こんにちは。
販促経営コンサルタント、藤田です。
本日は2回目の投稿です。
このカテゴリーは基本的にフィクションです。
販促経営コンサルタントの本田というわたしの分身を登場させて、様々な経営再生の様子を描写していきます。
内容はフィクションですので、モデルそのものはありませんが、実際に自分が経験したことも混じっていますので、これを読むあなたにもずいぶんと参考になることが出てくると思います。
あなたの経営改善のヒントにご自由にお使いください。
(なお配信は原則毎週1回水曜日にと思っていますが、基本的にランダム配信です)
「ある地方商店街の小さな一歩」<その5>
「先ほどの話の続きになるが、この満天通り商店街もご多分に漏れずに、駅から続く駅前通り商店街からひとつ曲がった通りになるんだが、800メートルほどの長さで、途中で小さな川が横切っている。昔は夏なんかは、その川の畔にみんな夕涼みに出てきながら、店を冷やかして行ったものなんだ」
満天通り商店街はその川を横切ったかたちで、最盛期には93店ものいろいろな業種の店が輝いていた。
夏は夕涼み、春はお花見、秋には秋祭りにとそれぞれ季節の風情を醸し出していた。
何もない冬場はさすがに川辺にやってくるほどの人手はなかったが、それでも商店街には人が溢れ、活気があった。
それがバブルの頃からか、どんどん郊外に他県資本の大型店が現れ、その周辺が宅地造成で開発されどんどん建売り住宅が建てられるようになった。
それらを購入した若いファミリーは、市内中心部に住むの親から離れていった。
それでもまだ満天通り商店街は賑わっていた。
だから、郊外に大きな店ができても、それほどの影響がないのだと高をくくっていたきらいがある。
にぎわいが目に見えて衰えていったのは、21世紀に入ってからだった。
最初はほんの2、3軒、店を閉じた。
田島はまだ理事長にはなっていなく、青年部の役員に過ぎなかった。
そのときは何も感じなかった。
自分の中ではまだまだ勢いが感じられていた。
四季それぞれにあるイベントを青年部が先頭に立って行っていた。
しかしその間でも空き店舗が少しずつ増え始めていた。
あらためて気がついたときにはすでに10数軒廃業しており、あと数軒すぐにでも廃業届を出す寸前にまでになっていた。
そうなってはじめて、空き店舗が目立つようになった。
そこで満天通り商店街振興組合では、空き店舗対策チームをやっと作り、行政とも連携して、チャレンジショップ制度を打ち出し、新しい商業者を募集した。
市から開店資金20万円補助、さらには振興組合からも10万円の資金援助、そして県や市から500万円まで低金利融資を受けることができるということだった。
さらに商工会議所からは経営指導員がつきっきりでサポートし、チャレンジショップが独り立ちできるようにと手を打った。
しかし最初から補助金を当てにして出した店はことごとく失敗し、定着することはなかった。
さらに人生をかけて出店した脱サラのチャレンジャーもいたが、意気込みだけで、評判を獲得するだけの店にはできずに、散っていった。
さらにその後は、補助金や融資の対象外の店が進出し始めてきた。
ゲームセンターや、中には風俗店まがいの店の進出だ。
しかしそんな店もあっさりと撤退していくほどに、商店街そのもののシャッター通り化が進んでいった。
今現在は一種の下げ止まり感で、30数店舗が細々と営業して何とか商店街の形は保っているが、ここで後数店舗が撤退したら、本当に商店街そのものがなくなってしまうことになる。
今さらてこ入れというのもむずかしくなった状態で、じゃあこれからここはどうしたらいいのだろうか。
もう役員だけでがんばっていくには、手の施しようがないという感じだ。
田島も半ばはあきらめている、というところが本音だった。
「だいたいのところは理解できました。こちら独特の理由というのも見受けられませんね。いずこも同じ何とか、というところですか」
本田が言った。
「まだちゃかすのか!」
田島がまた怒った。
<6>へつづく
(このストーリーは、リアル体験を元にしたフィクションです)
それでは今日はこれで。
あなたの一日が今日もいい一日でありますように。
藤田販促計画事務所、お客様力(ぢから)プロデューサの藤田でした。
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群馬県前橋市天川大島町186-25
藤田販促計画事務所
http://www.shakatsu.co
E-mail:k1948f@nifty.com
TEL.027-261-6671(FAX.同様)
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「ある地方商店街の小さな一歩」<その5>
「先ほどの話の続きになるが、この満天通り商店街もご多分に漏れずに、駅から続く駅前通り商店街からひとつ曲がった通りになるんだが、800メートルほどの長さで、途中で小さな川が横切っている。昔は夏なんかは、その川の畔にみんな夕涼みに出てきながら、店を冷やかして行ったものなんだ」
満天通り商店街はその川を横切ったかたちで、最盛期には93店ものいろいろな業種の店が輝いていた。
夏は夕涼み、春はお花見、秋には秋祭りにとそれぞれ季節の風情を醸し出していた。
何もない冬場はさすがに川辺にやってくるほどの人手はなかったが、それでも商店街には人が溢れ、活気があった。
それがバブルの頃からか、どんどん郊外に他県資本の大型店が現れ、その周辺が宅地造成で開発されどんどん建売り住宅が建てられるようになった。
それらを購入した若いファミリーは、市内中心部に住むの親から離れていった。
それでもまだ満天通り商店街は賑わっていた。
だから、郊外に大きな店ができても、それほどの影響がないのだと高をくくっていたきらいがある。
にぎわいが目に見えて衰えていったのは、21世紀に入ってからだった。
最初はほんの2、3軒、店を閉じた。
田島はまだ理事長にはなっていなく、青年部の役員に過ぎなかった。
そのときは何も感じなかった。
自分の中ではまだまだ勢いが感じられていた。
四季それぞれにあるイベントを青年部が先頭に立って行っていた。
しかしその間でも空き店舗が少しずつ増え始めていた。
あらためて気がついたときにはすでに10数軒廃業しており、あと数軒すぐにでも廃業届を出す寸前にまでになっていた。
そうなってはじめて、空き店舗が目立つようになった。
そこで満天通り商店街振興組合では、空き店舗対策チームをやっと作り、行政とも連携して、チャレンジショップ制度を打ち出し、新しい商業者を募集した。
市から開店資金20万円補助、さらには振興組合からも10万円の資金援助、そして県や市から500万円まで低金利融資を受けることができるということだった。
さらに商工会議所からは経営指導員がつきっきりでサポートし、チャレンジショップが独り立ちできるようにと手を打った。
しかし最初から補助金を当てにして出した店はことごとく失敗し、定着することはなかった。
さらに人生をかけて出店した脱サラのチャレンジャーもいたが、意気込みだけで、評判を獲得するだけの店にはできずに、散っていった。
さらにその後は、補助金や融資の対象外の店が進出し始めてきた。
ゲームセンターや、中には風俗店まがいの店の進出だ。
しかしそんな店もあっさりと撤退していくほどに、商店街そのもののシャッター通り化が進んでいった。
今現在は一種の下げ止まり感で、30数店舗が細々と営業して何とか商店街の形は保っているが、ここで後数店舗が撤退したら、本当に商店街そのものがなくなってしまうことになる。
今さらてこ入れというのもむずかしくなった状態で、じゃあこれからここはどうしたらいいのだろうか。
もう役員だけでがんばっていくには、手の施しようがないという感じだ。
田島も半ばはあきらめている、というところが本音だった。
「だいたいのところは理解できました。こちら独特の理由というのも見受けられませんね。いずこも同じ何とか、というところですか」
本田が言った。
「まだちゃかすのか!」
田島がまた怒った。
<6>へつづく
(このストーリーは、リアル体験を元にしたフィクションです)
それでは今日はこれで。
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