≪花を持って、会いにゆく≫
長田 弘:詩 グスタフ・クリムト:画
春の日、あなたに会いにゆく。あなたは、なくなった人である。どこにもいない人である。
どこにもいない人に会いにゆく。きれいな水と、きれいな花を、手に持って。
どこにもいない? 違うと、なくなった人は言う。どこにもいないのではない。
どこにもゆかないのだ。いつも、ここにいる。歩くことは、しなくなった。
歩くことをやめて、はじめて知ったことがある。歩くことは、ここではないどこかへ、
遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうでないということに気づいたのは、死んでからだった。もう
どこにもゆかないし、どんな遠くへもゆくことはない。
そうと知ったときに、じぶんの、いま、いる、ここが、じぶんのゆきついた、
いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世からいちばん遠い場所が、ほんとうは、この世にいちばん近い場所だということに。
生きるとは、年をとるということだ。死んだら、年をとらないのだ。
十歳で死んだ人生の最初の友人は、いまでも十歳のままだ。
病いに苦しんでなくなった母は、死んで、また元気になった。
死ではなく、その人が じぶんのなかにのこしていった たしかな記憶を、わたしは信じる。
ことばって、何だと思う? けっしてことばにできない思いが、ここにあると指さすのが、ことばだ。
話すことがなかった人とだって、語らうことができると知ったのも、死んでからだった。
春の木々の枝々が競いあって、霞む空をつかもうとしている。
春の日、あなたに会いにゆく。きれいな水と、きれいな花を、手に持って。