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投資は難しい

2013-01-16 | 日記

お正月、オーストラリアへ行ったとばかり思っていた三男のmixiに香港の珍寺あり。珍寺探訪を己の崇高な使命としている我が息子、みんな待ってたのにお正月はこんなところへ行ってたなんて。

今夜電話して詳細を聞く予定だけど、また何のかんのと誤魔化されそう。そういえば学生時代も、「マンションの前後左右ががけ崩れで親は近寄れん」とか見え透いたこと言って母親を煙に巻いていた。

ったく、真面目な親にこの息子あり。悔しいので写真は勝手に拝借。


 

昨年末以来の急激な円安株高である。長く持っていた投信が悲惨な状況だったけど、だいぶ持ち直してきた。

息子たちのお年玉を運用していた海外株の投信は特に値上がりした。上二人は先週売ったけれど、三男は自分の口座がどこにあるかも把握していない上に、仕事場は開発部門だとかで携帯電話持ち込み禁止。本人が昼休みに公衆電話から連絡する気になればいいけど。

買うときは母親が口座を開設して母親の一存で買えたのに、いつのまにか本人でないとできなくなった。お金の運用なんて面倒なこと、息子たちはするはずもない。儲けたところでさっさと手仕舞い。できれば私もそうしたい。

そんな話をしていたら、夫がまだ売るな、まだ上がると横槍を入れてくる。そりゃ投資で大もうけした人の話ならありがたく承りますけど、いつも高い時に仕入れて安くなりきったところで売るんだから、私にはやっていることの意味が分からん。

いつだったか「一億円儲けてあんたを幸せにしてやるから」という涙の出るようなありがたいお言葉を聞いたけど、その後音沙汰なし。まあ気長に楽しみにして待っておこう。

「私は別に今のままでいいけど」とその時にも答えたはず。本業優先、健康で仕事ができるだけで人間は充分じゃないかしら。

人間、持ちつけないお金を持つとろくなことがない。お金持った気の緩みで変なことするし、お金目当てに寄ってくる人がいて家の中もぎくしゃくしたりと、大金を持つならそれに見合う器量が必要です。

お金は必要なだけあればけっこう。足るを知る。空行く雲に青い冬空に、寒椿の赤い色に、その根元のスイセンの花に、過ぎた日の幸せの記憶が宿っている。それを見ながら静かに歳とっていけたら私はそれで充分。まあ平穏に暮らしたいなら、余計な欲を出さないことですな。

本日投信の一部売却。備忘として。

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新春の九州へ

2013-01-15 | 旅行

12日午後、自宅発。夕日を追いかけてひたすら西へ。そろそろ日没。

三時間で小倉着。夕食の店を探します。北九州は人口110万、海に面して活気があります。細い路地の奥にも飲食店がいっぱい。

 チャンポン麺やら

もつ鍋を食べて

この道を通ってホテルへ帰ります。


 

翌日は山へ行く夫と分かれ小倉城まで歩きます。

松本清張記念館。北九州出身。まだ開いてないのでpass

小倉に置かれた第十二師団。森鴎外はこの師団の軍医長として二年間赴任。

城内の大きな鏡餅。きょうは鏡開きだそうで、トンドに来た人にふるまわれるらしい。白い割烹着姿のご婦人多数。

橙の代わりの晩白柚ばんぺいゆ。デカッ!!私の携帯は大きさの対比のため。

小倉城天守閣。この日が成人式らしく、付近には晴れ着姿の新成人多数。

遥か昔、住民票を実家に残したままで成人式に出なかった私。母は振袖準備してたけど、言うこと聞く娘でないのであきらめてた模様。もっとも私の周りでは誰も出た人はいないし、なんか遠いところで行われている縁のない行事という感じかな。

親の家にいるならまた違っただろうけど。1969年1月ですよね。とにかく寒かった記憶しかない。

森鴎外旧居。お城から歩いて15分くらい。離婚した鴎外はこの地で勤めの傍ら小説を書き、翻訳をし、地元の文化人と交流した。

鹿児島本線の快速で博多まで。1時間ちょっとかかった。

この後、九州国立博物館で夫と待ち合わせ、ボストン美術館の里帰りした美術品の数々を見る。大勢の人。

歴史の教科書には必ず載っている「平治物語絵巻」。動きのある群衆の描き方、大火の炎の生々しさと素晴らしい作品でした。

「吉備大臣入唐絵巻」はアニメっぽくて面白かった。吉備真備が空中を飛んだりします。

蕭白の竜の絵はもんのすごい迫力。ゲテモノと紙一重のところで、芸術として成り立っているのは無駄なものを一切排除した表現の潔さから来るのかなとふと思った。

しかしまあ、国家神道というのは罪作りでもありましたね。仏教を排斥する中で、失われたものは多すぎると思う。

子供の頃、神社のそばに小さな建物があり、立派な仏像をたくさん納めていた。神社の中のお堂をすべて取り払い、仏像だけをそこに安置したのだと今になればわかる。地区の集会所として利用していたけど、あの仏像はその後どうなったのか気にかかる。

大宰府名物梅が枝餅

心字池の横を通ってホテルへ行きます。

夫はきょうはホテルは二度目だそうで。

よく聞いたならば、ナビに登山口の登山センターの電話番号を入れたつもりが、「ホテルが見えてきて間違ってたらに気が付いた」とか。笑ってしまった。

だから私はナビが嫌い。地図をしっかり見ていてら、日本全国いけないところはないはず。とまたまた、小さな夫婦喧嘩勃発。

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九州美食紀行

2013-01-14 | 旅行

連休は福岡、佐賀へ遊びに行きました。土曜日午後三時半に家を出て3時間で北九州、小倉まで。そのあと各地へ。とりあえず美味しいものから写真整理。

小倉の入り組んだ商店街のそのまた奥、カウンターだけの小さな店。野菜たっぷりのチャンポン麺。

博多名物もつ鍋、小倉にもあり。牛の小腸の輪切り。うん、確かに牛の味。コラーゲンたっぷり。

JR博多駅隣接のパスセンタービルの地階、店の名前失念。こちらもチャンポン麺。このお店は三度目。安くておいしくて早くて、讃岐うどんの店のようで…

大宰府名物、梅ケ枝餅。普通は丸めて焼くだけ、こちらは皮に羽根付き、中はしっとり、外がパリッとしてとおいしい。

ホテルの窓から。朝、正面に九州国立博物館の大屋根が。家並みは太宰府天満宮の門前町。

本日は朝宿を出てひたすら西へ。唐津経由で名護屋城跡まで。呼子の漁港が近く、海産物が豊富。イカシュウマイも美味。

その他の写真も明日以降順次アップします。ヘルスメーターに乗るのが怖い今日この頃。

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引き続き新年会

2013-01-12 | 日記

二年くらい前に、私がパソコンで描いた三男。コアラのぬいぐるみを顔に載せてコタツでくつろいでいます。

ちょっと男前に描きすぎた!!


 

昨日に引き続き、今朝は近所の友達と新年会。場所は近くの喫茶店。最近ではカフェと言うのかな。コーヒーが300円と激安。

話は尽きず、気が付いたら二時間経過。解散。お互いの家を行き来するのは大変だから、街角におしゃれな店があるのは嬉しい。

そこは昔、小さなスーパー→コンビニ(近所で初めての出店でとても繁盛して家を建て替えた)→息子さんの代になってカフェ(地域密着型。近所の人がたくさんお茶を飲みに来ている)

楽しく情報交換。「しかし、孫トークで盛り上がるなんてね」。孫は話するときはペットと同じ。ワンちゃん猫ちゃんの話で盛り上がるのと同じノリ。差し障りがなくてよろしい。

「相手が負担に感じることはしない」と言うのが彼女のポリシー。なるほど。今の時代そのくらい割り切った方がいいかも。

子供のない人が老後のために養子を探しているという話になり、今の時代、実子だって頼りにならないのに、わざわざそんなことしなくてもという話になった。子育てを楽しみたいというのならそれもいいけど、社会に出せばもうおしまい。過度な期待はケガの元、それよりか困らないように今から準備したほうがいいという話になった。

なかなかに有意義な集まりでした。

 

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新年会

2013-01-11 | 日記

織りの教室のみなさんと食事に行きました。五日市駅近く、morisitaです。平仮名に変換してください。教室の人に検索されてこのブログがばれたら、勝手なことを書き散らしているので恥ずかしくて行けなくなるから。

小鉢いろいろに刺身もついて、メインの肉料理、ごはん、吸い物と和食で食べやすいです。

デザートにコーヒーがついて1,400円と感動しました。

インターネットが立ち上がらなくて、メールのリンクからたどってきました。この忙しい時に…


先日のメール問題は、相手携帯電話で、登録したメール以外受け取れない設定にしていたようで、解決しました。12年前に、面と向かって貫禄が付いた(太った)と言われて(むかつき)連絡取ってなかったけど、奥さん亡くなったときいて、かわいそうだからまた年賀状のやり取りすることにしました。奥さんはスポーツ万能の美人でした。スポーツ大嫌いな私とえらい違いです。

しかしご本人は同情されるのは不本意なことでしょう。配偶者を亡くした友人が言うには、何も言わずに今まで通り付き合ってくれるのが一番いいそうです。同情されるのはいや、お悔やみを言われても思い出すので嫌だったそうです。

その彼女「今年は私は動でいくから」とのこと。旅行したり、いろいろ活動するそうで、「じゃ今まで静だったの。今までも充分動だったじゃないの」と申し上げましたです。ボランティア団体に加わって、近々自腹で石巻まで出かけるそうです。

自分で会社を経営しているのに、偉いです。我以外みなわが師。人のいいところが見えた時にはとても得した気持ちになります。自分はなかなか替えられないけど、細かなことにこだわらず今年も前向きに生きたいものです。

とりあえずの目標は納税準備の早期完了。来週の古文書購読の予習。月末ごろ、恩師と連絡取って本の印象を伝えたい。とそんなところでしようか。

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やれやれ

2013-01-11 | 日記

年末に作ったのが焼き上がりました。人形は初めてです。デジカメ、いよいよ調子が悪い。

ドイツで、連日の雨の中を酷使したのに加えて、先日の下関でも濡らしたので。液晶画面に粒々の模様があって消えない。そろそろ買い替え時。


 

納税準備、なかなか進まないので、部屋がなかなか片付かない。今年は本当にやる気が起きないけど、昨日何とか預かり金だけは納税。

そのあといろいろな書類を種類別に分けて、綴じる。例によって紛失しているもの数枚。またまた頭を下げて再発行をお願いしないといけない。

税理士さんに丸投げすれば楽だけど、できることは自分で。経費節減。

昨夜は夫が業者さんの講演会で外出。食事を作らないのではかどった。夕方、民放BSで、京都から宮島まで路線バスを乗り継いでいくという旅番組を見ながら楽しく作業。

時々放送しているけど、私はあのシリーズが大好き。上手く乗り継ぎながら4日かけて宮島口まで。バスでどこまでも行けてしまうのは日本の良さ。外国だとこうはいかないのでは?四日間でバス代は18,000円。そのほかに食事代、゜宿泊費。楽しそう~

新幹線だと京都まで二時間弱かな。片道11,000円くらい。時間と体力があれば、バスの旅の方が楽しいかも。

絵付けの先生からいただいたお年始。昆布茶とおみくじ入り。おみくじは末吉でした。何事もほどほどがいいようで。

 

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メールの返信?

2013-01-09 | 日記

昨日、友人から来たメール、エラーメッセージが出てどうしても返信できない。他のは出来るのに。

本日、絵付けのお稽古のあと、ショップで確認したら、送信直後にアドレス替えたとしか考えられない。と言われたけど、夜、別の友人と電話で話したら、「私達の歳でそんな面倒なことするはずがない。本人の知らないうちにガードでもかかってるんじゃないの」ということになった。そうですよねぇ。

それまでは私からのメールがなんで受け取れん???とちょっと気分悪かったけど、悪気はないことにしておこう。

本日は自転車とバスを乗り継いで先生のアトリエへ。割と便利なことがわかり、これからはお天気良ければそうするつもり。だんだん車に乗るのもおっくう。

納税準備、遅々として進まず。だからさあ、こんなつまらんブログ綴ってないで、やればいいんだけど、年々億劫。ああ、もうリタイアしたい。

毎日寒いけど、日差しが少しずつ春。元気出して頑張ろう。

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円安株高

2013-01-08 | 日記

もきょうは一段落したようで。でもこの一月、年末年始を挟んでの急な円安と株高にはちょっと驚いた。実体経済が回復したわけでもなく、大借金を抱えた日本国が刻々と破滅の道へと進んでいく足音が聞こえるような昨今、ここは一つ空元気でも出してパアッーーとやりたいという開き直りでなければいいんだけど。

納税準備、遅々として進まず。本日は未収金と棚卸。午後から美容院と買い物。


 

高校時代の恩師の著書、読みそうな人に声かけたらみなさん要るというので先生につなぐ予定。久しぶりに会いたいという人もいて、先生を交えて会えたら嬉しいとメールに返信したらどうしてもエラーになってしまう。なぜ?仕方ないのでまたハガキを出す。字が下手なので恥ずかしいけど。

一緒の教室にいたのはもう半世紀近く前。先生は大学を出たばかりの20代。私達もだけど、先生のなんという若さ。高校を卒業した春休み、みんなで先生の下宿へ遊びに行ったら六畳の部屋の天井近くまで本でいっぱい。その横の狭いところで話をしたんだった。

きのうの続きのようにまた話が再開できる気がする。今だから言えることもたくさんあるはず。先生の部屋の話をしたら、「なぜ呼んでくれなかった」と悔しがった人はもうこの世の人ではないらしい。

会える人と会えるときに。今年はこのテーマで行こうかな。

昨年来思ったことだけど、よその家にいきなり遊びに行きたいなんて、やっぱりおかしいと思う。うちへぜひ遊びに来てくださいと自分の方から何度か招待するくらいの気持ちでないと、人の家には呼んでもらえないのでは。

人の家に呼ばれるのは楽しいけど、迎える方は時間を割いて準備して、暮らし向きも晒すのだから、どうぞと呼ばれない限り、そうそうお邪魔するものでもないと思う。


円安株高に話を戻すと、本日息子たちの投信をそれぞれ売却させた。最近は本人が電話しないと売ってくれない。約4割の利益。といってもお年玉を貯めてたお金だから、もともと少額。少額でも増えたら気持ちいい。

夫は「まだ売るな、まだ上がる」と騒いでいたけど無視。先が見える能力があればすぐに大金持ちだけど、先が見えないからこそ人生は味わい深いのかもしれません。

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仕事始め

2013-01-07 | 日記

4日まで息子がいて、土日は少しだけ仕事したけど、きょうからいよいよ納税準備スタート。

性格がこうなんで、資料類をそろえるのに毎年一苦労。一週間をめどに頑張り、週末と連休はまた遊びたい。

本日は午前中、源泉税の確認。午後から次の連休の遊びの計画、そのあと車で毎月の書類提出。

本日、この後すること。去年の資料を出して同じように揃える。通帳一年分の確認。あちこちから届いている支払調書や源泉表の整理と確認。

でも今週はお稽古事が二日入ってるし、頭も登山帽で誤魔化してるけど、いよいよ抜き差しならんことになってるから美容院も行きたいし、一日三度ご飯食べる人が一人家にいるから時間は細切れだし。。。

この歳になると買い物でかけるのがものすごく面倒。あの店のあそこに行けば私の買いたいものがあると分かってれば出かけるけど、特に行きつけの店もないし、探すのは大変。原爆の後、市内で身内の御遺体を探して歩いた人はもっと大変だっただろうけど、比べるのも申し訳ないというもの。

若い時はお正月明けに待ちかねたようにバーゲンに出かけていてのに、服なんてぜぇーーーんぜん欲しくない。

 

この店ならよく行きます。ただし国内の店。こちらロンドン市内。2008年6月。

一号店は約30年前。広島本通りから一筋南より、ビルの一階。花柄のTシャツ980円を買った。

当時はユニークウェア・クロージングハウスという名前。電車の中釣り広告が、雑誌のそれに似ていたので覚えている。

安いと思ったら中国で作ってるんだあと気が付いた私。35歳だったかな。いずれにせよ遠い昔です。


 

本日、近所の銀行で息子の口座がまだ残っていることを確認。結婚直後に通帳と印鑑渡したのに、本人、すっかり失念していたそうで。いらんお金なら、母にお年玉として貰いたいもの。

年末、自分の中学校の成績表が出てきたので息子に見せた。「あんたのはいつも見せてもらっていたから私のを見せてあげる」とか言いつつ、無理やり見せる。

行動に関しては「模範的行動でした」とのありがたい評価。どこでどう間違えたか、今日の模範的でない行いの数々。学校で猫かぶっていたのかも。成績も英語より国語が悪い。忘れてた。でも今は日本語はまあまあま喋れるけど、英語はカタコトもいいところ。

長年の間に人は変わるということで。息子がお嫁さんにも見せたので、うわおう、恥ずかしかったよう。

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笑える年賀状

2013-01-05 | 日記

そろそろお正月も終わり、年賀状も終わりの時期。

私は数年前、恩師二人、実母以外には年賀状をやめ、その代わりPWつけた年賀状掲示板にしたが、それでも来る人からは来る。それは、私の非常識な行いにもかかわらず、これからもお付き合いしようという意思表示。反省して、ありがたさが身に染みた。

その後また少しずつ増えて、今年は20枚くらいになってしまった。諦めて年末にまた印字再会。年明けに年賀状を見るのは楽しかった。人のつながりを実感するというか。楽しさ、再発見。これからは負担にならない程度に頑張ろう。

夫は仕事関係で大量に来る。出すのも大変そう。結婚以来連名は三回くらいかな。我が家は各自で出す。家族写真なども一切なし。孫の写真も自分たちで楽しむだけ。世間には見せない。

世の中には病気の人、子供が未婚の人、結婚しても子供のない人、別れた人といろいろ。年賀状はお正月のこたつの上にあって、家族や親せきの目にも触れやすいもの。幸せ自慢、身内自慢をするよりは日頃の無沙汰を詫び、今年一年の相手方の幸せを願うものだと思う。

今まで来た笑える年賀状、とても笑えない年賀状といろいろあるけど、他人様のことをあげつらうのはよくないので、身内の話を少々。

我が夫から初めてもらった年賀状、謹賀新年の字と、色鉛筆かなんかで太陽の絵。夫の字はとても読みやすいし、私も今はとても字が下手になったので人のこと言えないけど、「どうしたらこんな(下手な)字が書けるのだろう?」とそのとき思わず鉛筆でなぞってしまった。

結果、分かったこと。どの字も縦を長くすると上手に見せることはできるようです。

結婚してその時の下書き発見。肩を組んだ男女が太陽を指さしている年賀状

わおう、恥ずかしい。そしてものすごく笑った。笑いに笑い、そのあとで、もしその図柄だったら、お付き合い止めてたかもと思った。そうしたら息子三人と孫もこの世にはいなかったはず。しみじみと年賀状は大切です。

そうそう、結婚当初は年末いつも一騒動。夫はなかなか書かないし、書いたら書いたで、字を笑った、笑うのをこらえていたけど、目が笑っていたと、毎年もめていた。だっておかしいんだもん。

ワープロやパソコンで書けるようになって、年末恒例の楽しい行事も終了。それに、夫の字は昔から変わらないのでむしろ読みやすい。私の方が下手になってるかも。

今年の年賀状、長男はごく普通の家族写真、三男は写真たくさん、結婚式の私の写真まで。お正月に家族みんなに、「私ってこんなに太くないよねーーー」と留袖姿を見せつつ同意求めるも誰も相手にしてくれん。大泣き。

息子よ頼む、私の写真を勝手に世間にばらまかんでほしい

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お正月も終了

2013-01-04 | 日記

仙台箪笥の職人さんの作る木のオルゴール。いろいろな木の色と質感を生かし、クリームはおがくずを接着剤で固めるそうで。某番組より画像拝借。


朝、洗濯と息子一家の布団干しをするうちお姑様来訪。昨夜、私のドイツの写真集を見ながら地図で確認していたそうで、返却がてら話に来た。

持参の地図で、旅行した都市を二人で探す。その町でのあれこれを熱心に聞いてくれた。ドイツの話はいろんな人にしたけど、一番熱心に聞いてくれたのはお姑様。18年前に一月滞在したパリの話になり、そこからイギリスやドイツへ旅行した話になった。そのときは70台前半、まだまだ元気だった。

3月には90歳になるけれど、私たちとちゃんと話がかみ合うし、知識欲はすごくあるし、一人で暮らしているし、電車バスでどこへでも行くし、確定申告も自分できちんと書いて済ますし、決して威張らず、悔やまず、嫌いな人にも親切に。。。。と身内自慢になってしまったけど、私は本当に姑の当たりがよかった。感謝の一言。

で思ったのは年寄りはもう何もいらない。服も宝石も食器も食べ物も。旅行も外食も疲れるだけ。いちばんのプレゼントは、話を聞く時間を作ることだと思いが至った。

今年は時々ゆっくりと話をしよう。

昼前、最後まで残っていた次男が帰って行った。結婚したらもうお正月も親の家でのんびりと行かないので、ゆっくり休んでよかったのでは。


午後から近くの税務署へ出かけ、帳票の補充。とそこまではよかったけど、つい帰り道のSCに寄り・・・

購入。普段は菓子パンなんて食べないのに、ブログのネタにと。蛇もこんな蛇なら好かれるはず。


 

きょうはこれを読む予定。著者よりのいただき物。添えられた手紙に人生は短い。本当にするべきことをして自分の人生を完成してください。とあった。そうなんですよね。生きたあかしを残すって、女は(というか男も)手っ取り早く子供、孫と生物としての命をつないでいくけれど、それ以外に何があるのだろうと考えた。

ずっと小説を書いている友達がいる。10年に一度、自費出版している。私は自費出版はしたくない。上の本も出版不況で半ば自費出版と伺った。

この私には、流通に乗らなくても本当に表現したいこと、本当に後世に残したいことに何があるのだろうと、ふと考えた。

飽きっぽくてアバウト、丁寧にできないこの性格から今年は少し治したい。治るかな。

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正月登山

2013-01-03 | 日記

昨日、緑化センターから三本木山へ行くつもりがゲートが施錠されていて、登山口まで徒歩で行ってヘロヘロ。

本日は呉の休山へ行くことにしました。

自宅発10:00→登山口着10:45→山頂12:00→山頂発12:16→登山口13:30→登山口の寺参拝→帰宅開始13:55→自宅着15:00

呉の清水ヶ丘高校前から源宗坊寺へ。途中細い道路を人家の途絶えるところまで。難しい道です。寺に車を停めていざ出発。これは途中、送電線鉄塔下の標識

尾根に上がると車道を約40分歩きます。

頂上から、呉市内を。大和ミュージアムなども見えます。

南。冬の瀬戸内海。今年もこの海のように穏やかに過ぎますように。

反対側。広、阿賀方面

登山口のこちらのお寺へ。2010年5月以来です。あの時は三男に連れられてお参り。

源宗坊という人が自力で仏像を作ったそうで、珍スポットとしてひそかに有名。着物の裾に大きなムカデが!!!!

釈迦の胎内の廬舎那仏が不動明として姿を顕しとかいう説明があります。完成後にはものすごく大きな大仏になるらしいけど、未完。

手は出来てます。携帯は大きさの対比のために。

こちら足

入り口の阿吽の像。すべてコンクリート製。明治時代という話だけど、100年は経っていないと思う。戦後?

信者さんがいるらしく、各仏像にはお正月の花が供えられていた。

きれいな写真はこちらで。http://abbkbb.seesaa.net/article/227311932.html

前来た時はとても笑えたけど、きょうは稚拙な・・・もといユニークで素朴な像を作った人の気持ちを思ってしまった。

山を買って自力で宗教施設にしたのかしら。今は無住で地元の人が世話をしているのかもしれない。うーーーむ、謎。


 

帰宅してお姑さんのところへ夫と二人でゆっくりと話した。ご先祖の誰彼の話から、薩摩藩の治水、西郷隆盛、秀吉の島津攻めにまで話は遡り、また二世代前くらいに戻り、たくさんの人が出て来るのに夫がgive upして解散。

でもゆっくり話を聞くことがあまりないのでよかった。いよいよ明日は仕事始め。仕事山積。過ぎてしまえばあっと言う間のお正月。

年末、実家地方から2箱取り寄せ。赤いのはエビ入り。子供の頃は御馳走だった。うどんによく合います。

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正月に思ったこと

2013-01-02 | 日記

ドイツ、ミュンヘンのホテルで。昨年11月。パンいろいろ、ヨーロッパのパンは甘くなくて歯応えしっかり、素材の味しっかり。おいしい。


年末年始、今は店も開いているし、便利な世の中になったけど、昔の主婦は人をもてなすのが本当に大変だっただろうなあと、自分ももてなす側の端くれに身を置いてつくづく思う。

実家は親戚が多くて、人の出入りも半端でないくらい多い家だった。叔父の結婚式も家でして、食器の後片付けを母が一人でしたといまだに言っている。よほど大変だったのだろう。

お正月前には餅をつき、おせち料理を作り、次々やってくる親戚をもてなし、母は本当に頑張っていた。私は実家にいるころは母に大事にされていたのでほとんど手伝ってなかった。

この歳で、わずか数人増えただけでおたおたするとは、私にはよほど料理の才能がないに違いない。

去年会った友達は、年末は餅を一斗搗いて分家各家に配り、黒豆の炊き方もすらすらと空で言える。昔、机を並べて勉強した間柄なのに、この違いはどこから出てきたかというと、この40年間、長男の嫁とは名ばかり、何もしてこなかったからであることは明らか。

年末、夫の遠縁の人が話に来たいと言われ、下関まで逃走していた私。以前、やはり年末に来て半日滞在、掃除できない上に私の容姿に関して嫌なことを言ったので、もう会いたくない。相手はそんなこと言ったのも忘れてるだろうけど。

社会人として、主婦としてこれは許されるのか。許されないと思う。いい歳してそんな我慢もできないなんて。と思う半面、もう我慢しなくてもいい歳になったのだと思うことにした。遠縁の人は義母が相手をしてくれた。助かった。いつまでも不出来な嫁のpotition、この心地よさがいつまでも続きますように。と勝手なことを願った新年。

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年年歳歳

2013-01-01 | 日記

去年とは少し違う。孫娘が成長した。シックなコートですっかりレディのつもり。帽子と手袋は私のを貸与。

「雪が降ったら傘ささんといけんねぇ」だそうです。

10年前とはだいぶ違う。家族が増えて賑やかになった。

20年前とはうんと違う。高校生、中学生、小学生。元気よく遊んでしっかり勉強してくれたらそれでいい。

毎年元旦は巡ってくるけれど、確実に年月が経つことを実感する。

その昔、実家へ子供を連れて帰るのは楽しみだった。でも義妹は本当に大変だったと思う。今はもう行くこともないけど、感謝の心は忘れていない。感謝の言葉を伝えるすべもないけれど。人は自分がその立場にならないと分からないことだらけ。

みんなで旅行したら簡単なんだけど、お金で買える楽しさより、遠慮なく夜更かししたり、好きなもの食べたり、好きなお酒飲んだりと、好きに過ごす方が今のところは楽しい。私はとても疲れるけど。

「猫ちゃんの赤ちゃんがねんねして、ママが見ている」んだそうです。

甘えん坊ですが、私が無制限に甘やかさないので、この人には無理を言っても駄目だと二歳児で分かっている様子。顔色を見て、自分の中で納得するまでのわずかな表情の揺れが面白くて、見飽きない。どんな小さい子でも、言葉のわからない子でも大人が真剣に言うことは伝わるものです。年寄りっ子は三文安いと言います。愛情大切。でも溺愛は禁止。

「何してるの?」と聞くと、小さな声で恥ずかしそうに「オベンキョー」ですって。わおう、可愛い。本人、字を書いているつもりらしい。

昨日に引き続き夫はバイト。お正月なのでお弁当付。これにお雑煮を付けて遅い昼食をする頃には嵐の一団は去り、次男と三人の静かな家に。三男は海外旅行中で、「また帰省しますね」と年賀状に添え書きが。ねが怪しい。なだめる口調。本当に帰るかどうかは不明。大学時代、何度もこの手で騙されたので。

あああーーーーー会いたいよう。母絶唱。

 

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二つの寝殿造り

2013-01-01 | 読書

京都嵐山の大河内山荘。映画スター大河内伝次郎が、精魂傾けて建築させた瀟洒な建物と粋を凝らした日本庭園。2006年10月


ドイツ旅行の時以来少しずつたまった「週刊絵巻で楽しむ源氏物語」を読んでいる。図版たくさん、解説適宜、軽くていつでもどこでも寝転がっても読めるので、私のようなものには都合がいい。

巻末、各分野の人たちが自分と源氏物語のかかわりをリレーエッセィで繋いでいるが、50巻目、日本建築史の研究家、川本重雄氏の指摘はなかなか興味深かった。

私も寝殿造りとは正殿があり、西の対、東の対を渡殿で結ぶ左右対称の大建築というイメージだったけど、そうではなくて、大臣でない身分以下の人たちはもっと小さな家に住んでいたとのこと。

柱を何本も立てた大建築は、朝廷の儀式をする御殿を個人の家に再現したものというのが川本氏の説。(と理解した。短いエッセィなので詳細わからず)。決して暑さ対策ではないとのこと。

そこに暮らす人はその空間を家具や几帳で区切って使いやすくしている。もっと身分の低い人の家は障子(今でいうと襖)で区切る。

なんでそんなことがわかるかというと、光源氏が女性のもとに忍び込むとき、御簾や帳帷子を掻き分けていくのと、障子を開けていくのに書き分けているからだそうで。

気が付かなかった。広い御殿とそうでない家、忍び込み方にもいろいろ。女性にまめな光源氏のおかげで、当時の建築様式までわかるとは、物語にもいろいろな読み方がある。

「招婿婚の研究」という労作を思い出した。私は読んでないけど、友人が、40年以上前の寒い下宿の部屋で読んでいた。物語には当時の人には当たり前すぎてつい書き流してしまうような場面がいろいろあるけれど、あとの時代から見ると珍しい習俗や文物が隠れているということで、何事も文字に残すのは大切なのだと改めて思った。

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