戦後、アメリカ進駐軍とともに
アメリカの乗用車が
いろいろ入ってきました
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高校生だった私は
市電通学の途中、四条烏丸、
西南角の駐車場に大きなアメリカ車が
ズラリと駐車されていました
シボレー、ナッシュ、ポンティアック
ハドソン、スチュードベーカーなど
私には初めて見る乗用車でした
私が驚いたのはこれら乗用車に
ラジオが積まれていたことでした
当時は、真空管式ラジオでしたから
乗用車後部トランクに
本体が積まれていました
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アメリカ高級車キャディラックの
カー・ラジオの配線図を見たことがありました
なんと、ビーム出力管の6V6、2本使った
プッシュブル回路でした
その後、ラジオは真空管式からソリッド・ステートの
トランジスター式ラジオになりました
日本でも高速道路時代を迎えて、国産乗用車の
改良に加えてトランジスター式のカーラジオが
搭載されるようになりました
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テレビの登場で映画の斜陽化とともに
ラジオの聴取率低迷を打開する方法として
乗用車のカー・ラジオがターゲットになりました
素朴な時代だったのでしょう。42プッシュプルを配線図と首っ引きで完成させ伯父に差し上げたのも。1950年代、娯楽が少ない時代でしたから喜んでくれました(家が保津川沿い 始まったばかりのテレビ放送の難視聴地域でした)。