初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

映画「地獄門」③

2011年05月11日 20時06分56秒 | Weblog


大映第1回総天然色映画は時代劇で

「地獄門」です



イーストマンカラーが撮影所に入ってきました

このフィルムはネガポジ方式で

色温度3200度のタングステンタイプです

イーストマンカラーのフィルムテストから

始まります



スペクトラ・スリーカラー・メーター(ハンディタイプ)で

厳密に計測され調整された

3200度のタングステン照明で

王朝時代の煌びやかな衣装が、

どのように写るのか、

初めて天然色映画に出演する

俳優さんのメーキャップはどう写るのか

などのテスト撮影が行われました



テストに使われたキャメラは

本編用のNCミッチェルで

レンズはバルターかエクターです



フィルムの現像処理は東京五反田の

東洋現像所でした

京都花園の東洋現像所ではまだ

処理出来ませんでした



俳優さんのメーキャップは

コレクティブ・メーキャップと

呼ばれて

マックスファクターのパンケーキが

中心に使われていました





イーストマン・カラー

2011年05月10日 22時40分23秒 | Weblog


アメリカから主スタッフが帰国して、

フィルムはイーストマンカラー(コダック)の

ネガポジ方式に決定されました



今の銀塩カラーネガでは珍しくありませんが

初めて現像処理されたカラーネガを見たときは

白黒映画のネガポジ方式に似て

映像の明るさはカラーネガでは反転されます

映像の色彩はカラーネガフィルムでは補色になります

なんとも珍しく思いました



当時、カラーフィルムはリバーサルだけでした

リバーサルフィルムは色温度5900度ケルビンで

ディライトタイプが主でした



映画の現場は、スタジオでのセット撮影が主です

イーストマンカラーは色温度3200度ケルビンの

タングステンタイプでした



撮影所のセット撮影での照明はタングステンランプです

映画キャメラのレンズに色温度変換フィルターをつけないで

そのまま、撮影ができます

色温度変換フィルターがないことはフィルターによる

ロスがないのです



フィルム感度は、ASA32でしたから、

ギリギリの露出だったのでしょう



映画は動画です。映画は1秒間に24駒シャッターを切ります

最低露光時間は1/50秒のシャッタースピードが必要です

レンズ開放F2、1/50秒が最低露出になります



露出不足のときは、適正露出になるよう

スタジオのセットの照明を明るくしなくてはなりません




主スタッフの渡米

2011年05月09日 22時12分11秒 | Weblog


今年のゴールデンウィークに

海外旅行組は大勢でした

簡単に旅客機で出国していきました



59年前に大映第1回総天然色映画の制作の

研修に主だったスタッフが旅客機で

渡米するのです

水杯をかわしてほどオーバーでは

なかったにしろ

大変なことだったことでしょう



往路は日本航空だったのでしょう…

復路はパンナム(パンアメリカン航空)

だったのでしょうか



当時、乗客の搭乗記念に配られた

合成皮革の白いショルダー・バッグを提げた

スタッフが帰朝しました



そして綺麗な1枚の賞状のようなものを

もらっていました

「日付変更線通過記念」と

印刷されたものでした

日本とアメリカの間の太平洋の真ん中に

日付変更線があります

そこを旅客機が通った記念というのでしよう



日本の船舶が

南洋の赤道を通過するとき

船上で「赤道祭」を行うと

云われていました

この「日付変更線通過記念」の文書は

「赤道祭」に似た考えでしょう



最近の、航空便はショルダーバッグもなく

まして「日付変更線通過記念」の賞状も

ないのでは…






大映京都、天然色映画企画される

2011年05月08日 22時04分35秒 | Weblog


日本初の総天然色映画、「カルメン故郷に帰る」

(松竹大船)が

1951年(60年前)制作されます

そして興行成績が良かったことから

第2回作品として「夏子の冒険」

1953年(58年前)に

制作されました

この2作品は、

冨士フィルムのリバーサルカラー(外式)で

作られました

いずれも、松竹大船の

現代劇でオールロケの作品です




3番手として大映京都で

時代劇の総天然色映画が企画されました

時代劇は現代劇のように

オールロケではまとまりません

どうしてもセット撮影が主になります

日本初の総天然色映画ではありませんから

見応えのある色彩映画にしなくては納得できません



カラーフィルムはどうやら

イーストマン・コダック製と

聞きました



それも、イーストマンコダックは

米フィルムメーカー、アンスコと

競争してイーストマンに

決まったのだと聞きました



大映京都は、初の時代劇総天然色映画制作と

新しいコダックのフィルムの特性や

ハリウッドの天然色映画撮影現場の見学の

ため約2カ月、主なスタッフは渡米します




映画「夏子の冒険」

2011年05月07日 20時56分28秒 | Weblog


「カルメン故郷に帰る」は

都会でストリッパーをしているヒロインを

演じる高峰秀子と友人の小林トシ子の2人が

故郷に帰ってきて

村で大騒ぎになる話です

   … … …

監督は、木下惠介です

助監督に松山善三、

小林正樹の名前が見られます



ロケーション主体の映画でしたから、

天候を選ぶのが大変でしたでしょう

朝、10時~15時ぐらいまでは

色温度に大きな変化がありませんが

15時前後の撮影では、色温度調整が

大変だったとろうと想像します



この「カルメン故郷に帰る」は興行的に

成功したのでしょう

2回松竹総天然色映画として

「夏子の冒険」(原作・三島由紀夫)が

制作されました

主演は角梨枝子(すみりえこ=ミス広島):で

監督は、中村登でした



第1回総天然色映画「カルメン…」のときは

日本の景色や俳優さんがカラー画面でこう写るのかと

意識して見ていました



第2回の「夏子の冒険」ではあまり意識しないで

自然に映画を楽しむことができました

以上2作品は、現代劇でロケーションが主でした



この松竹に次いで、大映が

第1回総天然色映画として

代劇を計画していると聞きました








映画「カルメン故郷に帰る」

2011年05月06日 21時40分58秒 | Weblog


アメリカ・ハリウッドの

テクニカラーによる「総天然色映画」に

影響されてか松竹で総天然色映画の

制作が考えられていました



撮影に使われたフィルムは

冨士リバーサル・外式発色でした

この方式はテクニカラーの

フィルム3本使う方式とは違って、

1本のカラーフィルムですから

カラーキャメラを特別に

用意しなくても白黒用キャメラが使えました。



撮り終わって現像処理された

フィルムは正像(陽画)ですから

劇場用のフィルムを大量に焼き付けるのに

非常に手間がかかったそうてす




「カルメン故郷に帰る」は全編ロケーション撮影でした

冨士リバーサルフィルムは感度が低い上にディライトタイプ

だったのではないでしょうか

タングステン・ライトの照明のセット撮影では

露出不足なったのではないでしょうか




このカラーフィルムは色の偏りがあったり

初のカラー映画制作でトラブルの予測が

できないので

カラー撮影と同時に白黒フィルムでも

撮影して、初の総天然色映画「カルメン…」

と並行して今までの黒白映画「カメメン…」も

用意されていたようです



劇場での初公開は総天然色映画でしたから

この「カルメン故郷に帰る」白黒版は

陽の目を見ませんでした




映画「地獄門」②

2011年05月05日 21時55分25秒 | Weblog


戦後、アメリカからカラー映画が

つぎつぎと輸入されました

アメリカのカラー映画は

テクニカラー方式でした

撮影は大きくて特種なキャメラで

撮られます



1台のキャメラに、白黒フィルムを3本装填します

レンズを透して入ってくる映像を

R(赤)G(緑)B(青)の

三原色に分解して、

3本の白黒フィルムにそれぞれ撮影します

撮影された3本の白黒ネガフィルムを

1本のフィルムにプリントすると

カラープリントが出来上がる方式です




このテクニカラー方式は、

撮影には3倍のフィルムを

使用します。

それと3本のフィルムを

装填できる大型のキャメラが

必要です



このテクニカラー方式の映画は資金の

潤沢なハリウッド以外では

制作が困難でした


英国ではテクニカラー映画、

「赤い靴」「天国への階段」などが

頑張って作られました

英国のテクニカラー映画も素晴らしいものでした



日本でもカラー映画(総天然色映画と

呼んでいました)が企画されます

しかし、3本のフィルムを使う

テクニカラー・キャメラがありません




日本の映画界で使用している白黒用の

キャメラで総天然色映画は出来ないか

と研究されました



松竹大船撮影所が冨士フィルムの

リバーサル(外式発色)フィルムを使って

「カルメン故郷へ帰る」が制作されました




映画「地獄門」①

2011年05月04日 22時08分46秒 | Weblog


今日からは、小説(原作)VS映画化(映像化)ではなく

映画の思い出を描きます



5月2日22時~24時で

NHKがカラー映画「地獄門」を放映していました





先月、「地獄門」のデジタル・リマスター版を

製作する苦心、苦労話を中心とした特別番組が

放送されていました



映画「地獄門」の原カラー板を

白黒フィルム3本、それぞれR(赤)、G(緑)、B(青)に

分解して保存されていたところから始まります



カラー映画は時間とともに退色していきます

その退色を食い止めるために、カラーフィルムに比べて

色のはるかに少ない白黒フィルムに色分解して

存されていました



このカラー映画の原板を、白黒フィルムに

デュープ・フィルムと云います

1000フィートのフィルム缶に「地獄門」と

書かれた30巻ほど

並んで写っているテレビの画面を見て

感激しました




映画「トプカピ」

2011年05月03日 22時41分31秒 | Weblog


小説を映画化して、映画のほうが

面白かった例をもう一つ

映画のタイトル「トプカピ」です



製作・監督をジュールス・ダッシン、

主演、メリナ・メルクーリ(ダッシン夫人)

マクシミリアン・シェル(女優マリア・シェルの弟)

ピーター・ユスチノフなどで

トルコのトプカピ宮殿博物館にある

宝剣の奪取を計画する女盗賊と仲間たちの話です

そしてメリナ・メルクーリを始め、

芸達者な役者陣が魅力です。




J・ダッシン監督は軽妙に冒険活劇に手腕を発揮します、

そして泥棒映画の代名詞的作品となりました。



女盗賊エリザベス(メルクーリ)は、

トルコ、イスタンブールのトプカの宮殿博物館に

所蔵されている宝剣の強盗計画を立てます。



博物館側の厳重な防御を

かいくぐって宝物に向かいます

この作品が発表されてから

この作品にヒントを得て

亜流が色々作られました



原作はスパイ小説の元祖、

エリック・アンブラーです

彼の「あるスパイの墓碑銘」とか

「ディミトリアスの棺」は読んでいましたが

映画「トプカピ」の原作となった「真昼の翳」は

読んでいませんでした



映画を見てから「真昼の翳」を

読んでみましたが

映画のほうがはるかに面白かったのです



泥棒仲間のピーター・ユスチノフの役は

映画での創作でした

の演技とともに話を面白くしていました



撮影はフランスの名キャメラマン

アンリ・アルカンです

モノクロのドイツ潜水艦Uボートを

モチーフにした「海の牙」の

キャメラマンでした





アメリカ映画「情婦」

2011年05月02日 21時38分39秒 | Weblog


アガサ・クリスティの小説「検察側の証人」を

原作とするアメリカ映画情婦(じょうふ)は

作者クリスティが小説より面白いと認めた

映画でした




映画のタイトルが終わると、

ロールス・ロイス車が走っています

そのシートに病み上がりの老弁護士

(個性派俳優チャールズ・ロートン)

口うるさい付き添い看護婦

(実生活のロートン夫人である

エルザ・ランチェスター。)の

二人が乗っているシーンから

始まります



映画は、法廷が舞台のミステリーです

主演は二枚目のスター、タイロン・パワーと

マレーネ・デイトリッヒです



原作者、アガサ・クリスティは

名探偵エルキュール・ポアロ(灰色の脳細胞)を生み出しています

名作「アクロイド殺し」を私は読み終わって

なんと大胆なトリックと唖然となった思い出があります

ミステリー界では、このトリックは

フェアかアンフェアかで大論争になったそうです



一方、この映画「情婦」の監督は、ビリー・ウィルダーです

作品には「第17捕虜収容所」(主演・ウィリアム・ホールディン)

「ローマの休日」「麗しのサブリナ」(オードリー・ヘプバーン)

「7年目の浮気」(マリリン・モンロー)などがあります



この名監督がアガサ・クリスティの小説を映画化したのですから

間違いありません。原作者クリスティが小説より映画のほうが

面白いと云わせたのでしょう

ストーリーは二重のどんでん返しがあります

小説より映像化した映画が成功した一例です