カラヤンとベルリンフィルの演奏を聴くことができました。
しかも、リハーサルも見学できました。リハーサルの日、舞台の袖にいました。
やがて、楽団員が普段着で着席し、やがてカラヤンも看板のとっくりセーター姿で登場します。ホルンのパートの練習からでした。
第一声は、いままで聞いてきたホルンとは雲泥の差です。ホルンは難しく、すぐ音が裏返ってしまうらしいのですが、あまりのすごさにびっくりしました。背筋がぞくぞくしました。ベルリンフィルは世界一だと思っていたとおりでした。
小学校に上がる前、芝居好きの母親に連れられて、ディアナ・ダーピン主演の映画「オーケストラの少女」に出掛けました。失業中のクラシックのトロンボーン奏者の父親(ロナルド・コールマン?)を励まして、ハッピーエンドになる話でした。オーケストラ練習中、入場禁止の劇場に娘のダーピンが、ガードマンの目を盗んで、忍び込みます。彼女の被っているベレー帽の白い羽飾りが、ちらちら客席から頭を出してそれを目指してガードマンが追いかける面白い場面が印象に残っています。
出演はフィラデルフィア管弦楽団と指揮者はレオポルド・ストコフスキーです。ストコフスキーは芝居もうまく、何といっても指揮棒を持たないで両手で指揮をとる姿が新鮮ですばらしかったです。その後、指揮棒を持たない指揮者をよく見るようになりました。
ハッピーエンドの演奏は、リストの「ハンガリアン・ラプソディ(狂詩曲)」で、おまけにダービンが、ヴェルディの「椿姫」“乾杯の歌”まで歌う何とも楽しい映画で、すっかりクラシックファンになりました。
母親は、早速「ハンガリアンラプソディ」とダービンの「乾杯の歌」のレコードを求めました。
その後、ストコフスキーはディズニーの名作「ファンタジア」に出演して、デュカ「魔法使いの弟子」で演奏後、舞台でアニメーションのミッキーマウスと握手をしています。指揮者が時間のかかる映画出演を承諾し、機嫌よく演ずるストコフスキーを好きになりました。
ベルリンフィルの楽団員は練習が一休みとなっても、自分の楽器を大事に抱えたままで、一時も椅子に置きません。皆の楽器は家一軒分以上のものばかりなのです。のちに来日した東ベルリン放送交響楽団の楽団員は、楽器は国から貸与されていたようで練習や演奏がすんだら、舞台裏の楽器棚に納めて楽屋入りしていました。
演奏会当日、舞台はすり鉢状に舞台がせり上がって、後ろの演奏者の椅子が高くなっていました。世界一の楽団は演奏が完ぺきなのですから、舞台の演出だけになってしまったのでしょう。
やがて、指揮者カラヤンが出てきますが、少し歩行が困難で指揮台まで時間がかかりました。テレビ番組では、その間を観客席の拍手などでつないていました。
二曲目の時でした、カラヤンが指揮を始めるのですが、音が出ません。会場全体がさわぎました。一旦、楽団員も退場します。後で聞くとカラヤンが違う曲の指揮を始めたというのです。素人の私にはわかりませんが、楽屋は大騒ぎだったようです。
このくだりは番組ではカット。演奏会場にいた者だけのハプニングでした。
しかも、リハーサルも見学できました。リハーサルの日、舞台の袖にいました。
やがて、楽団員が普段着で着席し、やがてカラヤンも看板のとっくりセーター姿で登場します。ホルンのパートの練習からでした。
第一声は、いままで聞いてきたホルンとは雲泥の差です。ホルンは難しく、すぐ音が裏返ってしまうらしいのですが、あまりのすごさにびっくりしました。背筋がぞくぞくしました。ベルリンフィルは世界一だと思っていたとおりでした。
小学校に上がる前、芝居好きの母親に連れられて、ディアナ・ダーピン主演の映画「オーケストラの少女」に出掛けました。失業中のクラシックのトロンボーン奏者の父親(ロナルド・コールマン?)を励まして、ハッピーエンドになる話でした。オーケストラ練習中、入場禁止の劇場に娘のダーピンが、ガードマンの目を盗んで、忍び込みます。彼女の被っているベレー帽の白い羽飾りが、ちらちら客席から頭を出してそれを目指してガードマンが追いかける面白い場面が印象に残っています。
出演はフィラデルフィア管弦楽団と指揮者はレオポルド・ストコフスキーです。ストコフスキーは芝居もうまく、何といっても指揮棒を持たないで両手で指揮をとる姿が新鮮ですばらしかったです。その後、指揮棒を持たない指揮者をよく見るようになりました。
ハッピーエンドの演奏は、リストの「ハンガリアン・ラプソディ(狂詩曲)」で、おまけにダービンが、ヴェルディの「椿姫」“乾杯の歌”まで歌う何とも楽しい映画で、すっかりクラシックファンになりました。
母親は、早速「ハンガリアンラプソディ」とダービンの「乾杯の歌」のレコードを求めました。
その後、ストコフスキーはディズニーの名作「ファンタジア」に出演して、デュカ「魔法使いの弟子」で演奏後、舞台でアニメーションのミッキーマウスと握手をしています。指揮者が時間のかかる映画出演を承諾し、機嫌よく演ずるストコフスキーを好きになりました。
ベルリンフィルの楽団員は練習が一休みとなっても、自分の楽器を大事に抱えたままで、一時も椅子に置きません。皆の楽器は家一軒分以上のものばかりなのです。のちに来日した東ベルリン放送交響楽団の楽団員は、楽器は国から貸与されていたようで練習や演奏がすんだら、舞台裏の楽器棚に納めて楽屋入りしていました。
演奏会当日、舞台はすり鉢状に舞台がせり上がって、後ろの演奏者の椅子が高くなっていました。世界一の楽団は演奏が完ぺきなのですから、舞台の演出だけになってしまったのでしょう。
やがて、指揮者カラヤンが出てきますが、少し歩行が困難で指揮台まで時間がかかりました。テレビ番組では、その間を観客席の拍手などでつないていました。
二曲目の時でした、カラヤンが指揮を始めるのですが、音が出ません。会場全体がさわぎました。一旦、楽団員も退場します。後で聞くとカラヤンが違う曲の指揮を始めたというのです。素人の私にはわかりませんが、楽屋は大騒ぎだったようです。
このくだりは番組ではカット。演奏会場にいた者だけのハプニングでした。
で、結局 何がどうだったのか、結論がすっとんでいるようなのですが ... すみません、通りすがりで勝手なことを書いて。
今、京都のライカギャラリーで生誕100年を記念してカラヤン写真展をやっています。1957年、ザルツブルグ音楽祭の際のスナップ写真です。撮影は永年カラヤンを撮り続けているエリック・レッシング。ライカで撮られてあろう、モノクロのすばらしい写真ばかりでした。