12/5 嵐山から離れた鹿王院もほとんど人がいません。静かに見学できました。
鹿王院は足利義満が建てた宝幢寺の塔頭の一つ、応仁の乱で焼け残った鹿王院だけが今に残っていますが、往時は天竜寺からこの付近まで宝幢寺とその塔頭が立ち並んでいたとのことです。
寺内、お宝色々、でも紅葉に気を取られて全然見ていません。反省。
こちらは女性限定の宿坊があるそうなので、https://shukuken.com/rokuoin
またいつか宿泊できたらいいなあ・・・・
山門からのアプローチ
あざやか。
客殿に上がります。立派なタラヨウが。お寺によく植えられます。
裏庭のモミジもほぼ終わり。
あちら舎利殿。源実朝が宋から取り寄せたお釈迦様の歯が多宝塔に収められている。歯は仏牙舎利と呼ばれ、江戸時代には天皇も参拝に来たそうです。
知らないので、真ん中に大きな厨子みたいなのがあるなあと、それより周りの彫刻は迫力あるなあと、撮影禁止でもなく、誰もいなかったのでぼおーーと見ていたばあちゃん。昔のばあちゃんなら手を合わせて拝むんでしょうが、なかなか今の時代は人間も(私が)未熟で。
うん、これは絶対またおいでとのお釈迦様の導き。いつか宿坊に泊まりましょう。周り住宅街でコンビニもない静かなところですが。
渡り廊下から。
築地とモミジ。日本の秋、古都の秋。
帰ります。もう午後4時、日が陰ってきました。寒い。
さよなら、京都の秋。もう帰ります。
出かけるまでイライラすることもあったけど、一日好きに歩いたので、言いたいことも胸に収めて、機嫌よく帰りましょう。歩ける間にしっかり歩いて旅しましょう。
嵐電の駅へ戻ります。川がむき出しのところ、工務店があったりして、わが地元とはだいぶ違います。
静かないいところでした。
あとはひたすら京都駅へ。帰りは20:24発なのでだいぶ時間があります。
嵐電で終点まで。こちらで降りたのは初めて。
向かいは阪急の駅。ここから大阪、神戸方面へ行けるんですよね。乗ったことないけど。
関西に住んでたらいろいろなところへ遊びに行けていいなあと、昔から羨ましかった。
息子が京都に遊学していた6年間はよく遊びに行った。マンションに泊まらせてくれるわけがないので、宿坊や同窓会の会館や片泊まりの宿などに泊まってはいろいろなところを見て歩いた。
息子は、お小遣いでおびき寄せると夕食一回くらいは付き合ってくれた。長い休みもほとんど帰省しなかったので、こちらから会いに行くしかないのです。
そうそう、ヤフオクか何かで車検切れの車を一万円くらいで買って、自分で陸運局の車検に持ち込むので、夫の実印持って京都まで行ったこともあった。
車は、検査のコースの途中でバッテリー切れでエンスト、当時19歳の息子は近所からバッテリー買ってきて付け替えて、何とか検査終了。
車検場でエンストします?
普通、しないでしょ。つくづく呆れましたが、これ以後もネタ満載の息子の車の数々。
淀川沿いの京都府陸運局、今の季節で、夕方はものすごく寒かった。
変な息子なので、しなくていいこともたくさん体験させてもらって、まあ面白い日々でしたが。
長話、ごめんなさい。
京都駅に着きました。
ちょっと早いけど夕食にしましょうか。
昼のなか卯がボリュームいっぱいで全然お腹空いてないので、ラーメンだけの夕食。
スープは思いっきり和風。でもおいしかった。
それからツリーを見ます。
あそこまで行きましょう。
上へ上がると階段全体が動くイルミネーションになっていました。
刻々と光が変わります。
大人も子供も大喜び。
うちの孫たちもきっと大喜びすることでしょう。
見せてやりたいなあ。
全然見飽きません。時間がいくらでもつぶせるので良かったです。
本物の人のシルエットと、模様として出て来るシルエットが混ざり合って不思議な感覚です。
音楽に合わせて、水紋が広がるように。
一番上まで上がってツリーを見下ろします。左側はガラスに反射したツリーです。
世界は平和に、人々は幸せに。
ツリーを見ているとそんなことを思います。
のぞみは結構空いていました。乗車券は一括仕入れの団体の値段なんでしょうか。
それをばら売り。京都往復14,000円は安いと思います。まあ行かないのが一番の節約なんですが、そうも言っておれないし。
この日は拝観料、交通費、食事代にお土産代で6,000円くらいだったかな。あまり使ってません。
藤田嗣治展、知らない人にチケット貰ったのが大変良かったです。
本日、退職者の源泉票書いて、すぐ終わる予定だったけど、いろいろあってまだ終わってません。
簡単な計算なんだから間違えないように…と偉そうに言うより気長に教えるにも、もう先はあまりありません。
間違えたのは修正に余計手間がかかる。
税務署へ用紙貰いに二往復、途中友達に会って、友達のご実家は7月の土砂災害の被災地域、恐る恐る聞いてみたら、両側の家には土砂が入ったそうですが、奇跡的に無事だったとのこと。
でも一週間、近寄れなかった。とのこと。高齢のお母様は無事で何よりでした。
で、最近は誰とでもまずは介護の話。お互いの情報交換して元気になって別れた。やれやれの毎日でございます。