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自分が自分でいられる場所

2013-02-01 | 読書

って、どこなんだろう。というようなことさえ、ずっと考えずにきた。考えることを忘れていた。

結婚後三年、夫の親きょうだいと同居していた。みんなによくして貰ったけど、変なことしないよう背伸びしていたと思う。

それからの長い日々、その時々で自分のしたいようにしてきたつもりだったけど、自分がいちばん自分らしかったのは学校時代だと昨日気が付いた。

女の友達、男の友達、何年、何十年会わなくてもきのうの続きのように話のできる間柄って本当にありがたいなあと思った。

昨日の友人、お父様は鉄道会社勤務、お母様はお寿司屋さんを市の中心部で経営されていた。

友人は大阪の新聞社を辞めて帰郷、事業を起こし、亡くなられた奥様もスナックをしていた時期があったことを他の人から聞いた。

今は息子さんが駅前でイタリアンの店を経営されているとか。やはりその家の雰囲気というか、ご商売のお宅は業種は変わってもご商売をされるらしい。

友人の昨日の服装、黒地に白い縦のストライプのスーツ、茶色とこげ茶のコンビの靴、毛皮の裏付きの短い皮コート、セカンドバッグ。一昔前の不動産屋みたいなと突っ込みたくなって、けれん味たっぷりなその姿に彼らしいなあと思った。昔から学生服を崩して着ていましたよね。もしかしたら、昨日の集まりのためにスーツ新調したのかも。ありがとね。

毎日毎日、みんなで笑って、なんであんなに楽しいことが続いたのか今になったら不思議。

そして先生はツィードのジャケツトにニットのvネックのベスト。学校の先生、役場の職員の方のユニフォームみたいなニットのベスト。学校は今でも教室は暖房なしではないでしょうか。

そして私の服装は、泥大島の着物に同じ柄の羽織。絞り染めの名古屋帯。半襟も絞り。その心は私も人妻として歳を取りました。すらりとした美人ならあたりを払う女振りだったかもしれないが、この顔、この体型、ほとんどギャグの世界。着ぶくれて転がった方が早い。

先生が私のことを「美人だった」と過去形で語られるので、「だった、ですか」と笑う私。すみません、こんなこと持ち出して図々しいです。帰宅して夫にそのことを話したら「いい先生だ」と笑っていた。

「あんたは私の若い頃を知っている人間として、息子たちに私の美しさを伝えていく語り部にならんといけんでしょうが」と強制。夫無反応。

すみません、家の中のことをクドクドと。結局、今の私が一番我儘でいられるのは自分の家というありふれた結論。

コメント (2)
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