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美術展へ行く

2024-07-29 | 日記
昨日は、知り合いに招待券を貰ったので、県民文化センター地階で始まったさる美術展へ行きました。
戦後早い時期、まだ暮らしも厳しいころに地元有志が中心になって始めた展覧会、いろいろな作品があり、じっくり鑑賞しました。
 
入ったところは生け花、写真、立体造形などもあり、最後が油絵でした。
 
 
被爆して50代でなくなったお母様を娘さんが描いたものです。
被爆時の説明もありましたが、そんなことは関係なく、作品として完成度が高いと思いました。
 
パーマの頭、お顔、ブラウス、額縁。
懐かしき昭和の正統的なたたずまい。絵の中で亡き人も永遠に生き続けることでしょう。
 
昔はこんな絵や額縁をよく見たものですが、いつの間にか見なくなりました。
 

 
ザクロが痛めつけられた人体のようにも見え、滴り落ちるのは血液にも見えます。
肌に訴えてくるような絵です。
 
小学生の生花。ヒマワリにヒゴタイ(園芸名は我知らず)。
夏の花が見たかったのでよかった。

 
キキョウにナツハゼ?(日本のブルーベリー)
涼しげ。

 
フシグロセンノウ(園芸名は知らない)
 
生花は材料の名前があればもっとよかったかな。



いろいろあったけど、この絵もよかった。うまくなると描き過ぎないようです。さらりと流して物の本質に迫る。

金曜日、朝から暑い中、バスで登校。本川、天満川、太田川放水路と渡っていく。広島は川が多くて、橋の上から遠くが見える解放感が夏は特に心地いい。

なんでまたこの年で大学へ行くのかと、場違いも甚だしいのにと思いつつ、いえいえこれも人生の流れ、流れ着いてここまで来たのかもと思い直す。

母が生きていたら、この年でまだ学校へ行くことを呆れつつ、喜んでくれたと思う。晩年、なんで女学校を中退したのかと聞いたら、家庭の事情を縷々話してくれた。

母の生家はの山の中。数軒の集落。通学も最寄りの国鉄駅まで自転車で一時間はかかったと思う。行きはよいよい、帰りは上り坂。

母親を早くに亡くし、父親では裁縫の教材が準備できなかったとのこと。辛くて何日も泣いたと一度だけ話していた。そりゃ辛かったね、お母さん。

しかし父親もなくなり、山の中の家をたたんで町の親戚の家から勤めに出て、夜はおばさんに裁縫を教えてもらったとか。

「学校ではセンチで習うて、おばさんには寸で習ったけん、私はどっちもわかる」が母の自慢。

「従妹の**子さんと二人で、袷の着物も晩御飯終わって一晩で縫いよった」と不器用な娘にたまに自慢していた。

私の着物もよく知らないけど、留袖以外は自分が縫ったのかも。興味ないので聞いたこともなかったけど。

子供たちが小さい時も浴衣など、よく縫ってもらった。


入るまで知らなかったけど、私の応募している公募団体は、巡回展のチケットの割り当てがある。どこの団体も似たり寄ったりと思いますが。

今は少額だけど、作品を出し続けるうちにランクが上がり負担も増える模様。親なら買ってくれたかな。いえいえ、年取った親に甘えてはいけませんね。

出展料に搬出入の費用、東京までの交通費に宿泊料、懇親会の費用と、何かと物入りです。発表の場はいろいろあるので、しばらくするとやめる人もいるようです。

県美展など、自治体主催の地元の展覧会は費用もそんなに掛からないと思います。油絵も軽トラ借りて荷台に乗せ直接搬入すれば安上がり。

今回は絵をたくさん見るうちに、自分でも描けそうな気がしたのですが、もちろん描けません。描きたい気持ちは小さな水彩画で我慢して、今は来年の作品の準備です。

昨日は久しぶりに地下街の店を見て、気分が変わって結構でした。暑い時は地下に潜るに限る。なるだけ機会を見つけて歩きましょう。

 


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