初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

浜村 淳

2009年05月02日 18時25分45秒 | Weblog
浜村純、痩せこけた頬とギョロリと目の光る特異なマスクで活躍した日本屈指のパイブレイヤーで浜村 純という俳優さんがいました…。

 同音異字の一度聞いたら忘れない独特のアクセントとセリフを噛まないでよどみなく喋る。

 浜村 淳。について…。

 昔、日本はウェスタン音楽全盛で、小坂一也とワゴンマスターズ。寺本圭一とスウィンクウェストなどが人気でした。

 神戸・三宮にウェスタンの生バンドを聞かせる「コペン」、「月光」という音楽喫茶が二軒ありました。

そこの「コペン」で浜村淳は学生アルバイトで司会をしていました。

 ウェスタンバンドの構成は、何故かハワイアンで使うスチールギター、エレキギター、サイドギター、ベース、ドラムス、フィドル(ヴァイオリンのことをウェスタンではこう呼ぶ)

米国の歌手ではハンク、ウィリアムス「ユーチーティンハート」「ジャンバラヤ」。ハンク・スノー「ムーヴィンオン」。ハンク・トンプソン(ダブル、スチールギター)。が人気でした。

ウェスタンの大御所、エディ・アーノルド「I Really Don’t Want to Know」、この歌はのちに、なかにし礼、作詞で菅原洋一が「知りたくないの」の邦題でヒットさせました。

 一時のブームが去って、三宮の「コペン」「月光」が閉店しました。

大阪道頓堀に「ナンバ一番」と「銀馬車」の二軒の音楽喫茶がありました。その「ナンバ一番」のステージに浜村淳が現れました。そしてバンドの紹介と曲目の司会をしていました。

まもなく、ビル・ヘイリーの「ロックアラウンド・ザ・クロック」(映画・暴力教室の主題歌)とがプレスリーの「ハートブレークホテル」が現れて、ロカビリー(ロックンロール+ヒルビリー(カントリー音楽)=合成語でロカビリー)の始まりで、業界はややこしくなります…。

一時隆盛を極めた、音楽喫茶も下火になりました。学生アルバイトの浜村淳も姿を消しました、普通の仕事に就いたのかなと思っていました…。

 何年かしてラジオで司会をしている浜村淳を聞きました。大阪毎日放送ラジオで「ありがとう浜村淳です」をやっていました。

 結局、学生アルバイトで身につけた話術から逃れられなかったのでしょう…。

 浜村淳に注文があります。彼の映画批評や解説で、映画の最後までしゃべらないこと。彼の声がテレビやラジオから聞こえてくると、慌ててチャンネルを変えます…。


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