テレビ局からの帰宅の途中に
梅田に出ます。
駅前の富国生命ビルの横の道
阪急東通りを東へ歩いて行くと
ジャズ喫茶「バンビ」がありました
若かった私はよく店に通いました
ジャズ喫茶は名前のとおり
ブルーノート、リバーサイド、
インパルス、CBSレーベルなどの
LPレコードコレクションが売り物でした
レコードコレクションの次に
JBLスピーカーをはじめ、再生装置も
生半可ではありませんでした
店の備え付けのメモでリクエストをして
順番が来るとプレーヤーにレコード盤を
セットして聴かせてくれました
大阪キタの阪急東通りにあるジャズ喫茶
「バンビ」のほかに大阪ミナミにも
「バンビ」がありました。
この店のスピーカーはキタ店と同じ
JBLですが、なんと「パラゴン」が
置かれていました
当時、学生や若い人にはLPレコードも
再生装置も高値の花でしたから
ジャズ喫茶が流行ったのでしょう
モダンジャズを聴きに時々、行きました。
大学の定期試験前には、良く、ネバっていました。
数時間は、居ましたが、お姉さんたちは、嫌な顔一つせず、レモン粒入りの水を何度も入れてくれました。
大阪には珍しい、センスを感じられる店、でしたね。
そんな経営方針に、出来れば、有難う、を言いたいくらいです。
大阪ではミナミの、「銀馬車」とか「なんば一番」でした。「なんば一番」では、司会者が浜村淳さんでした。当時の浜村淳さんは学生アルバイトだったと、あとで聞きました。コメントありがとうございます。
入ると奥にJBLのパラゴンがおいてありましたが
私の目的は服の話をすることでした(笑) トラヤの店員さんも来てましたね そのころに神戸のボンドにも良く行きましたね バンビの筋のプランタンの「コペン焼き」も食べましたね 法善寺横丁の手前の洋食屋さんで食事をしてから 千日前の坂町のスナックで飲んで帰るパターンでしたね
もう少しこのサイトを知っていたらと思うと・・後悔してます
ジャズがかかっぱなしの喫茶店と言うことで語られる店ではありますが、ここで出るコーヒーが独特だったことも忘れてはなりません。
ミルクを入れると味が一変するので、最初はそのままで飲み、途中から入れて「一杯で二度おいしい」を楽しめましたね。
10代後半のころに閉店した時はがっかりでした。
昨夜から無性にバンビのことが思い出されて、再度お邪魔します。
初めてミナミのバンビに行ったのは中学3年の時でした。ジャズ好きの兄が居る同級生に連れて行ってもらったのが最初です。家が難波まで地下鉄ですぐのところでしたのでミナミは馴染みのある繁華街でした。
高校に入ってからは中学時代以上に通いました。試験が近づくと広い丸福珈琲店、それ以外はバンビ。一体何についておしゃべりしていたのか、もう思い出せません。当時は制服のままで入店しても咎められることもなかった良い時代でした。
就職してからも変わることなく友人との待ち合わせは常にバンビ集合です。
でも、ジャズが好きで通っていたわけではありません。強いて言えば店の雰囲気でしょうか。それとソーダ水ですね。どこのソーダ水も緑色しかないのに、ここバンビはパープルやピンク、ブルーと様々で、何色が出てくるか楽しみでした。地下鉄の出口からすぐだったのも便利でした。バンビの並びには「コペン焼き」で有名なプランタン、ウェスタングッズの「ファニー」がありました。
バブル崩壊後街がすっかり様変わりして、ミナミに足を運ぶこともなくなりました。
今思い返しても涙が出るほどいとおしくて、宝物のような大切な思い出の店です。
長々と失礼いたしました。 どうぞお元気で。 ありがとうございました。
聞かせていましたね。南のバンビの近くにあるカレーのインディアンへも良く行きました。そのインディアンの向かいの喫茶店コロンビア?へと、南のバンビ→インディアン→コロンビアが、ミナミへ出掛けたときのコースでした。コメントありがとうございます。
週に3日は通ってました。
道頓堀の橋を越えてすぐのところに移転して、そして閉店。
あのバブルがすべてを消し去りました。
演奏などもしていたらしいです。
凄いスピーカーに鹿の剥製とかあって
濃いコーヒーが美味しかったです。
あらためてネット詮索していると、この記事に遭遇し、失礼ながら投稿させて頂きました。御体大切に、御自愛ください。さようなら。