kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

子どもの存在 ー 弱さでお母さんを守る

2020年10月31日 21時45分18秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
私は、子どもが生まれる前は何でもめんどくさがりだった。
独身時代、そう言えばお茶とかも「お茶」と言って、持って来てもらうのが普通だった。
子どもが生まれる前、まだ小さな姪が家に来てた時は、かいがいしくお茶とかを運んであげてた。その姿を見て、母が子どものためにだったらするんだなと驚いてたほど。

独身時代はとにかく仕事に疲れてた。
仕事から帰ったら、座ってたら食事は出て来るし、食べ終わったらお腹一杯で動けない。

社会に出てからは、自分のことを大切にできない人だったと思う。
責任を重視して、他者を優先してて。
自分いじめとも言う。

「自分はいいねん」って考え。

子どもを授かって、お腹に赤ちゃんがいると自分を大切にせざるを得ない。
子どもは、自分を大切にできない私を、子どもを大切にすることによって、自分を大切にすることを教えるために生まれて来たんだと思う。 

めんどくさがりの私でも、子どもの食事は欠かせるわけがない。
料理は手際良くないから、離乳食でも人参が気に入ったら、人参をレンジでチンしたのばっかり食べさせて、人参1kg買おうかなとした私に、母は「家畜じゃないんだから」と言ったほど。育児は雑ではある。でも、愛情はある。

子どもが小さい時は、一緒に寝ないと寝ない子だった。2人とも。
昼寝で、私が寝るフリして、早く寝てくれーと思っても、寝てくれオーラは伝わるらしく、なかなか寝ない。スーパーのカートで眠りこける子どもが羨ましかった。

夜も同じで、早く寝かせて家事をせねばと思っても、その殺気立った空気は読まれてしまう。

仕事を辞めてからでも、子どもが寝たら私の時間、私がしたい事をしよう。と思っても、第2子も同じタイプ。
諦めて一緒に寝る事にしたら、寝てくれる。

独身時代は、「今日できる事を明日に延ばさない」というのが善い事だと思ってたけど、子どもができてからは「明日できる事は明日する」が正しい事に変わった。

「とにかく、子どものことを第一優先にしてあげ」
私よりだいぶ先にママになった大学時代の友達がそんな事言ってたな。

子どものために、三度の食事をきちんと、生活リズムを整えて、睡眠は十分取って、子ども優先で。

今年は突然のコロナ休校で、子ども2人との食事が増え、昼ご飯も作らないといけなくなったけど、(その前からさあやは生活団の集合日以外は一緒だったけど)子どもがいたらちゃんと作る。
コロナ休校終わって、子どもが平常リズムに戻って、私1人だと昼ご飯が適当。前の日の晩御飯が残ってる日はまだいいけど、何もなかったら、ご飯とカップスープとか、ラーメンとか。

子どもにちゃんとした食事を作らないと、早めに食べさせないと、としてたのは、実は自分のためにもなってたってことだ。自分の健康状態を保つにも、子どもがいての食事って大事。

昨日は、姉妹2人がキッズスクエアで遊んで、しかも今までで一番遅い、閉まる17時までいると言う。16時45分に学校を出たらしいけど、帰って来たら17時15分。そうすると、私、夢中になってやってた事があって、キリがいいとこまでやったら17時半になった。
そうだった、私はこういう人間だった。
やり出して、夢中になると、途中で止めたくない人。キリがいい所までやらないと気が済まない。
でも、そうして後から遅くなったり、寝る時間削ったりで、後悔する事も。

昨日も、あーこんな時間、晩御飯用意できてないと思ったけど、昨日はたまたま週始めに作った野菜ポタージュが冷凍してあったし、前日に切って塩揉みしてたキャベツがあって、午前中に鍋帽子に入れてた大豆もあり、ご飯は十分あった。なので、スタートが遅くても何とかすぐに晩御飯できた。こんな工夫も子どもがいるからこそしようと思うようになった。
そして、納得するまでするより、案外終了時刻を決めたら、中途半端でもそれを守る方が、長期的には長続きするのだ。

私にとっては、夜早く寝るのも、時間にケリをつけるのも、「子どものため」と思ってしてたけど、そうでもしないと早く寝たら損と考えたり、延々と自分の納得いくまで時間を使う私は、体を壊してしまうだろう。

制限がある事は足かせでなく、制限のある中でする事が自分を守っている。

赤ちゃんや子どもは弱い。
弱いから自分を守らせる事で、本当はお母さんを守ってるんじゃないか。

だとしたら、神様は何てすごい仕組みを作ったんだろうと思う。
子どもは親に育ててもらう、でもそのことで親を守っている。

(一部10/5FB投稿)
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子どもの存在 ー 子どもは足かせ?

2020年10月31日 21時23分48秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
子どもの存在

子どもが生まれて、世の中にこんなにかわいい生き物がいるなんて~と思った。
世の中の子どもいる人、こんないい事してたんか!と思った。

私は、子ども生まれて1年しないうちに、子どもは保育園に預けて、独身時代からの仕事に復帰した。
Facebookで流れて来る、いつでも子どもと一緒にいれるお母さんが羨ましかった。でも、素直じゃない私は羨ましいなんて思わずに、疎ましいぐらいだった。子どもが「ずるいー」っていう感覚ね。

子どもといつも一緒にいれて、「幸せー!」って思ってると思ってた。
だから、こんな言葉を聞いた時、衝撃だった。
「子どもといたら息が詰まる」

え?
そんな感覚があるんだというのが正直な気持ちだった。

子どもの誕生日だって、お祝いの準備する時間が十分あって、いっつも子どもと一緒にいられて、いいやーんと思ってた。

私は育休は1年で、終了は子どもが1歳になる前日まで。
だから、子どもの1歳の誕生日が仕事復帰の日。
1人目の時は、それが寂しすぎて、有給取った。
だって、子どもが生まれた時間に一緒にいて、生まれた時間に「誕生日おめでとう」って言いたいやん。
2人目の時、そうしようと思ったら、「子どもが誕生日だからって有給取ったらあかんぞ」と社長に言われた。
ムカつくわーと思いつつ、めっちゃ嫌々会社に行って、途中で子どもが体調悪かったらからか何か言って早退して来た。
時間がないから、思うように誕生日の準備ができんと思ったから、じいじばあばに、風船膨らましててとか、色々頼んどいて、何とか一升餅や選び取りの儀式もやった。

子どもといる事は一番大事だった。

保育園のママはみんな、すっごい笑顔で子どもと接してた。
子どもといれない時間が多いからこそ、子どもといる時は貴重だったからかもしれない。

だから、子どもといる事がしんどいというような発言は衝撃の体験だった。
私にはない感覚、正直贅沢と思ってたけど、第2子出産後、赤ちゃん先生をやったりしてるうちに、専業主婦の間では、特にそう考える人が少数派ではない事を知った。
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今の生活が未来永劫続くってわけじゃないと気付かされた話

2020年10月27日 23時59分05秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
【今ある当たり前が、当たり前じゃないって気付かされた話】

所属してる団体の関係で、年齢層が高い女性とお話することが多いです。

「来年は家計簿を付けないと決めた。空白が多いのを見てると寂しい」
「料理を作っても食べる人がいないと張り合いがない」

そういうのを聞くと、「どんどんお金出て行くなー」
「作り置きしても、2回でなくなるやん」
「料理するのめんどくさいー」「さっき料理したのに、また料理する時間か」っていうのも、贅沢な悩みなのかもしれません。

料理や家事を効率良くしたいと思うところだけど、できるようになる頃には、そんな必要がなくなるくらい、時間がたっぷりできるんだろうな。

そう思うと、一見寂しいような話でも、聞いてると自分の今への向き合い方の重みが変わるような気がします。

今読んでる本に、日常で目標を立てるってところに「家族で揃って食事をする」というのを例で挙げてるところがあったんですよ。

平日、旦那さんは別だけど、少なくても娘2人とは一緒。
気持ちとしては、早くご飯作って、早くお風呂入って、早く寝させなー、みたいな事が先行するけど、一緒に食べれてるこの時間って今では当たり前だけど、貴重な時間。
これが、中高大学生になったら、また違うんだろうし。
だいたい私は子どもがいなかったら、ご飯がめっちゃ適当になる。自分の健康状態を保つにも、子どもがいての食事って大事。

(10/27FB、お母さん大学投稿)
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日本古来のものと本来の豊かさ

2020年10月26日 20時16分26秒 | ものごとの本質
生活団の託児の時、他のお母さんが使ってるのを見て、さらがほしがってたわっぱ弁当箱。
ついに今年の誕生日にプレゼントであげることに。

誕生日はコロナ休校中。
一度だけお弁当箱にお弁当詰めて、お庭ランチした事はあった。
学校が再開しても遠足とか行事はなくなって、弁当を持って行く機会はなかった。

4年生である予定だった宿泊学習がなくなり、今日自然体験学習を日帰りで行く事に。
久しぶりにわっぱ弁当箱を使う機会。

前回使った時、卵焼きの油でシミがついてしまったから、わっぱ弁当は油使った物は入れたらあかんのかな、昔の人は油なんかないから、煮物とかばっかりだっただろうから、煮物だけにした方がいいんかなと思ってた。そこでどういうおかずならわっぱ弁当に向くのか調べてみた。

そしたら、普通のおかず入れてるわ。
ワックスペーパーと言って紙にワックスを塗ってる物か、グラシン紙と言ってどろどろに溶かした紙をプレスした物を敷いたらいいみたい。
クッキングペーパーはグラシン紙にさらに樹脂をコーティングした物らしいから、よりコストがかかってる物を使うのももったいない。

旦那さんが買い物に行ってくれたけど、ワックスペーパーはなく、代わりに油を通さない紙の入れ物を買って来てくれた。
あと食べ物を入れる時のポイントとして、最初にぬるま湯でさっと濡らしてから乾いた布で拭いてから少し乾かして入れる、食べ物は十分冷ましてから入れる、上部分にもワックスペーパーをかぶせる。

それらをするとなったらね、当然早めに取り掛からないとだめなわけです。
いつもみたいに、食べ物を直接入れるとか、容器に入れてもそこからこぼれそうなくらいスペースができてしまったりとか、結構出来立ての熱いやつをさっと冷ましただけで入れるとか、そういう事をしたら、油ジミができてしまうわけですよ。

せっかくやっと買った大切なわっぱ弁当。
良い物を長く大切に使おうと思ったら、ドタバタで用意はできない。
1品は昆布豆がちょうど作り置きであったし、豆はバラバラにならないように爪楊枝に刺す、追加で作る物も、これは茹でる、これはその上で蒸す、魚は焼くと前日から段取りを書いておいた。ご飯も最初に入れて冷ます時間も取る。

(わっぱ弁当箱に入れるだけで、美しい。)

そうすると、予定を立てた生活をすると、心にゆとりが生まれる。
物を大切に使うって、人の行動や考え方まで変えてしまう。

昔から日本にある物って、そういう物が多い。
着物だって、ドタバタでは着れない。
着物をきれいに着ようと思えば、1つ1つの着付けが大事。
きれいさを保とうと思えば、所作も自然と丁寧になる。

良い物を持つというのは、そういう精神も自然と育む。

今の日本は、安物が横行して、安いと多くを持てるけど、それが豊かとは限らない。むしろ、多くの物が溢れかえって制御不可能となっている。
日本は戦争に負けて、アメリカのしてる事を豊かだの勝ち組だの思って、真似をして来たが、日本古来からある良さまで忘れ去ってしまってはいないだろうか。

よく選んだ良い物は少しで事足りる。
そして、良い物だからこそ、丁寧に扱おうとすれば、心の余裕を持つ必要があったり、所作が丁寧になったりする。
そのことで得られる豊かさを日本人はどこかに置き忘れて来てしまってるのではないか。

さらが曲げわっぱを使いたがった事で、そんな事に気付かされた。
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子どもを生み育てるのに勝る感動はない。

2020年10月09日 11時14分57秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
今は仕事してないし、それに対して負い目がある。

もしいけることなら、子どももう1人欲しかったとも思う。

年齢的にぎりぎりかな、と自分の産後経過を見るとあまり考えられない。

もう起業の方に舵を切った方がいいのかなと思う。
世の中ではそちらの方がちやほやされる。

けど、

子どもを生み育てるのに勝る感動はない。

そう思う。

今は、お金に価値を置かれた社会だけど、この世を去る時、宝物としてあの世に持って行けるものは何だろう。
魂に刻まれるものは何だろう。

そう考えると、こういう言葉が頭に思い浮かんだ。
やっぱり、子どもがいる生活はいい。

(オープンなところでこう書くと、「じゃ、子どもを生んでない人はダメなのか」という話に発展するから書きにくい。あくまで私の人生の話なのに。)
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