市内、医学部の隣にあったけど歯学部などができたとき、こちらへ移転したらしい。
広い公園にウメいろいろ。
今が盛り。
海べりへ出ました。
あちら海田大橋。
埋め立てて出来た新開地のようです。
河津桜らしい。
遊具がたくさんあります。
日曜日に登った山が見えます。
矢印のルートで歩きました。
浚渫しています。
広島市がよく見える場所まで行きます。
広島大橋通ってきました。
宅地開発途中で放棄した山は、業者もすでに倒産したのでしょうか。山を削ったままもう30年くらい放置しています。
左の森山遊歩道行くつもりでしたが、風が強くて寒く、曇り空なので緑のコースで、駐車場所まで戻ります。
2018年の土砂災害の痕のようです。
白い擁壁の上に古いブロック塀の跡が。
家が流されたようです。
砂防ダムの工事をしています。
通り過ぎて振り返る。
山沿いの道の歩道に、世界各地の石を埋め込んでいます。
花崗岩の仲間だそうですが、その名もエメラルドパール。
大きな結晶がきらきらときれい。
こちらも花崗岩。赤い。
御影石だけが花崗岩にあらず。花崗岩にもいろいろあると分かった。
坂は、昔は海岸線が山際まで迫り、JRの線路は昔の海沿いを通っているのではと思う。
線路を挟んで町の表情ががらりと変わるのが面白かった。
また行きたいと言いつつ、道が210円、橋が210円、往復すると840円。うーーーむ。
ついでの雛遊び画像。
孫がいろいろ遊びました。
ううう、重い。
お休み~
掻い巻き布団はあったかい~♪
お休み~
「しろちゃん、こんなところにいたの」と先日、お嫁さんが言っていた。
おもちゃ、持ってきて忘れること多し。
きょうは一日、雛ぼんぼりつけていた。
今年はもうどなたも呼ばない予定。家に人が来るのが疲れる歳とはなりにけり。
来週から新しいお稽古始めるので、買い物してきました。
おっと、その前に、ある方のブログ情報で「源吉兆庵」でひな人形展示しているそうで、それをまず見ましょう。
紙屋町交差点から、一筋本通り寄りの道に面してあります。
華やか~
端正。
豪華。
あでやか。
上品。
吊るし雛。
吊るし雛。
こちらはお菓子の材料で作る飾り。
吊るし雛も。
今年はひな巡りも中止が多いので、見られてよかったです。
市内電車、紙屋町西または本通り下車歩いて2.3分。
続いて二階へ。
モーニングセット。
電車通りの向こうに広島銀行本店が見えます。
只今工事中。五月連休明けに新装開店らしいです。
本日のお買い物。毛筆、本、帯揚げ2、帯締め2、二重焼(大判焼き)
本日初日の伝統工芸展行く予定だったけど、あまりの寒さに中止。
週末は暖かくなるらしいので、着物着て出直す予定。
お念誦入れる袋作るつもりだったけど、
作ったきりでほとんど使っていない文庫本のブックカバーを再利用することにしました。
ミシンの前に座るのが寒いので、コタツに入ってチクチクと縫っただけ。
次の機織り、そろそろ取り掛かりたいけど寒くてやる気が起きず。織りの本を出すのも寒い。いったいあといくつできるのやら。
また展示会して、と言ってくれる人あり。それを励みに、頑張りましょう。
硯箱の中から出てきた空き袋。
孫娘が三才くらいの時、持ってきてくれた。
「おばあちゃん、食べて」
「おばあちゃんはいいわ。**ちゃん食べなさい」
「ううん、おばあちゃんと食べようと思って持って来たんよ」
「ありがとう~誰が買ってくれたの」
「ママが買ってくれたの」
と、こんなかわいいこと言ってたのに、今では「痩せたいんなら毎日マラソンしなさい。努力が足りないんじゃないの」と涙のアドバイス。
今、長男より夫にメールあり。審査が無事通り、学位内定とのこと。やれやれ。
出身大学で勤務の傍ら研究していたけれど、あまりの激務に中断、人事異動もあり、2017年から、県外の大学の先生が指導してくれることになったらしい。
詳しいことは全然知らないのだけど、土曜日ごとに新幹線で往復・・・
姑様、実母が生きているうちでよかったけど、話してももう分からないのは残念。もっと早くだったら喜んでくれたのに。
人付き合いが苦手で、遊びが不得意で、不器用で、友達がほとんどいなかった小学校時代。何でもじっと観察するのが大好きだった。ついたあだ名が「はかせ」。そのあだ名に向かって生きてきた40年余りだったのかもしれない。
長男が大学受かった時はみんなが喜んでくれたのに。あれから幾星霜。最近、いいことが全然なかったので、久しぶりにいいニュースでした。やれやれ。自慢話みたいでごめんなさい。今もややかなり浮世離れした息子です。
先日、二人展に来てくれた友達の古民家カフェに行きます。
場所は向原、都市高速下り損ねて山陽道に入ってしまい、志和から地道を向原まで。
運転したことない道で、夫は喜んでいます。
約一時間で到着。
蔵の向こうがが母屋です。
私は四回目くらい、夫は初めて。毎月、11日から13日と、第2と第3の日曜日に開いています。
ランチ、カフェ、ケーキや雑貨、洋服の販売があります。
平屋の広い母屋です。
お客さんは私たちだけ。大きなテーブルでいただきます。
室内の写真、なぜか前の写真も混ざってコラージュみたいに・・・why?
で、省略。
裏へ廻るとご主人が築いたピザ窯。ピザは第2と第3の日曜日です。
納屋の天井。白川郷みたい。
帰るころ、お客さんが増えてきました。
里山。二月はもう早春、春の息吹を感じます。
本日のお買い物。お嬢ちゃんお手製のフェルトのマット、四角なマドレーヌ、パンはピザ窯でお父さんが焼くのかしら。聞き漏らした。
きょうも着物着て行った。昨日と同じで、帯は紬の椿。コートなしで寒くもなく、春はそこまで。写真撮ったけど、うまく撮れなかったので省略。
一緒に車で外出するのは、11月の広域公園以来のはず。
「私はどこも痛くないけど、同世代で、あちこち痛くて歩けないという人もいる」と話したら、夫曰く「わしは背中と腰が痛い」と言う。
そうですか、腰と背中が痛いですか。それは大変ですね、と心の中で言っておく。。。。
施設から連絡があり、姑様が歯磨きのとき、口を固く閉じるので、口を開ける道具を使っていいかと連絡があったとか。膀胱炎はかかりつけ医が往診してくださったそうです。話を後で聞くだけの嫁。
介護の方のご苦労に頭が下がります。
駅裏の手芸店へ買い物。
駅が消滅は大げさ。いくらなんでも。その方が食いつきいいと思ったから。駅は消滅しません。
正面しか見てなかった。久しぶり左手へ廻ると、駅ビルがエライことに。
ビルは瓦礫に。
新幹線口のホテルがよく見える。左からダイワクロネット、間に広島テレビ、グランビア、シェラトン。次々ホテルができて、駅から少し離れたホテルはもう投げ売り状態。シングル一泊で二千円代とか。ちゃんとしたホテルです。
家にいるより安いと言うも、夫は家にいたら「ただ」と申します。そりゃそうだけど、最近どこへも行ってないので気分を変えに行きたい。
隣の東郵便局も消滅。来年には高層オフィスビルに生まれ変わるそうで。
郵便局前にあったタラヨウ、なくなっている。残念。木には感情移入できる私。
続いて私の好きな昭和。
駅前通り、JR線路、駅西大橋、ホテルニューヒロデンに囲まれた狭い部分に色濃く昭和の面影が残っています。
小さな飲食店が立ち並びます。
ダクトは焼き肉屋?
向こうにタワマン。
あちらにホテル。(廃業するらしい)
空が狭い。スペインのトレド風。
トレドなら二階のベランダに立つ年配男性が「ミゲル!ミゲル!!」と誰かを呼んでいるところだけど(5年前)、広島の駅西飲食店街は昼間、ひっそりしています。
ここもいずれは再開発?
駅裏にも駐車場改めJR西日本の大きなビルができていたのでびっくりした。
籠バッグの底、革で補強するつもりだったけど、いい色がなかったので買わず。
結局こんな感じに。
まだらなシミはボンドの痕、乾いても目立つ。
いやあ、どうしますかね。
あとは持ち手と、うち袋の口の始末。紐を通すかゴムを入れるか思案中・・・というか元々のかごの方がえんでないの?と今さらながらの感想。
友達のはおしゃれできれいなのに、私が作るとなんかねぇ・・・
布は貼りなおすかも。
いいお天気です。暖かいので院展へ出かけます。
化粧省略。ニットの帽子、キツネの襟巻、羽織り着るし、コートなしで大丈夫。
電車待ちます。
足袋は、白に温泉宿の先割れ靴下を重ねる。
暖かい。
電車に乗ります。
着きました。
福屋デパート八丁堀店と駅前店で。大人800円。
隣の天満屋は撤退して、各種店舗が入ってます。
白島方面。
駅前福屋の展示も見て、10階ジュンク堂へ。上野千鶴子氏の文春新書、立ち読みして買わず。880円で一時間くらいで読み切りそうだったので。
要するに死ぬときはだれしも一人、一人だからと怖がらず、制度を利用し、死後の手続きの準備をして、あとは天命に任せて老後の実りある日々を大切に生き切る・・・ということでしょうか。成長の過程はみな似ているけれど、死んでいくのは千差万別。先回りしてくよくよしてもしようがない。ということですね。
老後はシングルが幸福度が高く、夫のいる人がもっとも幸福度が低いそうで。新聞広告にそうあった。
私の知っている老年シングル女性、皆さん元気です。もちろん人には伺い知れない悩みいろいろあるでしょうが、配偶者とその身内に気を遣う人生から解放された自由はあるでしょう。
私の場合、配偶者のまだ親もいます。この歳で。
私の方が先fade outするかも。
おやまあ、長話になりました。
久しぶりに窓辺のカフェで休みます。
広島駅は工事中。数年後には市電が駅舎に乗り入れ、建物も新しくなるそうです。
周りが高層化して、低く見える駅ビル。
各種タワマン。
ソーダ水の中を貨物船が通るbyユーミンではなくて
グラスの水にタワマンが映る。
広島は川の街。市内に6本の川が流れる。
むこうは黄金山。旧名は仁保島。近世以来の干拓で今は市街地に取り込まれています。
川は猿猴川。猿猴えんこうとは河童のこと。
橋は手前から駅前大橋、猿猴橋、荒神橋、大正橋…まだまだ下流に続きます。
広島へ来た54年前、川にとうとうと水が流れていたのに驚く私。
猿猴橋は旧西国街道のルート、広島駅ができてからは広島中心部につながる橋として、猿と桃の装飾が。戦時中に金属を供出したのですが、近年復元されました。
第五師団へ赴任する軍人は、この橋を馬で広島城へと向かったそうで、って見たように話していますが、どこかに写真ないでしょうか。
戦前の広島は男性が多かったので、歓楽街もそれに合わせて栄えたようです。出征する兵士も数日民泊して、本土の最後の日々を過ごしたそうです。
空に憧れて、どこまでも高く。
そこから見えるのはどんな景色?
地べたに住んでも孤独、空に住んでも孤独。
孤独はきっと自分の心の中に。
さて、静かでいいカフェでした。また来たいものですが、今日はもう帰ります。
駅前地下広場。時々フリマやったりイベントしたり。
今は閑散。
ビッグカメラ。
エールエールA館。メインテナントは福屋駅前店。
広島駅方向。もう帰ります。
人出は少なめ。私も急いで帰りましょう。