キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン
コロナ休校明け。
学校のチャイムがむなしく響く。
子どもの学校は家から2km。これは学校から聞こえるチャイムではない。コロナ休校中にiPadに入れた「学校チャイム」のアプリだ。朝の会,9,10,11時の1,2,3時間目,昼休みの合図として鳴る。
コロナ休校、ステイホームでは、全国で家事が大変、食事作りが増えた、子どもに勉強を教えないと、ストレスが増えた、と聞いたけど、本当にそれだけだっただろうか。
2月末、さあやは3年間通った生活団の卒業式を目前に控えていた。母親の私にとっても、3年間の集大成。卒業式の服も、ピアノの発表会、入学式と使えるしと、手作りしていた。
その中で、全国一斉休校要請。
それがあっても、生活団の卒業式があるまでは持ち堪えてほしいと思ってた。
だから、全国一律の措置の休校要請には腹が立った。
生活団も、国や地方自治体の動きに合わせて気を遣うと思ったから。
でも、結局小学校が休校になるという事は、生活団の子のお兄ちゃん・お姉ちゃんが在宅する事になるから留守番させたり、連れ回したりさせる訳にはいかないという事で、生活団も卒業式までお休みとなる。
その頃は兵庫県は感染者は1人も出てないから、危機感はなかった。危機感が出たのは、3/末、志村けんが亡くなってから。未成年でも重症化する例があったり、子どもも重症化する例が出て来たから、子どもに何かあったらと不安になって来た。
菌は見えないし、先行きも見えない、マスコミの報道は憂鬱にさせるだけ。不安が高まる事ばかり。
毎朝起きると、昨日まで見て来た事は夢だったんじゃないかと思いたくなる。
世界中が私を騙すためのドッキリをやってるんじゃないかと。
けど、テレビをつけるとやはり新型コロナウイルスを扱う報道番組があり、やはりコロナの事は継続している。
昔もこんな感染症のパンデミックはあったという。
100年に一度はあるという。
こんな時代に産んでしまってかわいそう、申し訳ないと思った。
結果から言うと、さあやの卒業式も、春休みのピアノの発表会も中止になった。入学式はかろうじてあったが、次の日から休校。初めての小学校なのに、小学校というのがどんなものかも分からない。今年節目がある学年の子はかわいそうだ。卒業式も入学式も中止や来れる人が限られたり。まだ先だけど、七五三もどうやれるか分からない。
不安が多くて、これからどんな時代になるのか、そういった事を発信している人を見つけてはオンライン講座を聴いたり、ブログを見たりした。
そうしてると、こんな事を言っている人がいた。
「私達は、こんな時代を選んで生まれて来た」
そんな視点なかった。
不安ばっかりで。
でも、今は時代が変わる時で、色々なものが失われて悲しい思いもするが、ワクワクもある。
何もなく平坦に人生を終わる人もいる。この時代を選んで、この変わり目を経験するとは貴重なこと。
そう考えると、不安も少しはワクワクに変わったし、子どもに申し訳ない気持ちもましになった。
世の中では、学校がなくなって、生活リズムが乱れたと叫ばれたけど、うちはかえって整った。
さあやが生活団の卒業に向けて、汽車のお励みをしてたおかげだ。汽車のお励みは、1日を朝から晩まで、生活習慣を整える16項目のお励み。3年間の集大成だ。
その流れで整った。
免疫をつけとかないといけないので、睡眠大事。8時半就寝、7時起床をほぼ維持。
学校や習い事があると、それを差し引いて、残った時間でやりくりしないといけない。全て自分の裁量に委ねられる方がやりやすい。
休みでも時間割を決めて生活する方がいいとメディアで聞いて、9,10,11時と3時間目までおうち小学校と称して、毎日前日の夜にお風呂で次の日何したいか聞いて決めた。さらとさあやで似た事をした。それが3月。
外食はすっかりしなくなった。
外に出なかったら太陽も浴びないので、お庭ランチするのが気分転換と日光浴になった。外に出てなかった子どもも、お昼ご飯を食べた流れで、そのまま外で遊ぶのにも良かった。
さあやは入学式で教科書をもらってたものの、さらは4月中旬、先生が教科書を持って来る。ゆるい宿題が出た。GW明け、学校から訪問があり、今度は多めの宿題が出た。5/20ももう一度訪問があり、しっかり目の宿題が出た。
1年生は少ないし、4年生はしっかり出てる。さらは終わらないし、さあやは遊びたい。グズグズ。よその子と遊べたらいいけど、さあやは地域の幼稚園に行ってたわけじゃないから、知ってる子も少ない。また、コロナ禍でどの程度なら遊んでいいのか、人によって感じ方に温度差があるから迷うところ。
多めの宿題が出るようになってからは、おうち小学校は、さらに教えるのが中心になった。さあやは教えてもすぐ終わるようなものが多かった。さらは分からない所も多かった。
さらには勉強で怒る事も多かった。
もう習ってるはずの所が分かってない、さっき説明した所が分かってない、九九なんか2年生の範囲なのに何で間違うの等々。
「落第ある国だったら、2年生で止まってるんで」と言う事もあった。
でも、それだけ私が今まで見れてなかったんだな。
「親は勉強を教えない方がいい」というもっともな事を言うブログも見た。
それは、家で勉強を教えるのに疲れたお母さんのシェアで。
勉強が全てではない。それは分かる。
不登校だった人がクリエイティブな仕事をして活躍してる事例もある。
でも、読み書き計算など、まだ生きて行くのに最低限というとこまでいってない。
さらは教えたら分かる事が多い。
教えるのに時間はかかるけど。私も表面的に理解してほしくないから、午前中は教える時間と割り切って、ゆっくり教える。
分かった時の表情を見ると、本当に分かったんだと分かる。分かった時のうれしさも伝わって来る。
これを捨ててしまいたくない。これを簡単に諦めたくない。
時には叫びそうになりながらも勉強を教えてた。
「お母さんは学校の先生で、給食のおばちゃんで、病院の先生で、お母さんやねんからなー」
休みという名前が付いてるけど、忙しかった。
さらが苦手なのは算数が多いけど、見てたら、問題をすごく難しい事を聞かれてるかのように解釈を間違ってたり、ほとんど分かってるけど自信がなくて、それでいいと一押ししたらもうほとんど分かってたり、教えてもらったのに分からないというのは丁寧に教えたらすぐ分かったり。
そうしていくうちに、学習する習慣がついた。
今まではだらだらと宿題してた。イヤだからとだらだらと時間がかかってた。習慣化すると、コロナ休み明けでも淡々とこなすようになった。
コロナ休み中は、子の教育についても考えた。
勉強とは。
教育の本質とは。
学校の本質とは。
そういった講演会やお話会があれば、zoomで参加した。
毎日勉強を教えた後は、午後は韓国ドラマを1時間見た。
私のリフレッシュ時間だ。
コロナ休校中には家事も増えた。
朝ご飯をしたと思ったら、もう昼ご飯。少ししたら晩ご飯。
掃除も週1で良かったのが、週2はいる。
専業主婦をしてても忙しい。食事も作り置きがいる。
子どもと一緒に料理することも増えた。さあやは生活団に行ってたから24時間一緒で、一緒に料理する事も多かったけど、さらはこんな機会がないとできない。
子どもと一緒に作り置きのお菓子や味噌玉を作ったりもした。
晩ご飯を多めに作って、冷凍もした。
それでも、家事が多いので、子どもにできる家事を一緒に考える親子会議をした。子どもができる家事をお手伝いルーレットで管理する。
(お手伝いルーレットは前に作ってたけど、自然消滅したものもあるから、再度やる。お風呂掃除はさらしかできなかったけど、さあやに教えて、週によって変わるから何曜と何曜が誰か具体的に決めた。)
子どものお手伝いが習慣になって来ると、かえって楽になった。
お風呂掃除なんか、元々2日に1回しか洗わないのだけど、週の頭、私が掃除したら、あとはさら、さあやとするので、私は週1回で済む。
宿題があるのにお手伝いをさせたら負担にならないかと思った事もあったけど、子どもはお手伝いが好き。お手伝いをするために、宿題を早く終わらせたりもする。ある程度なら忙しいくらいの方がかえって力が出せる。
(塾とか詰め込み過ぎとかは×。)
料理も、今までは買って済ませてた物でも、大抵の物は自分で作れると分かった。
ロールケーキ、シフォンケーキ、パン、ピザなど、時間があるから色々できた。
さあやは生活団で24時間一緒だったから、そんなに変わらない生活。
私と2人っきりだと、私も遊ぶネタに困ったけど、そこにお姉ちゃんがいるから、勉強が終ったら、いくらでも遊べる。姉妹2人で延々と飽きない。
植物を家で育てるというのも、生活団でしてたから何の違和感もなかった。
GW明けに先生が朝顔セットを持って来てくれたのも、むしろ植木鉢が用意されてたから何て楽なんだという感じ。子どもが本来なら学校で観察するはずの物を家で一緒に共有できる喜び。
6月から隔日登校になると説明した時、週2回という事を説明したら、さあやは「生活団と一緒」と言う。親からしたら、これはいつもと違うという事だけど、さあやからしたら、生活団みたいな感覚か。
さらは0才から保育園だったから、一緒にいれる時間が少なかった。久々に一緒にいれる時間だった。
子がいるいい時間。
さあやが生活団でべったり過ごしてて、小学校行ったら寂しいやろうなと思ってたところに、世界中でステイホーム。
この期間がなかったら、生活団のある生活からの差が激しくて、寂しかっただろうな。
このコロナ休みがあって良かったな。
コロナ休校明け、チャイムがむなしく響く。
子どもがいないとめっちゃヒマ。
これまでセーブしてたやらないといけない事、やりたい事をやって行くこととするか。