けい先生のつぼにくる話

はりきゅう漢方の先生が教えてくれる健康に関する話
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よっ!日本一!うめ吉師匠  三味線大好きなんです。

2011-10-23 14:09:33 | 雑記
今日は日曜日、なんだか昨日から調子が悪く、カゼを引きそうな感じなので、漢方薬をのんで、自分でお灸をして、一日寝ていました。

幸い今日はぽかぽかととてもよいお天気です。何もしないで本を読んでいました。特に読み込んだのは、「俗曲師 うめ吉のニッポンしましょ!」であります。読み返すのは2度目ですが、もっと味がわかった気がしました。

これは面白く楽しい本です。岡山から上京してOLさんであったうめ吉師匠が、東京で「都をどり」を観て衝撃を受け、三味線、着物の世界に目覚めて、寄席のお囃子さんから、「俗曲師うめ吉」としてデビューし成長してゆく様が楽しくやさしく書かれています。

その時期と私が育った東京の下町の様子と、「早く一人前の鍼灸師になりてえ」。漢方薬もキチンと処方できるようになって「えれー先生になりてえ」と、悪戦苦闘していた時期が重なっているようで、なんだかとても懐かしい気持ちになります。

また、ギターのようにフレットがついていて絶対音が決まっているそれと違い、三味線にはそれがなく、指先と耳の感覚と経験によって体得していく楽器であるということが書かれていました。これは東洋医学を体得するときのそれと大変共通していて、なんだかうれしくなりました。

私は東京生まれですが、家の関係で、小学校の早い時期までは横浜界隈にも行き来していました。しかし、多くを住み暮らし、通っていた学校は、東京の人形町、浜町、入谷、浅草あたりです。当時あのあたりは驚くような下町で、職人の町で、私などは、山の手あたりの良家の坊ちゃんたちとは明らかに違う、「ひ」と「し」がちゃんといえないガキでした。しかしいつも「てやんでぇ!べらぼうめ!」という気持ちでいたものです。「下町日本人のDNAここにあり」というところでしょうか。

(ちなみに、実際に「べらぼうめ!」という人は本当は少なくて、「なにいってんだばかやろう!」と一気に言い放つことの方が多いです。北野たけし氏みたいにね。)

そのせいか、うめ吉師匠が修行をされた地域や、その町の人情の様子にとても実感が沸きました。
彼女のCDはほぼ毎日車の中で拝聴しています。
うめ吉玉手箱
大正昭和はやりうた

先月は用事があって高知、東京、神戸と廻ったのです。その頃に浅草演芸場の夜の部でうめ吉師匠が高座に出るとのことでしたが、どうしても時間が合わず、大変残念でした。

次ははずさないぞ。。。
コメント
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