kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

嫌なものは嫌と言えるわがままさの重要性

2020年07月27日 16時00分30秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
今年は小学校の夏休みは短い。
8/1~17の17日間。3~5月にコロナ休校があったからだ。
コロナ禍だし、旅行に行くか迷ったけど、先日知り合いの知り合いでラフティングとキャンプを個人でしてる人を知り、それを申し込んだ。

そして、旦那さんが私の実家に行った時に、ばあばも行きたいとなり(ばあばは子どもらが行きたがったと言うけど、実際ばあばが言い出した面が大きい)、コロナでの状況を聞くと同時に、追加を聞く事に。

コロナ禍の状況は、他のアウトドア会社のツアーで見る限り、他県からの訪問にも寛容で、車にいたずらとかはないとの事。
追加はOKだったけど、その後、男子2人がいる別の家族も一緒でいいか聞かれた。

ぱっと聞いた印象で、抵抗があった。
でも、旦那さんは「別にいいんちゃう」と言う。
さらとさあやはイヤァーーーと言う。特にさらは、泣き叫んだほど。

私の中で、断ると「コロナにかかると思って嫌がってるんじゃないか」と心の狭い人と思われるんじゃないかとか、社交的じゃないと思われるんじゃないかとか、知り合いの知り合いなのに感じ悪いとか思われたら、向こうでぎくしゃくするんじゃないかとか考えてしまった。

そして、私も嫌だなと思ったけど、よく考えたら、このメンバーで行くと、舟を実際漕げる人がインストラクターと旦那さんくらいで、あんまり進まないんじゃないかとか、
他のアウトドア会社でもラフティングツアーしてるなら、舟では身内だけでも、川の上では舟だらけとかかもしれないと子どもらに言った。

いわば、もし相手に断らなかった場合、子どもと自分を納得させる理由を考えついたのだ。
でも、それって相手に断る(嫌と言う)のが嫌だから、納得させる理屈を出して来ただけじゃないか?

さあやは、「一緒でもいいかも」となって来たけど、さらは断固として嫌と言う。
泣きじゃくる。

よく聞いてみると、さらはコロナで嫌という訳ではない。
家族で過ごしたいのに、よその人が入るのが嫌という事。
川自体に他の団体がいても、それは構わない。
ただ家族で過ごすと聞いてたのに、そこに半日以上も、そしてお昼ご飯の時もよその人がいるという事が嫌という事なのだそうだ。

私も、実際、他人家族が入るのは好きではない。
舟の上だと結構近いし、そんなに近くに人がいると家族と話すのにも気を遣う、しかも10~16時って結構長いでーと思ってた。
泊まるテントは別とは言え、ラフティングが目的の旅行で、一番の目的で楽しみの時間がほとんど他人と過ごすって、結構苦痛。
私、あんまり皆でわいわいという集まりが好きではない。知らない人が集まる場はさらに。最初から、自分で分かって行く場合はその限りではないけど、今回はその可能性があるって知らされてなかったし。

人によっては、そんなん全然気にならない人もいるから、そういう人だったら軽くOKするんだろうなと思いつつ。そういう人と比べたら「社交的じゃない」と責められそうと思ってしまって。それを否定する意味でも、断りづらかった。

そう、断りづらかったのは私だ。

そう考えると、「嫌な事は嫌」と言えるさらはすごい!

そうして、さらちゃんの話をもう少し聞く事にした。
お風呂に入っても、その会話は続いた。

母:さらちゃん、何で嫌なん?
さら:家族で行くと思ってたのに、よその家族がいると嫌。
母:よその家族がいると、何で嫌なん?
さら:男の子やとはしゃいで水かけ合ったりして、さらちゃんにかかったり、川に石投げてぶつかりそうになったり、その人達だけが楽しんで、さらちゃん達は楽しくなかったってなりそう。
そうしたら、後悔しそう。

さらに、「何で嫌か?をずっと考えていく、こういうのを掘り下げるって言うねんで。この前、(NHKの)『お伝(つた)と伝じろう』でやってたやろ」と言う。
そしたら、さら、「知ってる。道徳で掘り下げるのをしてる」と言う。
「さらちゃん、先生が教科書を読んでる時、自分の頭の中で考えてる」と言う。
道徳で習った手法を自分でやってるんかな。

今の道徳は子どもの意見を否定したり、これが正しいとあまり言わないみたいだから、そういう道徳なら良いと思う。
私らの時代は、「こう思ってほしい」という大人のエゴが見え隠れしてたから。
今の道徳は、道徳っていうより哲学的だな。

でも、相手がお母さんだから言うんちゃうやろうな、もし自分が言う立場でも、嫌って言える?と聞くと、さら「イヤ!とは言えんけど、『家族と一緒に過ごしたいので、できるだけ家族だけで過ごしたいです』って言う」と言う。
私が確認したかったのは、気が許せる身内だから自分の思ってる事、言いたい事、嫌だという事を言えても、それが外でできなかったら、「イヤ」という気持ちを抱えたまま他人には気を遣って言えないという私の二の舞をしてほしくないから。
今回は、旅行のやり取りをしてるのは私だから、私が言うけど、さらちゃんは外でも言うと言った。それだったら、お母さんは言う(断る)事にすると言う。

そうして、さらちゃんの話を掘り下げて聞いてたら、さあやが「お姉ちゃんの方が先生まれたから、お姉ちゃんの方がママと一杯しゃべってるから、さあやもしゃべらせてよー」と言って来た。
さらからしたら、さあやは可愛がられてると思ってるのに、さあやはさあやでそんな事思ってたんや。

さあやは、「別によその家族一緒でもいいん?」と聞くと、よく聞いてみると、嫌っていうのを(相手に言う場合)どう言っていいか分からないから、いいって言ったみたい。
生活団では自分の意見を言う事の大切さを言われて来たのに、そこまでは備わらなかったのか、残念。
さあやの方が年下やのに、意外と空気読むなぁ。

逆に、私はさあやの事、下の子やから、「かわいい、かわいい」で育ててるから、かわいいっていう地位を失わないでおこうと、人の評価を気にしてしまうのかも。
前に心屋マスターコースで同期だった人が子どもが2人姉妹で、上の子は叱って、下の子は褒めて育ててたら、上の子じゃなく下の子が鬱っぽくなったから、褒める弊害・可愛がり過ぎる弊害・人の評価を気にする性質の事を言ってたな。

さらは長女で、初めての子育てだから、子どもがどう考えるかとか、丁寧に向き合って来た。小さい時から保育園入れてかわいそうみたいな気持ちもあったから余計に。
でも、さあやは、赤ちゃんの時、赤ちゃんが生まれてこれから大変になると思いきや、さあやが泣いてるとこかけつけようとしたら、その前にさらがぐずぐず言ってるのに構ってるうちに先に寝てしまってた事があった。
さあやとももっと、向き合わないとな。

さあやに、「どう言っていいかは後で考えたらいいから、まずはよその人と一緒でいいの?嫌なん?さあやの気持ちはどうなん?」と聞くと、「イヤ」と言う。
やっぱりイヤなんやん。

お風呂上がってから旦那さんに、断る事にしたとさらが報告すると、旦那さんはいぶかし気な顔をしたけど、後から私も、本当はイヤだった、さらが言う事は正しいと言うと、旦那さんも自分も遠慮してしまうところがあるからと納得したみたい。

私は、人を優先させるために、自分や自分の子どもを犠牲にさせたくない。
今までの自分だけだったら、自分だけが犠牲になるのは我慢できたけど、子どもに同じ思いをさせたくない。
他人を裏切らないために自分を裏切ることーそれも裏切りだ。最高の裏切りだ。 (『神との対話②』より)

さらちゃんに、「大人は、自分が嫌って思ってても、人にどう思われるか気にして、本音を言えんようになる事がある」という話をすると、さらは「大人になっても嫌な事は嫌って言う」と言う。
このまま育ってほしい。

前に気付いたけど、たぶん、私の人生のテーマは「嫌なことは嫌と言う」という事なんだと思う。
それをさらちゃんが自分を使って、全身でぶつかって来て教えてくれてる。
さらは私に私がやり残した人生の課題をやり直させるために、生まれて来たんじゃないかと思う。さらは、私の子ども先生なんだと思う。

新しい時代の仕事のあり方

2020年07月15日 22時17分29秒 | 人生観
さあやが生活団を卒業して小学校に入ってから、いや6月にコロナ休校明けで学校がスタートしてから、子どもが家にいないとヒマだ。
子どもがいないとこんなに時間があるなんて。
そう思うと、前からだけど、仕事をしないとと焦りがある。

下の子が小学校に上がったら、仕事してる人が多いのに、自分はまだ仕事をしてない事にプレッシャーがある。

仕事をしようと思えば、前職でつながりのある人から、アパレルの仕様書の英訳を頼まれてたから、それをする事もできる。
でも、正直、心が動かない。
前職では営業と言っても、仕事の範囲が広かった。企画から、事務的な事、納期管理、品質管理、クレーム処理まで。
してほしいという仕事がどこまでの範囲か分からないけど、英訳と言っても、打ち合わせで週1回は大阪に出てほしいと言われてるし、相手あっての仕事だからバタバタする事もある。
そうなると、今までできてなくて、さあやが小学校に入ったらしようと思ってた事もできなくなる。

でも、昨日今日、新しい時代がどうなるか話を聞き、私が今してる事って間違ってないと思った。

昨日、高橋ナナさんの「魂職」のzoomセミナーでは、ナナさんは1,2年ぷらぷらしてたら、ブログを書いてた事、それまでに経験や勉強してた事がつながって、セミナー講師やカウンセラーをする準備ができていたという。目的をもってそうした訳じゃなくても、まさに点と点がつながったということ。
これからは、色んなものがブレンドしてその人だけの仕事を作ると言う。

今日、本田健さんのオンラインサロンメンバー専用ライブでは、今、日銭を稼ごうとしてたら、せっかくの自己投資の時間がなくなり、2,3年後には仕事がなくなると言う。
専門職の翻訳の仕事でさえ、コロナと関係なくAIが進んでAIがやってくれると言う。

という事は、私が今してる、これからどういう時代になるか研究したり、興味ある本を読んだり、今まで経験して来た語学、海外経験、貿易、営業、悩み、心理学、自己啓発、生活団、そういったものが全てミックスされて、どれもが意味のある事だったと分かり、仕事になるかもしれない。いや、そうなるようにする。

だから、今自分がしてる事は合ってるんだ。
そう思った。



新型コロナウイルスがもたらしたもの

2020年07月15日 17時23分58秒 | コロナのある世界
キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン

コロナ休校明け。
学校のチャイムがむなしく響く。

子どもの学校は家から2km。これは学校から聞こえるチャイムではない。コロナ休校中にiPadに入れた「学校チャイム」のアプリだ。朝の会,9,10,11時の1,2,3時間目,昼休みの合図として鳴る。

コロナ休校、ステイホームでは、全国で家事が大変、食事作りが増えた、子どもに勉強を教えないと、ストレスが増えた、と聞いたけど、本当にそれだけだっただろうか。

2月末、さあやは3年間通った生活団の卒業式を目前に控えていた。母親の私にとっても、3年間の集大成。卒業式の服も、ピアノの発表会、入学式と使えるしと、手作りしていた。

その中で、全国一斉休校要請。
それがあっても、生活団の卒業式があるまでは持ち堪えてほしいと思ってた。
だから、全国一律の措置の休校要請には腹が立った。
生活団も、国や地方自治体の動きに合わせて気を遣うと思ったから。

でも、結局小学校が休校になるという事は、生活団の子のお兄ちゃん・お姉ちゃんが在宅する事になるから留守番させたり、連れ回したりさせる訳にはいかないという事で、生活団も卒業式までお休みとなる。

その頃は兵庫県は感染者は1人も出てないから、危機感はなかった。危機感が出たのは、3/末、志村けんが亡くなってから。未成年でも重症化する例があったり、子どもも重症化する例が出て来たから、子どもに何かあったらと不安になって来た。

菌は見えないし、先行きも見えない、マスコミの報道は憂鬱にさせるだけ。不安が高まる事ばかり。

毎朝起きると、昨日まで見て来た事は夢だったんじゃないかと思いたくなる。
世界中が私を騙すためのドッキリをやってるんじゃないかと。
けど、テレビをつけるとやはり新型コロナウイルスを扱う報道番組があり、やはりコロナの事は継続している。

昔もこんな感染症のパンデミックはあったという。
100年に一度はあるという。
こんな時代に産んでしまってかわいそう、申し訳ないと思った。
結果から言うと、さあやの卒業式も、春休みのピアノの発表会も中止になった。入学式はかろうじてあったが、次の日から休校。初めての小学校なのに、小学校というのがどんなものかも分からない。今年節目がある学年の子はかわいそうだ。卒業式も入学式も中止や来れる人が限られたり。まだ先だけど、七五三もどうやれるか分からない。

不安が多くて、これからどんな時代になるのか、そういった事を発信している人を見つけてはオンライン講座を聴いたり、ブログを見たりした。
そうしてると、こんな事を言っている人がいた。
「私達は、こんな時代を選んで生まれて来た」
そんな視点なかった。
不安ばっかりで。
でも、今は時代が変わる時で、色々なものが失われて悲しい思いもするが、ワクワクもある。
何もなく平坦に人生を終わる人もいる。この時代を選んで、この変わり目を経験するとは貴重なこと。
そう考えると、不安も少しはワクワクに変わったし、子どもに申し訳ない気持ちもましになった。

世の中では、学校がなくなって、生活リズムが乱れたと叫ばれたけど、うちはかえって整った
さあやが生活団の卒業に向けて、汽車のお励みをしてたおかげだ。汽車のお励みは、1日を朝から晩まで、生活習慣を整える16項目のお励み。3年間の集大成だ。
その流れで整った。
免疫をつけとかないといけないので、睡眠大事。8時半就寝、7時起床をほぼ維持。

学校や習い事があると、それを差し引いて、残った時間でやりくりしないといけない。全て自分の裁量に委ねられる方がやりやすい。
休みでも時間割を決めて生活する方がいいとメディアで聞いて、9,10,11時と3時間目までおうち小学校と称して、毎日前日の夜にお風呂で次の日何したいか聞いて決めた。さらとさあやで似た事をした。それが3月。

外食はすっかりしなくなった。
外に出なかったら太陽も浴びないので、お庭ランチするのが気分転換と日光浴になった。外に出てなかった子どもも、お昼ご飯を食べた流れで、そのまま外で遊ぶのにも良かった。

さあやは入学式で教科書をもらってたものの、さらは4月中旬、先生が教科書を持って来る。ゆるい宿題が出た。GW明け、学校から訪問があり、今度は多めの宿題が出た。5/20ももう一度訪問があり、しっかり目の宿題が出た。
1年生は少ないし、4年生はしっかり出てる。さらは終わらないし、さあやは遊びたい。グズグズ。よその子と遊べたらいいけど、さあやは地域の幼稚園に行ってたわけじゃないから、知ってる子も少ない。また、コロナ禍でどの程度なら遊んでいいのか、人によって感じ方に温度差があるから迷うところ。

多めの宿題が出るようになってからは、おうち小学校は、さらに教えるのが中心になった。さあやは教えてもすぐ終わるようなものが多かった。さらは分からない所も多かった。

さらには勉強で怒る事も多かった。
もう習ってるはずの所が分かってない、さっき説明した所が分かってない、九九なんか2年生の範囲なのに何で間違うの等々。
「落第ある国だったら、2年生で止まってるんで」と言う事もあった。
でも、それだけ私が今まで見れてなかったんだな。

「親は勉強を教えない方がいい」というもっともな事を言うブログも見た。
それは、家で勉強を教えるのに疲れたお母さんのシェアで。
勉強が全てではない。それは分かる。
不登校だった人がクリエイティブな仕事をして活躍してる事例もある。
でも、読み書き計算など、まだ生きて行くのに最低限というとこまでいってない。

さらは教えたら分かる事が多い。
教えるのに時間はかかるけど。私も表面的に理解してほしくないから、午前中は教える時間と割り切って、ゆっくり教える。
分かった時の表情を見ると、本当に分かったんだと分かる。分かった時のうれしさも伝わって来る。
これを捨ててしまいたくない。これを簡単に諦めたくない。

時には叫びそうになりながらも勉強を教えてた。
「お母さんは学校の先生で、給食のおばちゃんで、病院の先生で、お母さんやねんからなー」
休みという名前が付いてるけど、忙しかった。

さらが苦手なのは算数が多いけど、見てたら、問題をすごく難しい事を聞かれてるかのように解釈を間違ってたり、ほとんど分かってるけど自信がなくて、それでいいと一押ししたらもうほとんど分かってたり、教えてもらったのに分からないというのは丁寧に教えたらすぐ分かったり。
そうしていくうちに、学習する習慣がついた。
今まではだらだらと宿題してた。イヤだからとだらだらと時間がかかってた。習慣化すると、コロナ休み明けでも淡々とこなすようになった。

コロナ休み中は、子の教育についても考えた。
勉強とは。
教育の本質とは。
学校の本質とは。
そういった講演会やお話会があれば、zoomで参加した。

毎日勉強を教えた後は、午後は韓国ドラマを1時間見た。
私のリフレッシュ時間だ。

コロナ休校中には家事も増えた。
朝ご飯をしたと思ったら、もう昼ご飯。少ししたら晩ご飯。
掃除も週1で良かったのが、週2はいる。
専業主婦をしてても忙しい。食事も作り置きがいる。

子どもと一緒に料理することも増えた。さあやは生活団に行ってたから24時間一緒で、一緒に料理する事も多かったけど、さらはこんな機会がないとできない。
子どもと一緒に作り置きのお菓子や味噌玉を作ったりもした。
晩ご飯を多めに作って、冷凍もした。

それでも、家事が多いので、子どもにできる家事を一緒に考える親子会議をした。子どもができる家事をお手伝いルーレットで管理する。
(お手伝いルーレットは前に作ってたけど、自然消滅したものもあるから、再度やる。お風呂掃除はさらしかできなかったけど、さあやに教えて、週によって変わるから何曜と何曜が誰か具体的に決めた。)

子どものお手伝いが習慣になって来ると、かえって楽になった。
お風呂掃除なんか、元々2日に1回しか洗わないのだけど、週の頭、私が掃除したら、あとはさら、さあやとするので、私は週1回で済む。
宿題があるのにお手伝いをさせたら負担にならないかと思った事もあったけど、子どもはお手伝いが好き。お手伝いをするために、宿題を早く終わらせたりもする。ある程度なら忙しいくらいの方がかえって力が出せる。
(塾とか詰め込み過ぎとかは×。)

料理も、今までは買って済ませてた物でも、大抵の物は自分で作れると分かった。
ロールケーキ、シフォンケーキ、パン、ピザなど、時間があるから色々できた。

さあやは生活団で24時間一緒だったから、そんなに変わらない生活。
私と2人っきりだと、私も遊ぶネタに困ったけど、そこにお姉ちゃんがいるから、勉強が終ったら、いくらでも遊べる。姉妹2人で延々と飽きない。

植物を家で育てるというのも、生活団でしてたから何の違和感もなかった。
GW明けに先生が朝顔セットを持って来てくれたのも、むしろ植木鉢が用意されてたから何て楽なんだという感じ。子どもが本来なら学校で観察するはずの物を家で一緒に共有できる喜び

6月から隔日登校になると説明した時、週2回という事を説明したら、さあやは「生活団と一緒」と言う。親からしたら、これはいつもと違うという事だけど、さあやからしたら、生活団みたいな感覚か。

さらは0才から保育園だったから、一緒にいれる時間が少なかった。久々に一緒にいれる時間だった。

子がいるいい時間。

さあやが生活団でべったり過ごしてて、小学校行ったら寂しいやろうなと思ってたところに、世界中でステイホーム。
この期間がなかったら、生活団のある生活からの差が激しくて、寂しかっただろうな。
このコロナ休みがあって良かったな。


コロナ休校明け、チャイムがむなしく響く。
子どもがいないとめっちゃヒマ。

これまでセーブしてたやらないといけない事、やりたい事をやって行くこととするか。

新型コロナウイルスの発生と時系列の状況

2020年07月10日 13時08分33秒 | コロナのある世界
新型コロナウイルス。

今年一番の、いや自分の人生の中でも圧倒的な影響を社会に与えた感染病。

2月上旬、突然浮上した新型コロナウイルスの問題、最初はテレビの中のニュースというだけだった。気の毒だとは思うけど、対岸の火事だった。

2/20頃から自分の身の周りでもイベント中止など影響が出るようになった。
2月下旬、日本での感染者数が増え、中国ではピークアウトし始め、韓国、イタリア、イランでは蔓延していった。 
それでも、日本ではまだ周りでかかってる人がいるという実感もなく、2/27(木)の夜、安倍首相が全国一斉休校の要請を出した時には、反感しかなかった。
「兵庫県はまだ感染者もいないのに!?」と思った。
個人的には、次女の卒業式に影響したらどうしてくれるんだと思ってた。
やるなら、子どもだけしても意味ないだろうとも思った。
 
それでも、要請だから、後は各都道府県の自治体で考えるのかと思ったら、本当にほぼ全国一斉休校になって腹が立った。
状況が違うのに全国一律の対応って、思考停止かいと。

うちの地域で言うと、3/3(火)からコロナ休校がスタート。
春休み(本来は3/26~4/6までだった)が終るまでということだった。
この頃の感覚でもまだまだ危機感というほどのものはなかった。

生活団も2/28(金)の登団を最後に、2/29の父母会、最後の音楽と登団日が中止になった。最終的には卒業式前の張り出し集合日もなくなり、3/14(土)の卒業式にだけ集合する予定だったけど、その卒業式も一旦中止になった。

国の状況で言うと、3/24(火)に安倍首相がIOCに2020東京オリンピックの延期を要請。
3月下旬には、コロナに対する社会全体の意識が変わる出来事があった。
芸能人でお笑いの志村けんが3/29(日)23:10に亡くなったのだ。
本当に重症化するんだ、急変するんだ、死ぬ時は感染防止のため身内も会えないという事実を、芸能人に関する報道だったからこそ、新型コロナの怖さを事細かに知った初めての事例だった。 

4月上旬になると、欧米では未成年の死者が相次ぎ、日本でも乳児や子どもで感染者が重症化する例が出る。

オリンピックの延期が決まったら、あるかあるかと言われていたロックダウンに歯止めをかけていたものはなくなった。4/6(月)緊急事態宣言を出す予告があり、4/7(火)18時くらい緊急事態宣言発令。
全国的に学校が休校なだけでなく、会社もテレワーク(リモートワーク)ができるところはするようになって来た。店も休業要請が出る業種も出た。

4/6(月)は、同時に兵庫県は学校再開を中止、GW明けの5/6(水・祝)まで延長。
でもGWには兵庫県も蔓延していたので、今度はその中での再開は望ましくない。うちの市に至っては、感染経路が分かってない事例もあるのに、こんな戦場に子どもを送り込むような事できるかい。
兵庫県知事は「予定通り再開」との事。高校生は延期を依頼する署名をネット上でし始め、楽天の三喜谷会長は兵庫県知事のする事を「狂気の沙汰」とまで批判した。その甲斐あって、4/28(火)うちの市は5/末までの休校延長となった。後から始めから市は兵庫県の方針に関わらず休校延長する予定だったと言うけど、それなら最初からもっと市民を安心させるべきだと思う。

新1年生のさあやは、入学式で教科書をもらってたものの、4年生のさらはまだ何も。4/15(水)に担任の先生が教科書を持って来て下さる。
4月にはゆるーい宿題が出ていた。いつ提出かも言われてなかったから、やってもやらなくてもいいのかと思ってた。(後に提出を求められたけど。)

5月GW明けの5/8(金)、学校から子どものそれぞれの担任の先生の訪問があり、宿題が出た。さらは前よりがっつりあって、ちょっと本腰入れないとできない量だった。さあやは少ないからどんどん次の進めた。さらは長い時間かかり、さあやはすぐ終わる。終わったさあやはお姉ちゃんと遊びたい→グズグズというのが問題だった。

5/20(水)にもう一度学校からの訪問予定があったけど、その前に5/14(木)39県で緊急事態宣言解除。北海道、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、京都が対象外。
5/15(金)、5/18(月)から兵庫県立学校で「登校可能日」を設置する事に。登校できるけど、しなくても欠席扱いにはしないという処置で。5/16(土)0時から兵庫県の休業要請を一部解除する事になった。
5/21(木)、大阪、兵庫、京都の緊急事態宣言を政府が解除。政府が解除と書いたのは、政府は始め、「緊急事態宣言は要請だから、どうするかは各都道府県が決めたらいい」みたいな事を言ってたのに結局政府が解除したから。
5/22(金)、市から市立学校園の6/1(月)からの再開について連絡がある。

それによると、こういう予定だった。
6/1~12(1~2週目): クラスを2グループに分け隔日登校
6/15~19(3週目): クラスを2グループに分け午前・午後の2部制で登校
6/22~26(4週目): 午前のみで通常登校
6/29~(5週目): 通常登校
給食は6/12から午前登校の生徒ののみ実施、6/22から完全実施となった。
夏休みは8/1~17の予定だ。

今は通常登校となっているけど、「新しい生活様式」としてもたらされた習慣もある。
毎日検温して、健康チェックカードに記入する事だ。
でも、学校が遠いので集団登校、低学年は集団下校もある。

これが、ざっとこの5ヵ月の怒涛のような変化だ。

次に、コロナ禍がもたらした環境の変化を我が家の様子と心境の変化について書いていく。