昨年二月、権現山に登ったら脱輪した車に遭遇。道路が凍結していたためと思われます。横を車で通るとき、引き込まれそうで怖かったです。
2008年から2009年にかけて、朝日新聞の短歌の投稿欄に公田耕一氏の短歌が掲載され話題になったそうである。そう言われてみれば私も記憶にある。公田氏はホームレスで住所を明かさないため、朝日新聞が投稿の謝礼を渡すために連絡が欲しいという記事まで掲載したそうな。名前はもちろんペンネームだろう。
2008年年末と言えば、リーマンショック後の派遣切りにあった人たちが街に放り出され、年末年越し村が作られた時期でもあった。ホームレスの自分の立場をもう一つの目で淡々と見つめる公田氏の歌は、人々の関心を引き、たいそう話題になったらしい。抑制された表現と、歌の背景に見えるご本人の教養の深さも共感の理由だった。
著者は東大卒業後、朝日新聞社に記者として入社。ここまでは超エリート。南米移民の訴訟問題に興味を持ち、退社してペルーに移住。2007年に帰国して、フリージャーナリストとなる。仕事はそういつもあるわけでもなく、どうやら結婚もされてないらしい。
公田氏の歌に共感して、ご本人に接触するべく、横浜のドヤ街で取材を続け、雑誌に連載したものを一冊にまとめたのが本書。取材は体当たりで、実際に路上で寝たり、ホームレスや安宿に暮らす人、ドヤ街で支援活動をする人などと次々接触して、現代社会の最底辺の人々の生き方に触れる。
公田耕一氏と名乗る人からの電話があった、という支援者を通じて再び接触を試みるが本人は姿を現さない。歌の内容から、生活保護が決まり、生活の再建に向かっているのでは・・・と推測するところで本書は終わる。
この中で興味深かったのは、昔、若き日の菅直人元首相と一緒に、市川房枝を参議院選挙に担ぎ出した田上等という人がホームレスになっているということ。結婚式の仲人が菅直人だというその人は、のちに自分も選挙に出て大借金をし、そのほかいろいろあって結局はホームレスになった。そのいきさつが心に残った。
人はどんな境遇にいても、言葉で自分を表現できる。それが自分というものの誇りを取り戻し、生きる支えになる。著者の言いたいことに私は大いに共感した。
でも、私が公田氏だったら、やっぱり名乗り出なかったと思う。昔の知り合い、縁を切った(であろう)身内に今の境遇を知られたくない。昔の、若くて元気で今より恵まれていた自分の姿を憶えていてほしいと思うから。ご本人が見つからなくて幸いだった。読者もまたいろいろな想像をし、それをきっかけに自分を見つめ直す、表現へと向かうことにもなろうから。