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映画「東京家族」とジェンダー

2013-02-26 | 日記

 

男の子は強くたくましく(長男のお宮参りの衣装)

女の子は優しく可愛らしく(孫の衣装)

・・・なんていつのころからある規範なんでしょうか。武家の規範が、近代の軍国主義の時代に受け継がれ、その悪しき伝統がいまだ残っているんでしょうか。特に体育系の部活など。

男女に体力に差があるのは仕方ない。がしかし、今は力仕事は機械で代用できるものが殆ど。

大家族制がほとんど絶滅した今の時代は、男だって家事育児をするし、女だって外で働く。過度の区別は却って男女両方の生き方を窮屈にすると私は思う。


 

翻って「東京家族」である。「東京物語」の時には抵抗なく受け入れられたであろう人物の設定、話の筋運び、今の時代に合わせてかなり工夫の跡が見られた。

ここにいるのは古き良き日本人と日本の景色。ぎくしゃくしたとしても、最後は日本的風景と人の温かさの中に溶け込んでいく、心地よい予定調和の世界。

それはたぶんもう失われているから、見て懐かしく、心地いいんだと思う。映画館は60代以上と思われる人がほとんど。


でも今の時代と思えない部分もあって気になった。昨日も書いたけど、隣のセーラー服姿の女子中学生が籠を持ってきて、「お母さんが洗濯物はここにいれてくださいって」と言うセリフ。

どうも隣の中年の奥さんが洗ってくれるらしい。親戚だろうか。それともアカの他人?

周吉はこのあとずっと隣人の好意を頼りに生きていくんだろうか。それともそれ相当の謝礼を払うんだろうか。見たところ体は普通に動くんだから、洗濯機回すくらい簡単。斜面の日当りのいい家なので外に干せばよく乾くはず。

それにご飯はどうする。見たところコンビニなんてなさそうな田舎。でも船着き場近くへ行けば農協スーパーくらいはありそう。ここはひとつ運動がてら買い出しに行って、ご飯炊いておかずも作ってもらいたい。人間として自立してもらいたい。元高校教師という周吉なら、そのあたりのことはよく分かるはず。

隣人が気の毒がって面倒見るという設定が、私はたまらなく嫌。なぜに女子中学生とそのお母さんでないといけないの?女にはその優しさがもともとも備わっているとでも?それを人の心の温かさとして称揚するその感覚が、もうとっても古いと思う。

私が女子中学生なら、隣の爺さんの洗濯物なんて見たくもなーーーーい。チョーキモイんですけどお、と言いそう。

周吉が改心して何でも自分でするようになるラストの方が私は好きですね。妻のありがたさにそこで気がつく。人はとかく他人の親切は身に染みても、配偶者への感謝なんて忘れてますもんね。

地方に住む者が都会の人より純真なんて、都会人のないものねだり。すべてはもう失われている。それを深く自覚し、そこから歩き始めるしか、今の私達には方法がないのでは?


じゃ女の子に青い着物を、男の子に赤い着物を着せろといいんですかなんて、言う人がいますけど、とりあえずは性的な役割を押し付けられて不利益をこうむることをやめようじゃないかという話。

こういう伝統的な行事はしてもいいし、しなくてもいいし、するならあまり変なことしない方がいいだけのことで、着るものは便宜的なもの。と私は考えています。


長男のお宮参り。義父母は「うちはそんなことしない家だから」と言って相手にされなかったので、実家から届いた衣装を持って近くの神社へ親二人で連れて行きました。次男の時は長男が境内を走り回って追いかけるのに大変だった。三男の時は夫がものすごく忙しい時期で、上二人もいるし、毎日毎日を終わるのがやっとでとうとうしなかった。

まあ、お宮参りなんてしてもしなくてもいいんだけど、あの時、面と向かって拒否されたのがちょっと悲しかったかな。実家から衣装が届いたのを見せびらかすような私の態度がいけなかったのかも。反省。まだ義妹も結婚してなかったし、義父母にしたらそちらへ気が回らなかったのかも。

でももし、私に未婚の娘がいたとしてもそれはそれ、これはこれ。お目出度いこと大好きだから、大喜びでやっていたと思う。

息子のお嫁さんには私のような思いをさせたくなかったし、それを感謝してほしいとも思わない。それは私の勝手な思いだから、ここで思いを吐き出したらもうおしまい。

最後は映画と関係ない話でスミマセン。。。

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