松本城は歴代藩主が「六家」23代にわたる、1590年石川氏か
ら1869年戸田氏まで。戦国時代に「深志城」として築城され後に
松本城と改められ、豊臣秀吉の時代「天正十八年」当たりに天守
閣や御殿、門、塀、本丸、二の丸、三の丸等が作られ、近世城郭
の基礎が出来上がった様です。
現在は「国宝」と成って居て、戦後解体復元が行われています。
我が国で「国宝」と成って居るのは松本城を含め4城に過ぎず、
他の沢山の城は復元された物で、鉄筋コンクリートで出来てい
たり当時の記録を元に新築された物が殆ど。
天守閣内を見ると、当時の建築技術をかいま見る事が出来るの
で、興味深い、梁や柱など「ちょうな」の削り後が残り、中でも天井
の組み方は「井桁梁」と云い下から見る事が出来る。
あくまでも戦闘を基本として「守る」為の作りで無駄が無く合理的
だ。
残念なのは、本丸、二の丸は焼失して居て無い事だが、本丸跡か
ら見る天守閣は美しい。
ら1869年戸田氏まで。戦国時代に「深志城」として築城され後に
松本城と改められ、豊臣秀吉の時代「天正十八年」当たりに天守
閣や御殿、門、塀、本丸、二の丸、三の丸等が作られ、近世城郭
の基礎が出来上がった様です。
現在は「国宝」と成って居て、戦後解体復元が行われています。
我が国で「国宝」と成って居るのは松本城を含め4城に過ぎず、
他の沢山の城は復元された物で、鉄筋コンクリートで出来てい
たり当時の記録を元に新築された物が殆ど。
天守閣内を見ると、当時の建築技術をかいま見る事が出来るの
で、興味深い、梁や柱など「ちょうな」の削り後が残り、中でも天井
の組み方は「井桁梁」と云い下から見る事が出来る。
あくまでも戦闘を基本として「守る」為の作りで無駄が無く合理的
だ。
残念なのは、本丸、二の丸は焼失して居て無い事だが、本丸跡か
ら見る天守閣は美しい。
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