初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

東映制作の時代劇テレビ映画で

2018年11月19日 20時55分44秒 | Weblog



私は、サンテレビのお昼に再放映、

再々放映される東映制作のテレビ

時代劇映画を見る目的の一つとして

かって東映の劇場時代劇映画で活躍された

青春スターが、時々ゲストとして出演

されていることです







「暴れん坊将軍Ⅵ」では、丘さとみさんが

出演されていました。彼女は東映城のお姫様

として、東映時代劇のスターさんでした

現在、お元気なようです。

このテレビ時代劇映画で、出演の女優さん

どこかで見たことがあるなあと思っていましたが

なかなか思い出せません。エンドタイトルで

丘さとみさんの名前を見て、そうだ!…と

思わず膝を打ちました

この丘さとみさんの他、桜町弘子さん

千原しのぶさん、牧冬吉さんなど…









大原野の竹林

2018年11月15日 20時55分40秒 | Weblog



時代劇映画、時代劇テレビ映画で

撮影所から近くて、便利な場所が

京都市内のあちこちにあります

東映撮影所の制作する

「暴れん坊将軍」や「長七郎江戸日記」では

嵐山の大覚寺の境内か、隣接する大沢池が

毎回、必ず出てきますし、

毎回、エンドタイトルには協力 大覚寺と

ありますから、撮影所は大覚寺に特別に

長期的に、お願いしていたのかも知れません…






もう一つ、時代劇映画でも現代劇映画でも

便利な場所があります。

京都の西、長岡天神の大原野(おおはらの)が

あります。

ここは、広大な竹藪で、手入れが行き届いていて

きれいに竹林が続いています。

時代劇の剣劇場面、立ち回りには打って付けの場所

です。テレビコマーシャルでも使われることがあります。

あるとき、剣劇シーンのロケーションでこの、

大原野へ出掛けたことがありました

すると、すでに東映撮影所が、ここでロケーションを

していました。つまり現場で鉢合わせしたことがありました

以後、撮影所の製作進行係は、各撮影所と連絡して

ロケーションするようになりました。







時代劇テレビ映画のお地蔵さま

2018年11月14日 18時46分14秒 | Weblog



時代劇テレビ映画「暴れん坊将軍」や

「長七郎江戸日記」を見ていると

ロケーション場面に路傍の野仏か

お地蔵さんが出てくることがあります

その仏様の前で一心に拝む若い女優さん

や、広い画面、端の方にお地蔵さんが

写っていることがあります… … …

その、お地蔵さんは、いかにも撮影所から

道具さんが作って持ってきたと

わかるように、ちょっと不自然な場面に

見えることがあります…







ちょつと考えると、お地蔵さんや野仏は

本物がいくらでもあるのですから、

それを持ってきてカメラの前に据えれば

もっとリアルに写るのにと思います…

… … …

しかし、お地蔵さん野仏の必要な場面で

わざわざ作り物のお地蔵さんをセッティング

するのは、制作スタッフが「験を担ぐ」からか

「縁起を担ぐ」からです…

映画の中で本物のお地蔵さんを使うと

何か事故が起こると、嫌がるスタッフが1人

必ずおられます…

… … …

時代劇映画および時代劇テレビ映画で

作り物のお地蔵さんが写って

いても、そのような事情が

あるのを理解した上で

見なくてはなりません…









時代劇映画のロケーションで

2018年11月13日 19時20分54秒 | Weblog


京都の神社仏閣には、まだ

観光客が少なかった時代でも

ロケーションの撮影準備をしていると

見物の人々が集まってきます

スタッフで画面に写り込む人を注意しなから

撮影できました…

… … …

静かだった京都の神社やお寺でも

まわりに近代建築のビルが突然建つことが


ありました。

ロケーションの神社や寺の境内で

時代劇の扮装の俳優さんを、カメラで

フォロー出来たのに近代建築が境内の

あちこちに見えるようになってきました

カメラは境内に見える近代建築を注意しながら

画面から外さなくてはなりません

時代劇のテレビ映画のロケーションシーンの

カメラはパンやチルトは出来なくなって

固定ショットでしか撮れなくなってきました。







どうしても画面に写り込んでくる遠景の建物や

電信柱など、画面に写らないようにするのに

撮影所から持ってきた木や枝か常夜灯のセットを

カメラ前に置いて、写らないように隠します





嵐山、大覚寺と大沢池

2018年11月12日 21時51分49秒 | Weblog


テレビ局で制作するテレビドラマは

主にテレビ局のテレビスタジオだけで

作られますが、テレビ映画はスタジオ制作の

テレビドラマに反して、野外撮影つまり

ロケーションが多く使われます






時代劇テレビ映画は京都の撮影所で制作

されましたから、神社仏閣がたくさんある

京都市内でロケーションが行われました

しかも松竹撮影所、東映撮影所からは

それら神社佛閣は近いので、日帰りで

ロケーション撮影ができました…

夕方、ロケーション撮影から帰ってきた

スタッフ、俳優さんは、それから夜間の

スタジオ撮影を行う…とテレビ映画スタッフに

聞いたことがありました

… … …

いま、サンテレビで再放映を行っている

「長七郎江戸日記」や「暴れん坊将軍」は

毎回のように、嵐山の大覚寺境内、それに

隣接する大沢池が出てきます

大覚寺は東映撮影所と目と鼻の先でしたから

なにかと便利だったのでしょう…







写真撮影用三脚は使用禁止

2018年11月10日 21時34分49秒 | Weblog



大阪万博が開かれていたころ

私は大阪に住んでいました

たまに、京都へ帰ると

市内に観光客が目立つように

なってきました…

… … …

学生時代の京都市内には

喫茶店が非常に少なかったのですが

新しい喫茶店が増え始めていました

… … …

秋の紅葉の季節に大原の三千院へ

写真を撮りに行ったことがありました

秋の紅葉の季節でも人出は少なく

静かな境内に紅葉が鮮やかでしたが

久しぶりの三千院は、観光客が

いっぱいで、まるで大阪の心斎橋を

歩いているようで、静かに紅葉を観賞して

写真を撮るどころではありませんでした






京都の神社仏閣では、この大勢の観光客の

対策として、以後、境内では写真撮影の三脚は使用禁止

になってしまいました…








大阪万博と京都

2018年11月09日 21時14分15秒 | Weblog


以前の京都は、季節になると

中学生、高校生の修学旅行で

京都の繁華街、京極が

黒っぽい制服、セーラー服の

集団を見てビックリしたことが

ありました…

京都市内の高校に通学していた

私たち高校生の修学旅行は

東京などへ行きました…







今から48年ほど前の1970年に

大阪万博が吹田で開催されました

日本全国から万博会場へ人が集まりました

人気のパビリオンに長大な行列ができて

入場に数時間待たされたなどの噂が

聞こえてきました

全国からやって来た人々が万博だけ見て

帰ってしまうのは勿体ないと、近くの

京都を見物して帰るようになりました?
… … …

それまで修学旅行を除いて

静かだった京都が少しずつ

賑やかになってきました…

私は、この大阪万博の開催以降

京都が何となく賑やかになったように

感じました…







時代劇テレビ映画と京都

2018年11月08日 22時20分44秒 | Weblog



関東で始まった映画(活動写真)は

関東大震災で各撮影所は全滅して

関西へ移ってきました

そして、関西で再建された各撮影所は

時代劇映画を中心に制作されるように

なりました





京都に建てられた撮影所は

時代劇を制作するにあたって

市内に点在する神社仏閣を

ロケーション場面に選びました

市内の神社仏閣は撮影所から

近いので、便利でした







時代劇テレビ映画「暴れん坊将軍」は

1978年(昭和53年) からですから

今から40年前になります…

また、「長七郎江戸日記」の製作は

1983年(昭和58年)ですからこれも

35年前ということになります…

… … …

当時の京都はまだ、観光客も少なく

シーズンオフの神社仏閣は人出も少なく

ロケーション撮影は比較的楽でした








学生時代の京都

2018年11月07日 22時38分50秒 | Weblog



私の学生時代の京都は

静かで、人の少ない

神社佛閣は素晴らしい

環境でした

… … …

京都は、日本の首都でしたから

神社佛閣の建築は超一流だと

思っています

京都市内の真ん中には繁華街、京極、

東に八坂神社を望む、八坂神社

からの四条通があります





繁華街を歩く大勢の人々は

大阪の繁華街に比べて、少し

テンポが、のろいように感じていました

学生の私にはその、遅い歩きが嫌いでした

観光客が少ない神社仏閣では、写真を撮るのに

三脚を立てても、別に邪魔になりませんでした。








嵐山から化野の念仏寺へ

2018年11月03日 23時35分42秒 | Weblog


私の学生時代からか、40数年前の

京都は、実に静かでした…

春の桜、秋の紅葉の季節には

各地から見物客が押し寄せてきましたが

季節が終わるとまた、静かに戻りました

今の哲学の道を歩くと、京都の繁華街

「京極」か大阪の「心斎橋筋」を歩いて

いるような賑わいで、高名な哲学学者が

瞑想にふける道とはとても思えません

しかし、今から五十数年前の哲学の道は

歩いている人もほとんどなく

哲学者が瞑想に耽るに相応しい雰囲気の

道でした…







嵐山の渡月橋(とげつきょう)も

静かな橋でした。

落柿舎を通って化野(あだしの)の念仏寺へ

学生時代にお詣りしたことがありました

季節は真冬で、雪深い道をカメラで

スナップしながら念仏寺に着きました

寒い冬のせいか、境内に参拝客は誰も

いません…

境内でお坊さんに出会いました

そのお坊さんは学生服の私に

「この寒い中よくおこしくださいました…」

と部屋で熱いお茶をご馳走になりました

最近のごった返している念仏寺界隈からは

想像もつかない静かなひとときでした…