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人は死んだら「黄泉の国」に行くのか

2021-03-01 10:22:43 | その他
日本は宗教の無い国と言われていますが、私も含めて多くの人が宗教をそれほど信じていないのは確かなようです。

仏教が入っており各地に多くの寺院があり、仏教がらみの風習も多く残っていますが、葬式仏教といわれるのが現状なのかもしれません。

古来日本では死ぬと「黄泉の国」に行き、黄泉とこの世は隔てられて自由に行き来できないとされていたようです。どうもこの概念は仏教が入る前の神道の時代にできたもののようです。

日本の神々はもともと山や川や海や、太陽や月といった自然ですので、神も死ぬことがあるようです。したがって神が人間を死から守ってくれないというのが、古くからの日本人の根底にあるのかもしれません。

その後仏教が入ってきて色々と新しい概念が追加されたようです。大きなものが「地獄」の考え方で、人は悪行の報いで地獄に落ちるということになりましたが、日本人は輪廻を信じないので死者が赴く場所となったようです。

この仏教が盛んになったのは、江戸時代の幕府の政策もあったようです。仏教を「家」と結びつけ、家ごとに宗旨が決められて寺に登録される制度ができたためです。それまで浄土宗や禅宗など色々な宗派がありましたが、この制度でだんだん似通ってきたようです。

盆や彼岸などの年中行事も各宗派で共通になっています。この仏教が入ることによって死後の考え方が若干変わってきました。

まず人間は死ぬと仏の弟子または仏になる、そのため戒名という新しい名前を付ける、死んだあと三途の川を渡ってあの世に行く、戒名を仏壇にまつってお祈りをする、といったところです。

このあの世と黄泉の国が入り混じっているのかもしれません。これは仏教の見掛けをしていますが、実は仏教とは関係がないようです。いわば日本ローカルな習慣と言えるようです。

これが明治時代になると新しい概念が出てきました。人間は死んで黄泉の国に行くのではなく、目に見えない霊となり、特に国のために命をささげた人は「英霊」としてこの世界に留まるというものです。

この説に明治の陸軍が注目して、靖国神社が国の手で建てられたということになります。この国家神道は宗教ではないということで、どんな宗教を信じる人でも礼拝することができるようになっています。

この辺りから仏教や神道が区別されなくなり、日本は無宗教の国となったのかもしれません。日本人の大部分が暮れにはクリスマスを楽しみ、年が明けると初詣に出かけるという行事に何の抵抗もなく参加できるというのは良いことのような気がします。

たぶん死ぬときは三途の川をわたりあの世に行くというのも、そのうち廃れてしまうのかもしれません。


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