戦後、世の中が落ち着いてきて、写真機は二眼レフが流行しました。リコーフレックスがベストセラー機でした。そのほかA~Zまで名前が全部あるといいます。しかし、何分機械が重く、扱いにくいので(ミラーの関係でファインダー像が左右逆に見えます)35ミリカメラに移行していきます。
35ミリカメラのフィルム巻き上げはノブが付いていて、右手で巻き上げます。そこへ、ドイツからジャパラつきの「レチナ」35ミリカメラが輸入されてフィルム巻き上げがレバーになっていました。
日本でもすぐレバー巻き上げの35ミリカメラが出てきました。太陽堂の「ビューティ35」が初めてと記憶しています。早速、写真雑誌が取り上げて、賛否両論。そんなに速くレバーでフィルムを巻き上げるとフィルムに傷がつく。おまけにフィルム巻き戻しはノブにクランクをつけて素早く巻き戻すのは余計問題だ…でした。
ライカM3が登場してきます。レバー巻き上げ、クランクノブ巻き戻しのカメラでした。これで、問題は落着です。
それ以後、日本製カメラはすべてブロニー判のカメラまでレバー巻き上げになりました。それより、日本業界に与えたM3ショックが大変でした。業界はそれまでバルナックライカをお手本に目標にしていたのが、完全に引き離されてしまいました。
日本の業界は以後、ライカ型をやめて、一眼レフに方向転換します。そして世界に冠たる一眼レフ王国になるのです。なにが幸いするかわかりません。
コニカ一眼レフFS-1(小西六製・現コニカミノルタ)が、初めて内蔵電池と内臓モーターでフィルム自動巻き上げになりました。各社も右へ倣えで、それ以後、電動巻き上げになりました。
数々の名機や業界初のオートフォーカス機ジャスピンコニカ、またオートフォーカス一眼レフα7000を送り出したミノルタが合併してカメラを断念したのは何故でしょうか…。
35ミリカメラのフィルム巻き上げはノブが付いていて、右手で巻き上げます。そこへ、ドイツからジャパラつきの「レチナ」35ミリカメラが輸入されてフィルム巻き上げがレバーになっていました。
日本でもすぐレバー巻き上げの35ミリカメラが出てきました。太陽堂の「ビューティ35」が初めてと記憶しています。早速、写真雑誌が取り上げて、賛否両論。そんなに速くレバーでフィルムを巻き上げるとフィルムに傷がつく。おまけにフィルム巻き戻しはノブにクランクをつけて素早く巻き戻すのは余計問題だ…でした。
ライカM3が登場してきます。レバー巻き上げ、クランクノブ巻き戻しのカメラでした。これで、問題は落着です。
それ以後、日本製カメラはすべてブロニー判のカメラまでレバー巻き上げになりました。それより、日本業界に与えたM3ショックが大変でした。業界はそれまでバルナックライカをお手本に目標にしていたのが、完全に引き離されてしまいました。
日本の業界は以後、ライカ型をやめて、一眼レフに方向転換します。そして世界に冠たる一眼レフ王国になるのです。なにが幸いするかわかりません。
コニカ一眼レフFS-1(小西六製・現コニカミノルタ)が、初めて内蔵電池と内臓モーターでフィルム自動巻き上げになりました。各社も右へ倣えで、それ以後、電動巻き上げになりました。
数々の名機や業界初のオートフォーカス機ジャスピンコニカ、またオートフォーカス一眼レフα7000を送り出したミノルタが合併してカメラを断念したのは何故でしょうか…。
ロッコールレンズは硬かったし画期的なデザインだったのですが、ベークライト製のカメラか、とバカにされました。当時まだプラスチックとか合成樹脂などという言葉がなかった時代ですね。これだけが手元にないのが残念です。