初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

スーパーヘテロダイン方式

2008年12月27日 20時04分36秒 | Weblog
 せっかく、分離の良い、高感度のスーパーヘテロダイン式のラジオを作っても、当時は放送局が少なく、NHK第一、第二、それに進駐軍向けのWVTQの三波があるだけで、空間はきれいなものでした。夜遅く出来上がったラジオにスイッチを入れます。雑音がザーッと聞こえてきますと、まず無事に働いているなとひと安心でした。

 戦後、復興してくるにつれて、日本にもまずラジオの民間放送が発足しました。珍しいのと好奇心で話題になりました。ある商店街が大売り出しの宣伝にスポット広告を入れたところ、売り上げが伸びて大成功という噂も聞きました。

 ある時期から毎月、どこかで民間放送が開局していきました。電離層が下がってくる夜に、新局の受信に張り切りました。新局に受信レポートを送ります。受信報告にはSINPOコードなどを使うのですが、当時の私はそんなことは知りません。
受信時刻のニュースならばニュースの内容、レコードがかかっていればレコードの名前、アナウンサーの名前など、受信状態はどうか、フェージングはどうか、をレポートにして新局に送りました。
 一月ぐらいして、新局からベリカードが届きます。受信日時を認定したベリカードは新局所在地の名所旧跡などを背景に、コールサインが記されています。
 この数々のベリカードが自分の作ったラジオの値打ちを高めるのでうれしく、精を出しました。

 WVTQは今のアメリカを知る窓口でした。昼前の11時半からのレコード番組で、エルビス・プレスリーの“ハート・ブレーク・ホテル”を毎日のように聞きました。最初は、毛色の違った歌だなあと思っていました。すでにアメリカではブレイクしていたようでした。
 土曜日の夜、8時の“ウェスタンジャンボリー”、夜10時からのダンスホールからの中継音楽番組“ワン・ナイト・スタンド”ではかなりの有名な楽団が聞かれました。

 日本に定着したラジオの民間放送もやがてテレビの民間放送の開局に話は移っていきます。

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