春浅し
真冬なのにきれいな花いっぱい。いい時代です。
毎日毎日、10度に届く日が少なくて、今年の寒さは記録的なもの・・・って陽水さんの氷の世界みたいになったけど、寒い日は寒い日なりの楽しさってありますよね。
少しずつ日差しが春めいて、スイセンや椿が咲き始めて、というこの季節も私は案外好きです。
報恩講というのだったかしら、この時期、お寺で法話の講があり、多分、親鸞聖人の命日か何かで、当地では「おたんや」とか言うんですが、その集まりが記憶に残っています。
お寺の本堂にずらりと座り机を並べ、卓袱うどんがふるまわれます。根菜類がたっぷり入った讃岐地方の冬のうどんで、これは門徒でなくても誰でも行けばよかったんです。祖父母に連れられて、または近所の遊び友達と。お代わりも自由。お寺さん、何という太っ腹。手伝いの人は大変だったでしょうけど。
お蕎麦もありました。さぬき地方のお蕎麦はうどん生地にそば粉を混ぜたもので、そばの味のするうどんという趣。細くありません。これもおいしかったです。
娯楽の少ない時代、学校から帰ると祖母が火鉢でかきもちやするめを焼いてくれて、それを食べ、宿題を済ませたら、弟や近所の友達と凧揚げに出かけます。遮るもののない広い麦畑の上を西風が強く吹くので、凧なんて見えなくなるくらい高く揚がります。
凧は文房具屋で買う5円くらいの奴凧より、祖父が竹ひごと障子紙で作ってくれた四角の凧の方が丈夫でした。それに文房具屋で買った「緒」というものを張るとピュンピュン音がします。本格的には猩々凧、これは高いのでめったに見ませんでした。
頭の横に張ってるのが「緒」。何かの植物の繊維?分かりません。
http://www.youtube.com/watch?v=5gufZcOwv0U
私達は稲わらを積み重ねた「わらぐろ」の陰で風をよけます。わらの積み方は二種類、田んぼの橋の方では家の形に近い、直方体、麦を作らない田んぼでは多宝塔のように丸型に積みます。
麦はある時期を境にぴたりと作らなくなりました。今思えば小麦が自由化された時期でしょう。農家の人たちは雪崩を打って勤め人になり、はたまた副業を本業にして農業は収入を得る生業の座から滑り落ちたのでした。
あのころは何もなくて、時間もゆっくり流れて、いい時代だったというつもりはないけど、人間がのんびりしていたことは確か。
でも共同体の枠に収まりきれない人、人と違っていた人には過酷な時代でもありました。
毎日毎日西風が吹いて、自分の家で作ったかきもちを食べて、するめは買ってたけど、中学校へ入るまで、私は宿題以外の勉強なんて、家で一秒もしていないのでした。お稽古事も皆無。
閑だったので、学校ごっこと称して、弟たちや近所の子に勉強教えてた。結婚して、学校ごっこの話をしたら、夫と義弟が「何それ?」と怪訝な顔を。知らんかった。学校ごっこって、全国津々浦々、どこででもやってる遊びとばかり思っていた。
先日孫娘をつかまえて、ボールペンを持たせ、なんか書かせようとしたら、嫌がってやらない。その代り、ソファーの上からびょーーーーんと何度も飛んでは自慢そうな顔をする。いゃあ、あんまり勉強得意でないのかも。まあいいけど。
すみません、取り留めない話で。なんか昔話が楽しい。年寄り道、まっしぐら。