この3連休は19日火曜日を有休にして4連休で京都へ帰ってきました。
5月のGW以来ですから2ケ月ぶりです。
わが家も相変わらずで、庭に花が増えたぐらいのこと。
ドライブがてらに、車で1時間少し 旧京北町の墓へお参りと墓掃除に家内といってきました。
ああ・・草がはえてるぞ・・
墓は集落の寺の墓で山の斜面にある墓、それも上の方にある田舎なので横幅は7mほど墓石6個とだれか不明の江戸時代の墓と
とりあえず汗をぶるぶるかいて、蚊にかまれながら草を抜き、墓石を掃除
帰りはウッディ京北でコーヒーを飲んで休憩。
前にはツキノワグマの剥製があったけどな・・
これがマスコットのようだが・・
とりあえず野菜が安いから野菜を買おう・・
万願寺とうがらし
成長しすぎたきゅうり
うまそうなとまと
京北は昔から正月になるころに餅に納豆をいれて納豆もちを食べる
田舎から納豆もちがおくられてくるが、こどものころから嫌いだった・・
これは自分の大好物の美山しぐれ芦生漬け
山吹の佃煮、きゅうり なす しその漬物
これがあればごはんが頂けるもの
西の鯖街道を意識してかさばのかぶら寿司
そうそう、京都では祭りといえば鯖すしを食べる必ず食べる、お祝い事でも鯖すしを食べていた。
こどものころから大好物だった・・
親戚のおばさんが、家に工房をつくり、おかきつくりをしていて、結構おいしい本格的なおかきを店にだしていたが・・
ここのところろ体をこわし、休業状態なのがさびしい。
そのおばさんのところへは小学生の時は夏休みになったら必ず泊りにいっていた一つ下の従弟がいるのでよく遊んだ。
川で朝から夕方まで泳いだり、魚をつってたりでよく遊んだ、楽しかったなあ・・今のこどもでは今はないだおるな・・
井上陽水の少年時代の歌そのものだった。
記憶でイナゴが発生した年があってmおばあさんが孫全員集合でイナゴとりをしたのを思い出した。
夢中でイナゴをとった、だれが一番だと競争してとった。
こころの原点はここの京北の村かもしれない。
実家によった、あいかわらず両親はそれなりに元気だった・・父親は本を思い切り読んでいたが最近は根気がなくなった
ということで、日記を書いている少し見たが、きれいな字でノートに思索をめぐらせている。
いずれは簡単な本にしようと内心おもっている。
家の経歴図を出してきて説明する親、そのあたり案外無関心な自分を心配してか説明する。
江戸時代中期ごろまでしかわかっていない、一度零落した家が再興したそうだ・・丹後宮津にその前はいたようだ
その先がわかららない、自分の勝手な想像でいくと毛利家の本名は自分の名字として毛利と影響があるのか?
もう一か所、山形県寒河江に自分の名字が多い、これは違う流れのようだ。
直系図でいけば自分はでてこない、弟の男子、昔なら家の総代になるところだっただろう。
ご維新の時に天皇の御料地だった関係で官軍に着いたと西園寺公望軍に従軍したそうだ。
立命館の創始者の中川十郎とは親戚関係になるそうだ・・
親もいつなくなるかもしれないから、一族の歴史はもう少し聞いておかないといけない。
嫁の親は村上水軍の流れといってた、はは・・毛利と村上水軍の結婚ですなとと笑っていた。
そろそろ自分のルーツを調べないと親が生きてるうちに