前のOCNのブログの記事を再UPしました。
岐阜と滋賀の県境の醒ヶ井から山へ車で30分のところにある廃村です。
廃村榑ケ畑の中は苔むした石垣が残っています、だいたい20戸ぐらいあったかと
思われます。
村の中心に道が一本走っていてその両側に石垣が道をはさんで家が建ってた
当時の様子をいろいろ想像しながら
ここに人々が生活して笑あり悲しみがあり 生まれなくなり
子供の遊ぶ姿があり・・・
なぜか廃村にいると東北の津波に飲み込まれた町を考えてしまった・・・
絶対こんな廃村になるようなことのないように・・・
廃村の一番奥にある山小屋カナヤさん
ここには学生時代の思い出がいっぱいあるのです
夏の終わりころ、軽く山にテント泊まりで行こうかと友人3人で霊仙山に登る時に
このカナヤさんの前にテント場があったのでここでテント張って泊まりました。
カナヤさんは山のお客さんもおらず
おばあさんとおかあさん、孫娘さん(8歳ぐらい)が小屋におられました。
夜におかあさんがテントに来て
「いっしょに花火しませんか?」
ということで孫娘さんたちと一緒に花火をした思い出があります
その後も料理をごちそうになり親切にしていただいたのです・・・
カナヤのオーナーさんと話しました・・・
当時・・の話をすると・・
その頃ならたぶんその女の子はいとこかもしれないなあ・・・とのこと
そのころは自分は19歳だったですよということで自分と同い年
珈琲、250円を頂きました
この山奥で珈琲250円とは良心的な値段
オーナーは醒ヶ井の駅前でデザイン会社をやられてるとのことで
会社の横にも喫茶店をやってるとのことです。
当時の思い出の写真がたぶん千葉の家にアルバムにあると思うので
メールで送ることを約束しました・・・
なつかしい時間でした。
話かわりますが・・・
関空と成田で海外旅行の帰国ラッシュとTVでやってました・・・
なんか複雑な気分で見ています。
海外旅行行くのは勝手だろうといわれそうですが・・・
行き先変更できなかったかな、自粛という意味でなく
海外にいかなくて行き先を国内に変更できなかったかな・・・
まあ個人個人の価値観だから何もいえないのですが・・・
岐阜と滋賀の県境の醒ヶ井から山へ車で30分のところにある廃村です。
廃村榑ケ畑の中は苔むした石垣が残っています、だいたい20戸ぐらいあったかと
思われます。
村の中心に道が一本走っていてその両側に石垣が道をはさんで家が建ってた
当時の様子をいろいろ想像しながら
ここに人々が生活して笑あり悲しみがあり 生まれなくなり
子供の遊ぶ姿があり・・・
なぜか廃村にいると東北の津波に飲み込まれた町を考えてしまった・・・
絶対こんな廃村になるようなことのないように・・・
廃村の一番奥にある山小屋カナヤさん
ここには学生時代の思い出がいっぱいあるのです
夏の終わりころ、軽く山にテント泊まりで行こうかと友人3人で霊仙山に登る時に
このカナヤさんの前にテント場があったのでここでテント張って泊まりました。
カナヤさんは山のお客さんもおらず
おばあさんとおかあさん、孫娘さん(8歳ぐらい)が小屋におられました。
夜におかあさんがテントに来て
「いっしょに花火しませんか?」
ということで孫娘さんたちと一緒に花火をした思い出があります
その後も料理をごちそうになり親切にしていただいたのです・・・
カナヤのオーナーさんと話しました・・・
当時・・の話をすると・・
その頃ならたぶんその女の子はいとこかもしれないなあ・・・とのこと
そのころは自分は19歳だったですよということで自分と同い年
珈琲、250円を頂きました
この山奥で珈琲250円とは良心的な値段
オーナーは醒ヶ井の駅前でデザイン会社をやられてるとのことで
会社の横にも喫茶店をやってるとのことです。
当時の思い出の写真がたぶん千葉の家にアルバムにあると思うので
メールで送ることを約束しました・・・
なつかしい時間でした。
話かわりますが・・・
関空と成田で海外旅行の帰国ラッシュとTVでやってました・・・
なんか複雑な気分で見ています。
海外旅行行くのは勝手だろうといわれそうですが・・・
行き先変更できなかったかな、自粛という意味でなく
海外にいかなくて行き先を国内に変更できなかったかな・・・
まあ個人個人の価値観だから何もいえないのですが・・・
小学生の頃の記憶です。
それからもうひとつ。
醒ヶ井のニジマス釣り場でそばを食べたらつゆがまっ茶色。
あのあたりそばつゆの文化圏の分かれ目に
近い。私はそれまで茶色に巡りあったこと
がなかったです。
醒ヶ井は養鮅場ですね。
以前山小屋で琵琶ますの刺身を食べてうまかったです。
そばが抹茶色でしたか、
ちょうど文化圏の分水嶺みたいなところですね、カップ
麺も東バージョンと西バージョンにわかれますよね。
自分も茶色のつゆは食べた記憶がありません。