久々の現代小説を読んだ
なんとなく表紙の写真を見て、なんとなく近未来というか、すぐにでもあるかもしれない景色
短編集ながらに、家族のものがたりだがいろんな形態のある家族だな・・家族の定義とか考えてしまう
主人公はみんな50代半ば・・なんとリアルな・・
二話の磯野波平を探して 磯野波平て54歳だったんだ・・・主人公はがく然とするおれと同い年だ・・
というか、おいらもおれと同い年だ・・てなんて波平なんだあれで54歳かよ
フネ(推定50歳)これもほぼニアーだ、サザエ24歳これも一つ違いでほぼニアーだ
マスオとタラちゃんはまだおいらにはいない、
考えれば54歳とはだいたいあんな感じだろうね、普通にしてたらと思うね、定年が55歳のときだからね
なんか考えれば同世代の54歳ぐらいをみれば結構髪の毛も薄いし、ちょっとおいらの髪の毛はふさふさしてる
少々白髪が目立ってきたが、若つくりしてるのではないかなと思うこともある、意外と自分でも若い恰好をしてるようだ
しかし磯野波平を見ていてほんとにうらやましい、都内に広い家があり、仕事もほぼ5時半におわり(海山商事)かえりに
たまにマスオさんと飲んで帰る、今の54歳の姿とはまったく違う。
おいらのように7年間も単身赴任生活してるとまったく違う。
本来ならあの磯野波平の姿は理想なんだおうね。
家族とはなんだと考えることはそんなにない、ただ自民党の憲法草案に 家族と社会が互いに助け合って国家を形成すると前文にある
これに違和感をすごく感じる、なぜ家族がここで強調されるのか??本来の解釈なら個人の人権を尊重し個人が国家を形成するというのが
当たり前の姿だと思うが、家族は自由だと思うのであってそれは国家の下にあるのでない、役所に届けたから家族になるのではない。
家族をもたない独身者はどう考えたらいいのか??家族をもちだすところが時代錯誤してると思う。
父親がえらくてみんなは従う家父長制は戦前は取っていた、いくら家族であっても個人として尊重されるべきだし、子は親の所有物でもない
その誤解がひとつは所有物としてとらえるのが虐待とかひきこもりになる要因のひとつではないかな・・
いずれにしても家族単位とばかり国がいうのは胡散臭いと言わざるをえない。