夜 160cm まで織りました。 あと40cm 、3日間くらいで、できればいいんですが。
夜 160cm まで織りました。 あと40cm 、3日間くらいで、できればいいんですが。
斜めに柄を入れるので 、型紙を当てます。
9/13 米子市内の宿を出て豪円山に向かう。こちらは大山を取り囲む山の一つで、30分ほどで登れる年寄りにも優しい山。
大昔、子供たちと麓から少し歩いた記憶があります。
米子市街地を抜けて、大山に向かいます。約30分で山の麓につきます。
閉まっているスキー宿のPに車を置いて、目の前はもう山です。
あちらが頂上方向。
左手から登ります。初めは木陰が続きます。
山野草いろいろ。
イタドリ(赤花)
この季節、ツリフネソウが咲いています。
キンミズヒキ
ツリガネニンジン。
せり科。シシウド?
花の後ろがクルリンと~。
マルバハギ。
ゲンノショウコはよく見る花。
白花も。
やがて木陰も尽き・・・
草原へと。ススキが穂を出して初秋の趣き。
振り返れば大山。夫は40代に何度か登ったのですが、私は未踏。
菊の仲間。シラヤマギク?
山は少しずつ秋。
秋の七草が二つ。
こちらも七草のひとつ。ワレモコウは花にピントを合わすのが難しい。
えーと・・・
秋の山歩き。舗装して歩きやすい。
のろし台跡からの大山。
米子市内と日本海。
途中に避難小屋みたいなのがありますが、何かの作業用の小屋らしい。鍵がかかっていて入れません。
その横から森林地帯へ。
ツルリンドウ。
ヤマアジサイが残っていた。
ブナの木の下、ササを掻き分けて歩く。木漏れ日の登山道。
頂上の説明版。山頂は大山寺別当(住職?)、豪円の墓所とのこと。地元の大名と争い、米子城の見下ろせる場所に葬るように遺言したそうです。
麓には歴代の住職の墓石もあります。
頂上は展望なし。草生した石垣の上に石仏一体。米子の方を見下ろしているようにも見えます。
ここまでゆっくりで30分くらい。勾配緩やかで楽に登れました。
またまたヤマアジサイ。
先ほどの作業小屋の横まで戻る。地面の切れたところは近寄って見るとジャンプ台でした。
急角度で上から見ると怖い。この山はスキーではなくてジャンプをする山のようです。40年以上前にはなかったのかも。
大山山麓。スキー場、たくさん。
どんどん降りて行きます。
大山にかかる雲が刻々変化します。
この付近で若い女性が一人で登るのに出会う。少し話をする。あとから年配のご夫婦も来る。女性、年寄りに優しい山。
大山にかかる雲が刻々変化します。
斑点の多いツリフネソウ。
こちらは淡い色。
株によって色もさまざま。9月の花でした。
今年もツリフネソウ、ヤマアジサイ、ツルリンドウが見られて結構でした。
9/12 皆生温泉「松月」泊。行ったら予想外の広い部屋で焦りまくったのは前にも書きました。
テレビが3台。夜は各自でYoutube見て過ごす。
18時半からの夕食はレストランで。スタンダードコース。他にステーキとカニのつくプランもあるようです。
うさぎの中も何か入っていた。
器は雁行する橋の見立て。気が付かず、杭に見立てたもの、うっかり食べそうになった。
肉一切れとジャガイモなどは後で食べるつもりだったら気が付かないうちに下げられていた。残念、無念。
蛤とマツタケの土瓶蒸し。
サラダには卵の黄身と酢を混ぜたドレッシングが。卵白も入れるとマヨネーズ。
お刺身いろいろ。左手、イサキが珍しい。
厚切りチャーシューみたいなのにいろいろ掛かっていた。
いちばん上はミョウガ?
天ぷら。
デザート。ここでもうさぎ。米子は因幡の白うさぎの地元でしたか。
このあと展望風呂と部屋の風呂に入って、貸切風呂と姉妹館の温泉には行けず。そちらはまたの機会を楽しみにしましょう。
朝ごはん。
小さなノドグロもついていました。
海を見ながらの朝食。波が穏やかでいいお天気です。
ラウンジ。
このあと一眼レフカメラのケースがないことに気が付き、夫に車で待ってもらって海岸まで行くと落ちていました。やれやれ。白い浜で黒い落とし物、すぐ見つかってよかったです。
旅はまだまだ続きます。
8時40分頃、自宅発。ガソリン入れて、西風IC~広島道~中国道~松江道~山陰道と走り、米子西で下りて境港へ向かう。
いいお天気です。とても暑い。
途中で昼ご飯。
道沿いの蕎麦屋。
お客さんが多かった。
あちらがおいしそう。
お腹が冷えるので私は熱いうどんにした。残念。
境港市と松江市の間の境水道大橋。
とても高いところを走ります。
降りてくぐって・・・
海べりの快走路。まだまだ真夏。雲が少しだけ秋の気配。
美保漁港につきました。美保神社があります。
しめ縄が出雲大社に似ています。
狭い通りの両側に旅館、商店が並びます。昔からの通りのようです。
真昼で、人は少なめ。
古い旅館。
建物の間から港と大山が見える。
港に戻りました。大山は雲の中。
車にいた夫を誘ってもう一度歩き、突き当り左の仏谷寺ぶっこくじまで行く。
後鳥羽上皇が隠岐に流される途中でこのお寺の前身、三明院に滞在したそうです。その時に歌を残しています。
ここまで来れば隠岐はもうすぐ。落剝の思い、都を懐かしむ気持ちを歌に託しています。
約100年後、今度は後醍醐天皇も立ち寄ります。
後鳥羽上皇は隠岐に陵がありますが、後醍醐天皇は島を脱出、味方を集めて南朝を立て、吉野で最後を迎えます。史上まれにみるactiveな帝。その名もgo-dei-go。醍醐天皇に憧れ、生きているうちから諱を付けた信念の人。
隠岐を出て船上山に移りますが、昔の天皇はどんな所へも輿で行く。以前、船上山に登った時、輿を置いた場所を見ました。担ぐ人も大変です。
今夜の「光る君へ」は御嶽詣で。今なら近鉄で京都から日帰りできますが、昔の旅は大変です。剣岳みたいな岩場で落ちそうになって、リポビタンのCMみたいなで楽しめました。
島根半島が風よけになり、昔からの良港だったことでしょう。北前船の行き来する時代は今よりうんと賑やかで栄えたことでしょう。
古い時代の面影が色濃く残る港町、行ってよかったと思いました。文人墨客も多く訪れ、短歌など残しています。
しかし、暑かった。。。
続いて半島の先端、美保関灯台へ。
駐車場から歩いて行くと見えてきました。
隠岐の島がかすかに見えています。
灯台に周りを歩いて引き返します。途中、外海に面した港へ立ち寄ります。
磯が続きます。
アワビやサザエなどの密猟禁止の看板多数。
イカ釣り船。
このあと来た道を引き返して皆生温泉へ。海岸に旅館が並ぶ温泉街でした。旅館多数。平日でお客さんはそこそこ。海水浴のシーズンは賑わうそうです。
これはすごい。子供も孫も大きくなって、私達にはもう御縁もなさそうですが。
12、13日は山陰へ旅行していました。元々は8月に行く予定でしたが、夫の都合で9月になりました。
行く先は島根県の美保が関灯台、大山麓の豪円山、米子城址などですが、今回一番の驚きは皆生温泉の旅館でした。
ごく庶民の私たち、ごく庶民向けの部屋を、クーポンとポイント駆使して安く予約したつもりでしたが、案内されたのは海が正面に見える三間続きの部屋でした。
手前、和室にベッド。真ん中リビング。向こうは和室。その向こうは日本海。
全部で105.8平米って・・・何畳分・・・焦る。
反対側から。壁に姿見があったのに今初めて気が付く。ゴミ箱みたいなのは枕元の灯。それも今気が付いた。
三つの部屋にそれぞれテレビ付き。写ってないけど、長椅子の後ろにはマッサージチェアあり。
手洗い二つ、洗面所のボウル二つ、風呂はずっとお湯が流れていて、ベランダ付きで海がよく見える。
海岸歩く人も丸見え。ということは向こうからこちらも見えるのではと、焦る。
きれいな砂浜。真夏は海水浴でにぎわうそうです。この日も泳いでいる人がちらほら。まだまだ暑い。
向こうは美保関のある島根県。夏雲も頑張っています。
各自で散歩。平日で人は少なめ。松に砂浜、日本海の夕暮れ。
温泉、食事の後は各自でYoutube。これはネットに繋がなくてもすぐに見れて便利。
設定がちょっとあれこれあるけれど、あとは操作も簡単でした。
子供も退屈しない筈。ついでに大人も楽しく過ごせました。って、家にいるのと同じみたいですが。
部屋から見る朝焼け。向こうは姉妹館。あちらの温泉にも入れるのですが、行きそびれました。
チェックアウトの時、「グレードアップしていただいたんですか?」と尋ねたら「部屋お任せのご予約でしたので、空いている特別室をご案内しました」とのこと。
そうだったんだあ~安心しました。感謝、感謝。
広い部屋で心がゆったりして、日常のわずらわしさをしばし忘れました。いい部屋で過ごせたのは本当にラッキーでした。
今度は別の人(女性)と行って見たい。普通の部屋だって充分素敵です。
一人旅の人、ビジネス利用の人向けにシングル部屋もあります。
一人で夕食食べているお客さんもいました。私も一人でもひるまない胆力をつけたいものです。今年の一月、玉造温泉で出会った年配女性、楽しそうに生き生きと一人旅を楽しんでおられました。
山歩きなどは次の機会に書きたいと思います。
毎日暑い。35度が続く。夜は昨年まで窓を開けて熟睡していたけど、今年からエアコン入れて、暑いか寒いかで目が醒める。
昼間は暑くてやる気が起きず、しかし一日一行程で少しずつ前へ。
土曜日は筬まで全部通す。
日曜日は芋堀りで疲れて休む。
月曜日、手前に糸を結び付けて機ごしらえ完了。
火曜日。小管に糸を通してシャトルにセット。時間にして10分くらい。ああ、よう働いた。
暑いのでやる気が起きず。
今朝は織り始めたけど、通し間違いが何か所か。やり直すのに時間がかかる。
一本足りなくて後から糸を足したけど、他の場所で通していないのが一本現われた。それで追加の糸は外す。
昼前にここまで。一部間違ってます。ほどきます。なかなか進みません。
しかし少しずつでもしていれば、いつかは終わるでしょう。
織ってみると案外地味。私は組織織り出身なので、派手なことができない。
糸の順番に凝って手間はかかるけど、出来上がりは・・・
一つ仕上げれば、一つ山を越えれば、向こうに新たな山が見えてくる。
機織りとは果てのない旅路。太宰治は「小説書くうち、行くも千里、帰るも千里の平原の真ん中にいることに気が付いて驚いた」と、何かに書いていたけれど、私の場合は行くは万里、帰るのは振り向いたらすぐ後ろ。
私が機織りしなくても誰も困らない。そう見極めてそれでもやると覚悟を決めてこそ、見える景色もあるでしょう。
これを仕上げて街へ売りに行き、そのお金でお米を買って帰らないと子供が飢えてしまう。そのくらいの覚悟がないと、たとえ趣味でもその入り口にもたどり着けないのかもしれませんが、自堕落に流れるのは人の私の常。自堕落な自分をだましだまし。
それにつけても今日の暑さよ。
夫が息子二人に声かけて、昨日はサツマイモを収穫。
屋上にプランターが15個くらい。
昨年まで夏野菜各種を夫一人で作っていましたが、背中を傷めてもう無理をしません。
GWに息子二人に手伝ってもらって、手間のかからないサツマイモを植えていました。
一部、顔を出しているのもあります。
プランターをひっくり返してイモを探索、土はまたプランターに戻して隅に片付ける。これは息子たちの役目。
私はツルと雑草を取り除き、作業の下準備。掘ったイモの泥を洗い落とすなど、力のいらない仕事を。
夫は椅子に座りいろいろ指図します。
「自分の思うように人を動かせるのは難しい。できない人はする人に任せなさい。だいいち、家業じゃなくて趣味なんだから、自分で出来る範囲で収めるように」と長年連れ添った妻からの助言。
我が家が農家なら頑張るけど、そうでないので頑張らない。きょうは息子たちが来たので特別。
この国の農家の女性=娘、嫁、母親と立場は変われど、ずっと無償で働いてきた。家族の労働時間を管理し、それに見合う賃金を一人一人に支払う農家って、私の狭い見聞では聞いたことありません。女性が農家に嫁に行きたがらないのは、ただ働きさせられそうだから?それを責める資格は誰にもないのでは?
これは何も家の主が強欲なわけではなく、家族に賃金払えるほどの収入がないのが主な原因。
今年はコメが足りないのでもっと作らなければ・・・という話を聞くようになりました。言う人はどこかで誰かがしてくれると思っているのでしょうね。自分が率先して米を作ろうとは発想しない。そう思っても、米作りは高度な技術の蓄積、簡単には出来ませんが。
「日本の食料自給率を上げるために私は報われなくても頑張る」という人がいたらはそれは立派ですが、コメ不足をきつかけに、農産物が手元に来るまでの手間に思いを馳せ、食べ物とそれを作る人に敬意を払い、農家の暮らしが成り立つような政策をぜひお願いしたいものです。
私がいちばん要領いいとは、夫の弁。褒めてる?
物心ついたころからの手伝い各種。5年生くらいからは田植えの手伝いも。農作業は年忌が入ってます。エッヘン、オッホン。
田植えは手植え。小学校の先生が、みんな家の田んぼがどれだけあるか言えなんてことがあり、今なら大問題になりそうですが、我が家がいちばん広くて恥ずかしい思いをしました。今でも何平米と聞くと、水田だと約何反何畝とか、一町歩以上とか、即時に換算する私。換算して面積を実感する私。
田植えは作業が遅れると「仕事がとろい」と丸わかりなので、必死で終わらせる。農地が広いとそれはそれは大変でした。
米の自給率増やすって、言うのは簡単。本気で考える時期に来ていると私は思います。
おやおや熱く語ってしまいました。
サツマイモの収穫、わずかだけど、10時から2時間かかった。隣のビルの住人の方たち、お騒がせしました。
この人は来たけれど参加せず。自分の好きなことしています。ついでにおやつを食べつくし、冷蔵庫からジュースも出して飲んでいました。
おばあちゃんの家で過ごしたこと、ずっと憶えていてほしいものです。
山分け。要るだけ持って帰りなさいと言う私。
全部で29本、3.5キロと長男が計測する。
暑くなるのでもう帰りなさいと、買っていた海苔巻きをサツマイモにつけて、早々に帰ってもらう。
細いイモはご飯に炊き込みました。皮がついて煮崩れなし。
新しいイモの味。多分ビタミンが多い?
大した作業していないのにとても疲れて、昨日から今朝までグダグダしていた。もう少し体を鍛えねばと思うばかり。
一昨日は誕生日でした。翌日、年に一度の血液検査などの予定なので、飲食は控えめ。
夫がケーキの代わりに花を買ってくれました。
ありがとね。にゃんにやん~☆
あれとこれと・・・と花束にしてもらったとのこと。
普段、均一料金の花を買うことの多い私、豪華です。
ワインも買ってきて、献立は普通。春巻き、その他でした。
翌日は検査の日。今年から、市から補助があって基本的な検査は無料。
身長、体重、腹囲の計測って・・・腹囲は聞いてなかった。焦る。
問診表の年齢、一つ多くなって、まだ年齢に気持ちが追い付いて行かない。うかうかとこんなに年取って、中身は未熟でいい加減なまま。どうもこのままで終わりそうです。
せめて速く歩いてなるだけ健康でいたいもの。
信号機は、人の歩く速度を1秒=1mとして設計しているそうで、青信号が渡り切れないのは老化のサインだそうです。
歩くはやさで寿命がわかる?歩行者信号に勝てれば長生きできる! - 福岡のみらいクリニック (mirai-iryou.com)
歩く速度は落とさないよう頑張ります。
本日は早くに起きたので6時から10時半まで織り機の周りでうろうろ。
それから掃除してちょっと休んているともう昼。昼ご飯作りたくなかったのでうだうだしていると、夫がパスタを私の分も茹でてくれた。
夫は袋入りのソース各種を持っていて、それで食べる。私は市販のソースは苦手なので、冷凍庫から発掘した海鮮いろいろをオリーブオイルでいためて、パスタと和える。簡単でよかった。
買い物に行くのも、ましてや着替えて食事に行くのもこの暑さで億劫。家でおとなしくしています。
やれやれ、だいぶできました。
最後に手前の女巻に結び付ければ完了です。
糸が一本抜けました。巻き戻すと糸の列が乱れるので、空き容器に水を入れて重しとして、糸のテンションを一定に揃えます。
こんな時のための道具もありますが、
専用の道具は高価なので、家にあるものでしのぎます(貧)
11月には、地元の工芸の人だけで作品を持ち寄るのですが、それまでに半分でもできていればいいなと思っています。
まだまだ暑いので無理せずに。
夜中に起きていても寒くないのは助かりますが。
午前中、知り合いの出している職美展鑑賞。
今年で70回目だそうで、昭和29年、広島市内の各職場の美術愛好家が連合で美術展をしたのが始まりのようです。
私の知り合いは会の世話役。私も四回くらい出した記憶があります。初めの二回は水彩画、あとは機織りでした。出展料は当時3千円、搬出入は自分で。参加しやすい展覧会でした。
殆どが小品でしたが、力作多数。勉強になりました。
展示室 催し物スケジュール9月|催し物案内|広島県民文化センター (rcchall.jp)
昼までには帰宅。電停降りて近くのローソンで買い物した時、無印良品の品物を少し置いているのに気が付いた。基礎化粧品と文具です。
数年前、三男嫁ちゃんに勧められて無印の化粧水など買い始めましたが、街中まで買いに行くのがやや億劫。これなら安心です。と、こんな些細なことに喜ぶ私。
今日はめでたく誕生日ですが、明日、近所のクリニックで、年に一度のいろいろな検査の予定。数値が気になるのでご馳走食べるのは明日以降にして、今日は地味に過ごしています。
地味ついでに毎度おなじみの機ごしらえの画像。
綜絖はあと6㎝分=38本くらい。そしてあとは手前に巻き取るだけ。先が見えてきました。
毎度毎度、とりあえず15分だけがんばろう、と自分をなだめて機織り機の前へ行く。
やり始めると15分では終わらないけど、嫌になるまでしない。まだ続けたい気持ちのあるうちに止める。
そうすると、その気持ちが一日くらいでまた育ち、次にも頑張れる。
頑張った自分には自分でご褒美を。といってもささやかなものです。ジュース飲むとか、録画していた番組を見るとか。
地味ですねぇ。地味な生活。人がしていないようなものを織って、ちょっと人を驚かせたい。ささやかに自己表現。
それにしても絵に比べて何と時間のかかることよ。5月から始めてやっと織り始めたところ。来年3月半ばには仕上げたい。気が付くとすっかり工芸の人になっている私。雑で不器用な私が、はててどこまでやれるのか。残りの人生の時間との競争であります。
昨日は、午前中、茶話会。
買い物、会場の準備、町内会長宅へ広島市の「高齢者生き生きポイント」のゴム印を借りに行くなどで忙しかった。
会に参加で一回ごとに200ポイント、年末に他の活動と一緒に合算して1ポイント1円で振り込まれる。
以前は電車バスの回数券が出ていたけど、いろいろ不都合があったらしくポイント制に。健康診断でもポイントがもらえる。
このコメ不足のご時世に、会員の一人は島根県の知り合いから送ってもらうとかで、今回は炊き込みご飯をたくさん持ってきてくれた。みんなで分ける。ありがたや。
昼、夫の昼ご飯にしたけれど食べきれず、残りは私が夜にいただいた。
皆様、お米足りてますか。8月末から全然売ってないので、うるち米にもち米を少し足して毎日炊いていましたが、本日、近所のスーパーで残り一袋を買ってきました。
朝7時、ゴミ出しついでに行った時にはなかったけど、夕方4時ころにはあったので、無洗米はめったに買いませんが、とりあえず購入。
8月末の精米、昨年産かもしれませんが、安心しました。これから徐々に出回ると思います。
コメ不足は一時的なものではなく、構造的な問題という意見もあるようですね。長期的な視点に立った政策が望まれるところです。日本国民として、米だけはなくなる心配をしたくないものです。
昨日は午後から乳がんの検診。一度良性腫瘍を取ったので、集団検診ではなくて個別の経過観察です。検診に特化したクリニックは若い患者さんが多く、私のような年配者は見かけません。皆さん集団検診で済ましているのでしょうか。
今朝は早くに起きたので、とりあえず熱いハーブティーを飲む。
夫はまだ起きて来ません。
9月初め、ほんの少し秋が萌した静かな朝です。
涼しいうちに筬の残りを通して、午後から綜絖を少しだけ通して本日の根気は使い果たし、終了。
広い幅の織機に30㎝で掛ける。
その心は出入りが楽。
組織織なので、機ごしらえが終われば後は速い。
デザインを大幅に変えたのでどんなものになるかは未定。
夕方、庭に水を撒いていたら隣家の人が寄って来て
「うちに空き巣が入りそうになった」と言うので驚いた。
日曜日未明だそうで、台所の窓を開けようとして物音に気付いた娘さんが声を出すと侵入せずに逃げたとのことです。
びっくりしました。
ネットで検索すると、窃盗もいろいろ。今回のは窃盗のうちの侵入盗、その未遂になるらしい。
今時、人のいる家に忍び込んで盗みを働くなんて、なんて古典的な犯罪と思ってしまった。
「家にお金なんか置いてないでしょ」と言うと、
「いや、うちは置いている」とのことでした。
お隣も一戸建て、裏のマンションの自転車置き場には誰でも入れるので、人目に付きにくいそちらからの侵入?
事前にリサーチしているはずなので、もしかしたら女所帯というのも分かっていたのかも。夜中にもよく啼いていたワンちゃんも旅立ってしまったし。我が家は、一応男と名の付く人がいるので避けられたのでしょうか。いざという時、犬よりは頼りになることを期待。
昨年までの私、夏の間は開け放して寝ていましたが、今年のあまりの暑さに閉め切ってエアコンをすること多し。幸いでした。
これからも戸締りしっかり、用心専一で行きたいと思います。
夜「光る君へ」を見た後、21時頃から、気乗りしなかったけど、15分だけのつもりで始める。
どんな嫌なことでも15分なら我慢できそうなので。
でも始めたら、早く仕上げたいのが人の常。気が付いたら2時間も織り機の前に座っていた。
通した糸の本数は16×5×4+8=328本
あまり根を詰めると疲れるので本日はこれまで。時に23時過ぎ。
明日も引き続きしたいけど、午前、午後に用事あり。
毎日少しずつでも。やがて先が見えてくることでしょう。
内裏の局、女房達の寝室の俯瞰の映像が面白かった。几帳で仕切っただけの合宿生活。髪の毛は枕元の箱に入れて休むんですね。知らんかった。
寝相それぞれの中に、黒い影とともに部屋を出ていく女房一名、誰とどこへ行くのでしょう。
源氏物語は初め私家版として、簡易な装丁で流布して次第に評判になり、それ以後藤壺に出仕したのが定説のようですが、ドラマはドラマとして見ていきましょう。
雀を逃がした幼いころの紫の上を、光源氏が見つける場面はドラマに、二人の主役の出会いの場面として描かれ、それはドラマの中の物語に生かされる展開と予想します。
今に残された物語をドラマがオマージュし、それがドラマの中では物語に生かされる(と私は予想)。順次入子構造になり、確かにあったことのように錯覚しそうになる。しばし、虚構がどこまで行ってしまうのか、見ていたい。
十二単来て、机の前に座って、墨擦って、小説は無理なので習字してみたいけど、着物が邪魔だし、正座は長時間無理だし、照明も暗そうだし、今の私には無理。
無理なのでせめていい物語が書けるよう応援したい。いえいえ、書きあがったのは知っている。出来るまでにどんな葛藤があったのか、それを見たいと思います。
頭の中で想像していた宮中の様子が次々映像になるので見飽きません。
今夜は吹き抜け屋台の手法で、面白かった。
日曜日、どうする?
と聞いたら、どこへも出かけずに家でゴニョゴニョ・・・というので、じゃ私、ひろしま美術館へ行くと話したら、一緒に行くそうで。
9時半ころ、美術館着。暑いので電車下りてから途中まで地下街を行く。
昨日が初日、二日目の今日は日曜日なので人はまあまあ。日曜日は年配女性のグループは見かけない。若い女性が一人で見ているのが多かった中で、韓国からのツアー客の方たちを見かけた。
各自で鑑賞、後で集合するらしい。最近、美術館でも海外からの旅行者をよく見かける。
広島の美術館は小さいので、中で迷うこともあまりないと思われます。涼しいし、いい立ち寄り先かも。
写真撮っていいって思わなかったので、慌ててスマホで撮るけれど会場が暗くてどれもきれいに撮れず。残念。今度は大きなカメラ持参で行きましょう。
杉山安寧「鯉」
明治以後の日本画は、洋画の影響を受けつつ、画題、用具、描き方など、それぞれの作家が自分の描き方を極めて行ったその道筋が辿れるようになっています。
この後、県立美術館の東光会展へ行く予定でしたが、紀伊国屋へ寄ったので結局行けず。和綴じ本の本を作りたくてNHKテキスト見たけど、買えば作らないといけないので、買わず。気が向いたときにYoutubeで。