ルディ・ヴァン・ゲルダーは録音エンジニアです。独学で自宅でミキシングを楽しんでいました。アルフレッド・ライオンと写真家のフランク・ウルフがジャズに憧れてアメリカにやってきます。アルフレッド・ライオンがこのルディ・ヴァン・ゲルダー、ジャケット写真のフランク・ウルフの三人の出会いはブルーノートレコードにとって幸運でした。
ジャズ喫茶に行くと、いまかかっているレコードはと、ミュージシャンが使う譜面立てに、スポットライトに照らされたジャケットが飾られていました。その中でブルーノート、レコードのジャケットは引き立っていました。
このブルーノートレコードを集めたいというのが私の夢でした…。
ルディ・ヴァン・ゲルダーの録音ではオーケストラでもコンボでもピアノの扱いが他のミキサーより大事に扱っているのが好きでした。
ノーマン・グランツのバーブレコードに敏腕のプロデューサーのクリード・テイラーがいました。
ウディ・ハーマン楽団の「フォア・ブラザース」でのテナー奏者、スタン・ゲッツの音色が、スモーキートーンといわれていました。当時すこし人気の下がり気味でした。
ここで、クリード・テーラーは新しい音楽の「ボサノバ」に注目しました。スタン・ゲッツ、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、いえの台所で歌っていたジョアンの嫁さんアストラッド・ジルベルトを「GETZ/GILBERTO」で起用します。
そしてアストラッドを「ザ・ガール・フロム・イパネマ」で歌手に起用します。
このアルバムが大反響でベストセラーになりました。ここからアストラッドはジョアンと別れて、台所から世界に出発します。スタン・ゲッツはボサノバのテナー奏者として一躍脚光を浴びて、豪華な邸宅を建てました…。
敏腕プロデューサー、クリード・テーラーは次に、独創的で人気上昇中のギターリスト、ウェス・モンゴメリー。ウェスの演奏スタイルは、ピックを使わないで、親指でオクターブ奏法です。その後のギターリストに大きな影響を与えました。
オーケストラに彼のギターを乗せてイージー・リスニング・ジャズを企画します。アルバム・タイトルは「カリフォルニア・ドリーミング」です。オーケストラはドン・セベスキー編曲指揮で、音声エンジニアは、ルディ・ヴァン・ゲルダーでした…。
続く…
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