今回の日本行きは、実は武術三昧の旅でありました。
日本伝大東流合気柔術の特訓を受けるために帰国していたのです。
師匠は岡本眞師範です。長時間みっちりと特別個人教授をしていただきました。
私は、子供の頃はひどい喘息とアトピーを抱える弱い子供でした。鍼灸と漢方薬のおかげで、十代半ばまでには完治して、今では大変健康なおじさんになりました。
少年の頃の私は、弱い体を何とかせねばと、13歳から近くの浜町体育館(現中央区総合スポーツセンター)で、ある流派の武道を習いはじめました。その後黒帯になって、3段を取って得意になっていた時期がありました。しかし、大学生の頃、旅行先の台湾で、退役軍人の小柄な老人に指一本で制圧されてしまうという、苦い苦い思い出がありました。
自分では何年もがんばってきたはずなのに、何もできずに敗北しました。この老武道家いわく「あなたは、内力がありませんね。。。」の一言でした。。。実に悔しかったですね。
そして、残念な事に、習っていた流派の先生や諸先輩方には、その敗北の原因をうまく説明できる人はひとりもいませんでした。
むしろ、「他流試合は邪道だ。武術は戦うためではない!しかし、本当に型の修行をすれば負けることはないのだ。。」などときれいごとばかり述べる先輩方ばかりでした。生意気だった私は、「じゃあ、私を倒してください。抵抗はしません。私たちが稽古をしているのは武道なんだから私を叩き潰してみてください。」とお願いするも、「いやいや、、武道家は精神修養が大切で、、、、」などど逃げ腰で話になりません。彼らは「内力がありませんね。。」の意味も分かっていないようでした。。。
失望した私は、この流派を完全に見限ってしまいました。そのご、縁有って、日本在住の書道、篆刻、水墨画の大家で、円功禅拳の継承者である李燕生師匠と懇意になり、これを伝授される事になりました。詳細は以前書いたとおりです。
日本を離れてからは毎日独りで円功禅拳を練りつづけてきました。しかし、稽古の相手がほしいということで、ある時、私の患者さんの弟さんが詠春拳という拳法を教えていることを知り、入門をしたものの、これがアメリカ化してしまった「チカラ技の権化」のような似て非なる詠春拳でありました。若いころに台湾や香港で少しだけ触れたことのある詠春拳ではなかったのです。
このような経緯と実際に使える武術に対する熱き思いをお伝えしたところ、岡本先生にはこれを本気で受け止めていただくことができました。
そして、今回の日本行きが決定したわけです。
滞在期間中は、先生の個人教授とその復習の日々の繰り返しでした。それこそ毎日が目からウロコといいますか、人生観が変わるような教えと気づきと発見の日々でした。
これからは、このブログの武術のカテゴリーが充実してゆきそうです。
帰りは、私の一番のお気に入りの鍼を一万本と大量の上質もぐさと専用のお線香、そして最良の漢方薬の材料をたくさん仕入れてきたのです。
荷物が多くなってしまい、着替えをほとんどあちらで処分したうえで、荷物をパンパンに詰め込んで帰ってまいりました。
ああ、面白かった、楽しかった、ありがたかった旅行でした。少年の頃の様にワクワクすることができました。
日本伝大東流合気柔術の特訓を受けるために帰国していたのです。
師匠は岡本眞師範です。長時間みっちりと特別個人教授をしていただきました。
私は、子供の頃はひどい喘息とアトピーを抱える弱い子供でした。鍼灸と漢方薬のおかげで、十代半ばまでには完治して、今では大変健康なおじさんになりました。
少年の頃の私は、弱い体を何とかせねばと、13歳から近くの浜町体育館(現中央区総合スポーツセンター)で、ある流派の武道を習いはじめました。その後黒帯になって、3段を取って得意になっていた時期がありました。しかし、大学生の頃、旅行先の台湾で、退役軍人の小柄な老人に指一本で制圧されてしまうという、苦い苦い思い出がありました。
自分では何年もがんばってきたはずなのに、何もできずに敗北しました。この老武道家いわく「あなたは、内力がありませんね。。。」の一言でした。。。実に悔しかったですね。
そして、残念な事に、習っていた流派の先生や諸先輩方には、その敗北の原因をうまく説明できる人はひとりもいませんでした。
むしろ、「他流試合は邪道だ。武術は戦うためではない!しかし、本当に型の修行をすれば負けることはないのだ。。」などときれいごとばかり述べる先輩方ばかりでした。生意気だった私は、「じゃあ、私を倒してください。抵抗はしません。私たちが稽古をしているのは武道なんだから私を叩き潰してみてください。」とお願いするも、「いやいや、、武道家は精神修養が大切で、、、、」などど逃げ腰で話になりません。彼らは「内力がありませんね。。」の意味も分かっていないようでした。。。
失望した私は、この流派を完全に見限ってしまいました。そのご、縁有って、日本在住の書道、篆刻、水墨画の大家で、円功禅拳の継承者である李燕生師匠と懇意になり、これを伝授される事になりました。詳細は以前書いたとおりです。
日本を離れてからは毎日独りで円功禅拳を練りつづけてきました。しかし、稽古の相手がほしいということで、ある時、私の患者さんの弟さんが詠春拳という拳法を教えていることを知り、入門をしたものの、これがアメリカ化してしまった「チカラ技の権化」のような似て非なる詠春拳でありました。若いころに台湾や香港で少しだけ触れたことのある詠春拳ではなかったのです。
このような経緯と実際に使える武術に対する熱き思いをお伝えしたところ、岡本先生にはこれを本気で受け止めていただくことができました。
そして、今回の日本行きが決定したわけです。
滞在期間中は、先生の個人教授とその復習の日々の繰り返しでした。それこそ毎日が目からウロコといいますか、人生観が変わるような教えと気づきと発見の日々でした。
これからは、このブログの武術のカテゴリーが充実してゆきそうです。
帰りは、私の一番のお気に入りの鍼を一万本と大量の上質もぐさと専用のお線香、そして最良の漢方薬の材料をたくさん仕入れてきたのです。
荷物が多くなってしまい、着替えをほとんどあちらで処分したうえで、荷物をパンパンに詰め込んで帰ってまいりました。
ああ、面白かった、楽しかった、ありがたかった旅行でした。少年の頃の様にワクワクすることができました。