kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

静かな時間

2018年06月30日 23時12分01秒 | 生活団からの気付き
子どもを寝かし付けるのに、一緒に床に就いて、その後起きて来た。

ふと思った。

私に、静かな時間ってあるだろうか。


生活団では、お昼ご飯の前、指導者がピアノを弾いて一旦静かな時間を持つ。

昼食後お昼寝をするのも、本当に寝入らないにしても、一度「静かな時間を持ちましょう」と言う。


私に、静かな時間ってあるだろうか。

朝起きたら、iPadでfacebookを見たり、ブログがどれだけ読まれてるか確認する。
facebookは、一日の内に何度も確認してしまう。
ちょっと暇な時。何か調べるついでに。もう無意識に。

それって、常に人からの目線を気にしてる。
どのくらい自分は人気があるか。

前は、何か面白い事ないかな、という目線だった。

さあやがもっと赤ちゃんの時は、元々は長時間出歩けないし、人に会う事ができないので、社会との接点の1つという感じだった。
その時は、人の評価とか気にしてなかったから、別にやってて苦痛じゃなかったし、こんな中毒的じゃなかった。でも、最近中毒的だなと自分でも思う。
それも、他の人にイイネが多いのが気になり出してからだ。比較してしまうと、あの人の方がイイネが多い。何で私は少ない。とそういう思考になる。
最初は、ちょっと自分が思った事、日常を誰かと共有したい、つぶやいて反応がほしいってくらいだったのに。


話が細かくなり過ぎたけど、要は静かな時間があるのかってこと。

facebookやブログをチェックしてるのは、そこに人がいなくても、常に人の目線を気にしたり、他の人の暮らしを目に入れる事になる。それって、実はすっごい忙しい。

自分だけの生活を見つめる時間。

今ここにある生活だけに自分がいる時間。

それがあれば、今やろうとしてる事ももっと進むし、もっと自分を生きられる。


今日、晩ご飯の後、さあやと「だわへし」をした。
「だわへし」というのは、「出して、分けて、減らして、しまう」という友の会・井田典子さんの整理・収納の方法。

限られた時間だから、ヘアゴムとトロファストの一段目の文房具だけだけど。
それでも、すっきりした。
何か少しでも進んだという感じがする。
さあやも、引き出しが簡単に閉まると言った。それに気付いてくれた。

その時は、私とさあやは静かな時間を持っていたのだ。

こういうところから始められる。自分の時間。静かに自分に向き合う時間。


破れバケツのその後

2018年06月30日 23時09分31秒 | さあや 生活団
生活団から戻った日は、お片付け頑張って破れバケツ出なかったのに、昨日の夜は、2階に持って行くように言って階段に置いてたさあや手作りのおもちゃのお片づけ箱がずっと寝るまであった。

さらとさあやがお父さんと入ってたお風呂からあがると、階段の所に、初めて破れバケツが登場。

私が歯を磨いてると、さあやがにこにこ笑いながら、破れバケツの札を持って現れた。
「お母さん、破れバケツ来たー」と笑ってる。
でも、笑ってるのは、気持ちをごまかす・紛らわすためじゃないかと思う。

先生も言ってたけど、子ども達は平気と言いつつ、神妙な顔をしたり、もう1回出てほしいと言いつつ笑ったりしてたけど、顔は両方の気持ちがある感じと言っていた。
さあやもそんな感じじゃないかな。

さらは、「さあや、破れバケツってこれなん?これ、ただの紙やん」と笑った。
さらも前日の晩は怖がったのに、紙の破れバケツを見たら、何やこれというような反応。

でも、さらは本物の破れバケツを見てないからと私が言った。
さあやは生活団で、紙じゃなく本当のバケツに顔が描いてるのも見たって言ってたでと言う。

そうしたら、さら、この紙がどこから来たかも不思議に思い、怖がり始めた。
さあやは「生活団の先生が持って来たんちゃう」と言うけど、玄関も窓も閉まってる。
さらとさあやは、時に笑いながら、怖がり始めた。

怖がって、片付けるどころじゃなく、さあやは「お母さん、一緒に上(に片付けに)来て」と言う。
仕方ないので、一緒に上に箱を置きに行った。

一緒に床に就き、さらに「どこから入ったんやろうな」と言ってると、さらが「怖いからその話やめて」と言う。
さあやにも「どこから入ったんやろうな」と言うと、「こわいからそのはなしやめて」。

かわいい。
こんな純粋だなんて。

歳が上がるにつれて生意気な所も出て来るけど、こんな幼いとこもあると思うと、愛おしくなる。


そして、今日は朝、私も土曜という事でだらだらしてたのもあるけど、さあや、パジャマが出しっぱなしだった。

いつもだと(言われての時もあるけど)自分で畳んで、パジャマ入れに戻してるのに。
お姉ちゃんと先に遊び出して、パジャマがずっと置きっぱなしだった。

そして、また破れバケツが現れた。


さあや、パジャマを握り締める。



この後、ソファでこの状態で座ってた。
用事してたら、さらが「さあや泣いてるん?」と言っていた。
見に行ったら、さあや、目にじわっと涙が出そうになってた。

かわいい。
愛おしい~。

さあや、つらいね。

その後、片付けてた。

破れバケツは、お姉ちゃんが励み表にぶら下げてた。
昨日も、お姉ちゃん、破れバケツここに貼るん?と言ってた。
そんな「破れバケツ、ゲットー」みたいな。



さあやちゃん、つらいけど、愛おしくなる。

その後、今日はこの後は出ませんでした。


さら、シロツメクサ摘み

2018年06月29日 22時28分55秒 | 子供たちのお友達との遊び
今日から小学校は懇談で、さら、学校から帰って来て、お友達のAりんと遊びたいと言う。
Aちゃんがさあやちゃんも一緒にって言ってくれてたらしく、最初さら、さあやも連れてってくれる予定だったけど、さあやとケンカして、もう一緒に行かないって言ってた。落ち着いたら、さあやも一緒に連れてってくれたけど。

子ども2人でそれぞれの自転車で行ったけど、14時半から17時まで放置は長すぎる。
私も薬局に行かなあかんかったし、一度さら達が行ってるであろう場所を見に行ってみる。
そしたら、聞いてた場所にはいない。近くの公園にもいない。
と、さらとさあやの自転車を見つけた。でもその近くにいない。
自転車でもっと行くと、さらとさあや、Aちゃんで、シロツメクサを摘んでいた。
木陰で。

あたりは一面シロツメクサ。
天国みたいなお花畑。

そこで花を摘んでる姿が、なんかとても女の子らしくって、とても愛おしく思えた。

最近は、自然で遊ぶ子は減った。
ここらへんの子も、毎日何かの習い事とか。
習い事がなくても、さらみたいに学校行って帰って来るだけで、すごい時間かかるし、疲れるから他の事できないという場合もある。

それが、懇談で早帰りなら、こんなかわいらしい遊び方するんだなって思った。
この姿が、愛おしい。


ヤブレ ヤブレ ヤーブレ

2018年06月28日 23時30分11秒 | さあや 生活団
生活団で、破れバケツの話を聞いて来たさあや。

生活団を出たらすぐに「やぶれバケツがうちにくるかもしれへん」と言う。

片付けをせず置きっぱなしだったり、散らかってたりするとやぶれバケツが来るという紙芝居を見て、それから実際やぶれバケツを見たと言う。それにはひもが付いてたと。
子ども達がトイレのスリッパを揃えてなかったら、やぶれバケツの看板があったと言う。

破れバケツ出て来て、「楽しかった」とも言ってたけど、やっぱり怖かったみたいで、帰り道微妙な表情をしていた。

駅から自転車での帰り道、自転車の後ろで「帰ったら、お姉ちゃんに言わないと、お父さんにも言わないと、じいじ・ばあばと○○(名字)のじいじ(つまり父方の祖母)にも言わないと」と言う。
皆にこの事を言っておかないと、破れバケツが来るという事みたい。

帰ったら片付けると言うので、「じゃ、石鹸で手洗ってから片付け」と言う。
生活団の帰りはいつも眠そうでこっくりこっくりしてるのに、自転車の後ろ座席から私の背中に頭を当ててた時はあったものの、帰るとすぐに手を洗いに行き、お姉ちゃんと留守を見に来てくれてたばあばに「破れバケツが来るかもしれへん」と言って、片付け始めた。

さらは、その話は直接聞いた訳じゃないし、相手にしないと思ったら、「さらちゃんも、H先生(幼稚園年長の時の担任の先生)から聞いた事ある気がする」と言い出し、一緒に片付け始めた。
よく動いて、あっと言う間に、リビングの机の上は平面が現れた。



机に何もないと、子どもは乗りたくなるのね。
そう言えば、前机に何もない時、さあや、よく乗ってたな。
(そして、それを怒らない私を、心屋マスター同期のあさやんにはカルチャーショックだったみたい。)



この表情。
片付けたけど、破れバケツが怖いみたい。


今、井田典子さんの本読んでるけど、そこに書いてあった。
「一日に何回も平面を見ると気持ちいい」
それがよく分かる。
平面を見ると気持ちいい。
そして、この家に引っ越してから、机の平面を見たの何回目だろう。
それほど、平面が出てたのが少ない。

残ったのを見たら、私の物ばかり。
ソファに置きっぱなしのショルダーバッグ。
キッチンカウンターの上はいつも書類が溜まって行く。
普段、片付けて!と言いつつ、子どもは親の背中を見てると思わされた瞬間でした。

お母さんも床に置いてたら破れバケツが来ると言われないように、私も片付けないと。

さあや、「♪ ヤブレ ヤブレ ヤーブレ」と歌歌ってる時もあった。
でも、歌を歌うって、怖さを紛らわすために歌ってるのかもしれない。


さらとさあやが必死に片付ける純粋さに私も心を動かされてしまう。

それにしても、私が井田さんの本を読んだら整理しようと思ってたのに、その前に子どもが動いた。

「人が動いたら」でなく、「自分が動けば、世界は変わる」と言うのに、私は「子どもが動いたら、私が変わる」やな。


あーーー、それにしても、生活団の生活をしてると、子育てが楽しい!
子どもがこんなに変わるんだ、とか。
その純粋さに心を動かされて、自分も影響されるのが、面白い!



さら 学校嫌い問題 と 生きた勉強が好きなさら

2018年06月25日 23時47分09秒 | さら 小学校
2年生になってしばらくして、さらが言ってた。

「学校行きたくない」
「前の先生がいい」


時々、学校でお腹痛かったとか、吐きそうになったとかも言う。
最初は、何か体調が悪かったり、何か変な匂いがしてそうなったのかとも思ったけど、精神的な事も関係してるのかな。

心屋では、子どもの不登校で来てる人もいたし、私は自分自身が何でも我慢する方だったから、我慢して溜め込んで出せないよりはいいと思うし、最悪不登校になっても仕方ないとは思うけど、不登校ウェルカムとまではいかないから、やっぱりそれはない方がいいと思ってしまう。
それで、忙しいと、表面的に聞いて、学校行きたくないんやったら行かんでいいで!とやけになって言い放ってしまった事もある。
そんな言い方をしたら、子どもは取り付く島がない感じになって、「行くー」って言う。
でも、それって子どもの気持ちに向き合ってない。

前に、心の余裕がある時に、「学校、何で嫌なん?」と聞いたら、こういう事を言ってた事もあった。
「ちゃんとまっすぐ座ってって言われるから」
「しんどいけど、先生のために座ってあげてる」

先生が「○○して」というと、先生のためにしてほしいと言われてるみたいで勘違いする。
先生も、表現が表面的になってしまっていて、本来の意味とかが伝わってない気がする。

大人って、自分達が失敗したり、経験上良かった事を、こうした方がいいとルール化して子どもに伝える。
けど、それは、子どもが自分からしたいと思ったタイミングの声かけやアドバイスでない限り、おせっかい、押し付けとしか感じ取られない。


GW前後に、クラスの男子が、家族で旅行行くのに10日間ほど休んだらしく、その事をうらやましがっていた。
クラスの子も「ずるい」って言ってたって。

その前からも、さらは時々「用事ある時は休んでいいねんで」と言っていた。

お父さんが月曜代休の時とかに、休みたいと言った時もある。
6/18もそんな日だったけど、その日は大阪北部地震が起こって、結局学校に引き取りに行く事になったけど。
そういう休みは嫌みたいだけど。

その時は、お父さんが休みというだけで休むのはダメと言った。
9月にスーザンが来るし、その時また休もうと思ってるから、今はダメと言った。
あと、最近は授業に付いていけてないみたいだし。

でも、同時に、さらに「皆学校は行くものだから、休んでは行けないもの。皆と合わせるべき」という観念を刷り込ませたくないと思う。
用事がある時も、自分の意思では休めないものと思わせたくない。
それほど、自分を殺してまで、集団に合わせるのが普通と思わせたくない。


さら、たまに見てたら、漢字の書き順無茶苦茶やし、文章問題の計算問題は思い込みで、数と数を足したり引いたりするし、繰り上がり、繰り下がりになると分からなくなったり、時計を読むのがあやふやだったり。
いつも教えてあげれてないけど、たまに教えてたら、「何で分からへんの」とイライラしてしまう。
「あほなんかなー」と思ってしまう事もある。

でも、家でゆっくり教えてあげたら理解できる。
これは、人数多いとこで、皆塾とかに行って分かってて当然ってペースで進められるから分からんのじゃないだろうか。


この前、学校から帰って来たら、こんな事を聞いて来た。
「雨って神様のおしっこなん?」
「雨って何で降るん?」

友達に「雨って神様のおしっこやねんで」と聞かされて、そこから疑問に思ったみたい。
さら、興味ある事だと、こういう疑問を持つんだ。

生きた勉強なら興味あるんだ。
生きた勉強をさせてあげたい。


この件は、ほったらかしにせず、水に関する科学館とか下水処理場とかの見学に連れてってあげたい。


今度、スーザン来る時、スーザン自身が、学校の1日の生活を体験できないかと言ってくれた。
こちらからも、本の読み聞かせとかしてくれないか提案しようと思ってたところ、スーザンから言ってくれたからうれしい!
学校さえOKなら、アメリカの文化を学ぶ異文化体験とかもいいなと思う。

どうしたら、さらに生きた勉強をさせてあげれるかなと思う。


計算が苦手なのも、休みの日に家の前でお店屋さんとかして、生きた計算をできないかなあと考えてる。


私はそんな事なかったのに、さらは
勉強嫌い
頭悪いんかなーと思ってた。

でも、そうじゃない。

としも生活に関する事知識、知恵ある。
私は、机上の勉強はできるけど、生活の知恵はあんまりない。

さらは、自分が興味ある事には突進する。
そこはお父さんと似てる。
図書館で借りて来た科学の疑問の本を読んで、寝る前に書き写してた。



「お母さんのおっぱいはどうして大きいの?」



もう寝る時間だから終わりにしてってリビングの電気消したら、まだ明かり点いてた洗面所まで行ってノート書いてた。

それで読んだのか、「学校にはなぜ行かないといけないのか?」って書いてたって話をする。
親には聞いて来た事ないけど、自分の中で疑問があったんやろうな。
本では、「社会で生きて行くため」みたいな事が書いてたって言ってた気がする。
そして、それで何となく納得したっぽい。

後で見てみたら、こんなページだった。



さら、自分で答えを見つけようとしてる。

親の私にできる事は何だろう?


少なくても、自分自身の人生を楽しんでないと、さらは将来に希望を持たないだろうな。