姑様の病院へ行くも、面会は二人までなのでロビーで待っていた。
目の前が海。開け放した窓から夏の終わりの風が気持ちいい。
帰宅後、今度は自転車と徒歩で同じ場所へ海を見に行く。
森の入り口付近。マンションの人たちの花畑になっている。
こちらは自然の植生。
ヤブミョウガ。
クサギ。染色に使うとのこと。臭いです。
暁部隊の司令部の壕跡と言われている。もう一つある。
私が嫁に来た頃は簡単な柵で、立ち入りもできていたような気がする。
地元には暁部隊を記念するものは一切ありません。原爆だけが広島ではないのだけど、消し去りたかった歴史なのでしょう。書類も米軍が来るまでに毎日燃やしたと言う話です。
今はコンクリートで埋めて夏草が茂り、やがて完全に忘れ去られるのでしょうか。
似島と宮島。マツダの車をどこかへ運ぶ船。
突堤。
ツルナ。汽水域に生えて塩分を取り込みます。
一部摘んで帰り、おしたしにする。塩味が濃い。
向こうで年配男性が海水浴しています。
沖行く船。
断崖。
方状摂理。
釣り人。
ホテル横でオシロイバナの写真撮っている男性が、ここはいろいろ交配して面白いと教えてくれます。
男性によると、白⇔赤、赤⇔黄は交配するけれど、白と黄は交配しないそうです。
不思議ですね。
バスの転回所。というのが好きなのです。
次の出発まで、ドライバーさんは右の小さな小屋で休憩。
子供のころ、母の実家からの帰り、バスが出るのをバス停前のよろず屋の軒先で待っていたあの時の気分。
バスの乗車券は大きな軟券。
山、夏空、ため池、木と草、夏の花、ケイトウ、キキョウ、ハス、タニシ、カラス貝、田舎の元気な子・・・そんなことを思い出した。
長男に、喪服出して一度着てみなさいとラインしたら、その様子なら3日くらいかなと返事が。
夫は正常化バイヤスというのか、全然慌てていない。ように見えます。義妹も一泊してとりあえず帰った。
この先はいずれまた。。。。
frozenroseさんは植物にお詳しいですね。どうやって覚えられましたか?
亡くなり方は選べませんが、これもまたいいのではと思います。
ゆっくり準備できますから。
お宅のお姑様は手を煩わせずに、子孝行な方でしたね。それもまた運命。
そんなに詳しくはないのですが好きなので、好きな範囲で植物の名前を憶えたのでしょうか。
もちろん不得意分野は全然ダメです。短歌も歌人の名前も知らず、お恥ずかしいです。
それを未練があるとか。。。
他人様に対して失礼な物言いですね
逢いたい家族が来るのを待っていてくれると私は思います
おっしゃる通り、逝き方は誰にも選べませんよね。未練があると言うより、体力のある人で心臓も強く、歯も98歳で自前でした。それで最後になっても頑張れたのだと思います。
家で夫と二人で介護していた数年間、特にオシメ当てて食事もさせていた8か月余は閉塞感でいっぱいでした。いつまで続くのか先が見えなかったので。
また夫親族から一言のねぎらいの言葉もなく、たまに尋ねて来ても、まるで初めから私が存在しないようなふるまいにはいたく傷つきました。
でも目の前に困った人がいると、他人でもおのずと体が動きます。それは普通誰もが持っている心で、私にもそれがあったのに安心もしていました。
それももうおしまいです。
言いたいことは胸に収めて、このブログでいろいろ書いては下書きに入れる繰り返し。それを読んで分かってくださったコメントだと思うので、私の気が付かない本音を代弁してくれたと私は思っています。
自分の親ならまた感じ方も違うでしょうが。
向こうへ行った人に待たれるのは困るかな~笑
ずっと後でいいよ、それまで私はここで楽しくしているからって、うちの姑様ならいいそうです。