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「十五歳の戦争」 陸軍幼年学校「最後の生徒」 西村京太郎

2017-08-16 | 読書

8月は先の大戦の犠牲者に思いをいたし、日本が二度と戦争をしてはならないと誓いを新たにする月。

戦争の体験談は世の中に無数にあるけれど、一人一人の体験はその人固有のものであり、まだ語られていない話もあるはず。そして、この種の体験談はこれで充分、もう結構ということはないはず。

今年87歳の推理小説作家、西村京太郎が初めて著す戦争中と戦後の自伝。そして、戦争への分析と批判。日本人は戦争に向かない民族、戦争をするべきではない、スイスにのように中立国としてしたたかに生き延びていくべきという内容。

新書なので要領よくまとめ、大変分かりやすかった。日本の軍隊にみられる不合理性、極度の精神主義、これはもう戦うための軍隊ではなく、何かを信じたい妄想の集団、私にはそう思えた

たまたまその時代に生まれ合わせだけの若者が、遠い外地で、肉親に別れを告げることもなく亡くなっていった。そのことは日本人の誰もが心に刻んでおくべきことと思う。戦後の日本はその鎮魂の思いの上に築かれたはずだから。

勇ましいこと言う人に、そしていざ戦争になると自分は安全なところにいるはずと思う人たちに、本書をぜひ読んでほしい。


ここからは個人的な話になりますが、子供のころ、毎年7月の21日、我が家では近所のお寺のご住職に来てもらって、ニューギニアで戦死した叔父の祥月命日をしていた。

私が35歳のころ、実父から一度だけ聞いたその叔父の最後の様子。

ニューギニアのホーランジアに昭和18年上陸。19年にサルミまでのジャングルを敗走。二千人の部隊のうちたどり着いたのはたったの17人。その間の悲惨な様子も聞いたけど、ここに書くのは私の神経が持たない。歳とって、私もそういう話がこたえるようになった。

詳細はこちらなどで。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E3.82.B5.E3.83.AB.E3.83.9F.E3.81.B8.E3.81.AE.E6.92.A4.E9.80.80

叔父がそこまでたどり着けたのは「体が丈夫だったけんかのお」と皆で話したとか。しかしサルミへ来ても食べ物がもらえず、その地で昭和年19年7月21日に21歳で餓死したと、父から聞いた。

戦後、部隊が引き上げてくる情報をラジオで聞いて、港に復員した戦友を訪ねて行き「確かに死ぬのをこの目で見たので生きていると思わないように」と言われたそうで。

その話を私が聞いてからでも30年以上がたつ。小学生のころ、南の島で4人の日本兵が見つかったのはこのときジャングルに隠れていた兵士だったと、今日初めてわかった。

私も息子たちにこの話をしておかなければと思う。


で、この本で知ったことは、大本営の、動かずにいるようにとの命令を無視し、米軍の上陸したアイタペへ向けて無謀な戦闘を仕掛けたのは現地の十八軍の指揮官、直接の上司の阿南第二方面軍司令官。楠公精神に生き、結果いかんよりも皇国の歴史に光輝を残すのが部下への愛って、もうめちゃくちゃである。

ニューギニアでの勝敗は決しているので、ここはひとつ動かずに魚とったり芋を植えたりして自活し、戦争が終わるのを待つ。なんでその合理的判断ができん?

日本軍は外地の戦場の各所でこんなことしてたんだろうなあ。資源のない国は戦争する資格もない。それを精神力でカバーなんて、亡くなった叔父のために、補給もなく戦死した大勢の若者のために改めて怒りを禁じえない。

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