kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

「腐るお金」という概念

2020年03月14日 22時00分00秒 | 共感できる事
お金って時間と共に価値が減って行くと感じにくいよねぇ。
この仕組み、なかなか。
いつの間にかお金至上主義、お金崇拝主義の世の中になってると、お金を使うのがもったいないと感じてしまうけど、この仕組みだとフレッシュなうちに使わなーと思いそう。

「実際にこのお金が発行されてからというもの、この街では、庭に木を植えたり、畑などをつくったりする人が増えたといいます。」
↑ 
分かる気がする。

家を買う時に植栽は手入れが面倒だから一切要らないと思ってた私が、最近はコロナ休みで時間があり過ぎて、花でも植えたいなという気になって来てる。(慣れてないから、腰を上げるまでには時間かかりそうですが。)

参考記事:ドイツの『時間と共に価値が減っていくお金』の流通現場からー腐るお金1 (HONTOUNIKACHINOARUMONOWA.COM)

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赤ちゃんを泣かせたままにするのは良いことか

2019年12月19日 22時00分00秒 | 共感できる事
赤ちゃんを別室で泣かせっぱなしで良しとする考えもあるけど、私は違和感あり。こういう風に説明されるとしっくりくる。
私も助け求めるの苦手だから、踏ん張ってしまう方だけど。


せつ
抱っこの練習会・交流会を主催しています (2005–現在)執筆者は204件の回答を行い、38.7万回閲覧されています

とても気になる質問でした。

「いつも世話をしたりなだめてくれる人がいて当然と、子どもが思わないようにしたい」

これを言い換えると「いつも世話をしたりなだめてくれる人がいなくて当然と、子どもに思わせたい」ということになります。

そしてこれはおそらく、「SOSを発信しても、誰も助けてくれる人がいなくて当然」と、あなた自身が、思っているから ではないですか?

今まで自分は助けてもらえなかったから、
今、助けてくれる人がいないから、
あるいは、「助けてほしい」と、言ったことがないから。
ではないですか?

この質問からは、泣かせっぱなしには本当はしたくない、でももう耐えられない、助けてくれる人もいない、このまま、同じ部屋にいたら、子どもを虐待してしまうかもしれない、といった、追い詰められ、切羽詰まった悲鳴が聞こえてくるようです。

赤ちゃんが泣き続けるのは、本当につらいです。
なんとか泣きやませようと、おっぱいをあげたり、オムツを調べたり、抱っこをしたり、一生懸命いろいろやってみるけど、泣きやまない、寝てくれない、
自分も全然寝させてもらえない、夜通し抱っこしたままウロウロと歩き回り、腕も肩も、腰も痛む・・・・それでも子どもはまだ泣いている・・・・
もういい加減にして!!泣きたいのはこっちだ!!と、子どもを壁に向かって投げつけたい衝動にかられたことが、私にもありました。

でも・・・・・赤ちゃんは、親を困らせたくて泣いているわけではありません。
何か困ったことがあって、でも自分ではどうにもできないから、訴えているんです。何かを伝えたいけど、まだ言葉が話せないから、「泣く」という表現しかできないんです。
一生懸命、がんばって伝えたのに、来てくれない、何もしてくれない・・・が積み重なれば、赤ちゃんは、そのうち、あきらめるかもしれません。

大成功!
あなたは子どもに「あきらめること」を教えました。
不信を教えました。

「助けて」と言っても無駄だ、誰も助けてなんかくれないよ!ということを教えました。
こんなふうに「あきらめ」を学んでしまった子が、将来、例えば、学校でいじめられた時や、何か悩みを抱えた時、親に、あるいは周りの誰かに「助けて」が言えるでしょうか?

もしかすると・・・・・質問者さんも、そういう子どもだったのかもしれませんね。

(追記)親が愛情いっぱいに育てても、いつしか、そういう感覚を身につけてしまうことは多いと思います。

それは、今の社会が、そういう空気だから…。自己責任、勝ち組、負け組、マウント、などなど。

でもだからこそ、せめて親だけは……と思うのです。(追記終わり)

昨年書かれた質問なので、今どうされているか、とても心配ですが、同じ悩みを抱えている方は、たくさんたくさんおられると思います。
「あきらめ」という呪いを解いて、どうか、周囲の人に「助けて」「もう自分は限界なんだ」と伝えてください。

子どもの大半が、周囲には理由もわからず、予兆もなく、「突然死ぬ」。
これについて奥田さんは、「助けてが言えない」ことを指摘する。それはなぜか。「大人が『助けて』を言わないからです」

元ホームレスで作る『生笑一座』の語りから見えたこと01 -「助けて」が言えない社会|矢嶋 桃子|note
東大の小児科医でご自身も脳性麻痺に罹患している熊谷晋一郎先生の言葉でもう一つ忘れられないものがあります。
それは「自立とは依存先を増やすことだ」という言葉です。
それを熊谷さんから聞いた時に、ハッとしたんですね。
僕ら自身も依存症の治療をやっていますが、治るということは依存しないことだとつい思ってしまいがちです。

でも、そうじゃなくて、たくさんの人に依存させることが一番いいと僕は思っているんです。この言葉を聞いたときに、そうなんだよな、そうだった、そうだったと思って。
歯を食いしばって、誰にも泣き言を言わずに一人で頑張ることが自立ではない。そんな人は脆くてすぐにポキッと折れちゃうんです。
できるだけサポーターをたくさん作ることこそが本当の自立なんです。
そして、最大の自傷行為は何かというと、「助けを求めないこと」なんです。

自立とは依存しないことではなく、依存先を増やすことだ | 文春オンライン
助産師さんや保健師さんに相談したり、地域の子育てサークルに行ってみるのも良いかもしれません。
自分だけで抱え込んだり、幸せそうなインスタ写真で取り繕わないで、どうか、今の状況を誰かに伝えてみてくださいね。

誰かに愚痴って気持ちを吐き出すだけでも、きっと心が軽くなりますから。
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若杉ばあちゃん・2005年のインタビュー記事

2019年05月21日 22時00分01秒 | 共感できる事
斉藤 一治 (Facebook)
2019年5月21日 

【若杉ばあちゃん・2005年のインタビュー記事】より、引用させていただきます。

『こんな子宮で幸せになれる?』

《若杉さんから見て、今の日本の女性はどう見えますか? 》

●若杉:子宮がもうガタガタよ。
命のない死んだ食べ物ばかり食べて、
子宮という生命の土台が冷えて緩みきってる。

それで結婚だ出産だ子育てだって、
何やったってうまく行くはずがないの。
不感症になっているから、
結婚生活も味気ないものになってすぐ別れる。

セックスイコール結婚生活、
それに悦びがあれば夫婦は仲良くなるものなの。
夜の生活が穏やかに幸福で満たされていれば、別れる道理がない。

昔の女はね、オーガスムといって最高潮が2度も3度もあったのよ。
今の人たちないでしょう。

お産だって注射で促進したり、
切開しないと出せないほど弾力をなくしてる。
本来は子宮というのはもっと満ちたもので、
ぐっと上がってるものなの。

昔の女はパンツはかず腰巻きだけで、
おりものなんてそんなにおりるものじゃなかった。
あれは毒素がおりてきてるんだから。

食べものとおりものの関係を、
何人もの例でずっと調べたことがあってね。
やっぱり《肉や卵を食べるとドロッとなる。》
【日本はかつて、動物を食べることを禁じていた時代が千年も続いたのよ。】

特に女性は四つ足のものを食べると血が汚れるからと、決して食べることはなかった。

子宮は神のお宮なのよ。
だから参道(産道)があるでしょう。
生理は月に一度、そのお宮を浄めるためにあるの。

子を宿す神の宮をきれいにしておくために、経血が毒素を出してくれる。
お産は、排便と変わらぬ自然の生理。
なのに病気とばかりに騒ぎ、不妊だといって医者に大金を払い、いいカモやわ。

子宮に病名をつけてやたら難しくして、
それってばかにされてるようなものでしょう。
それより食べ物や生活をくい改めなさい。
子宮を救えるのは自分しかいないのよ。

昔よく『貧乏人の子沢山』といったけど、
どうしてかわかる? 
忙しいからおかず作るヒマもなく、
みそ汁に漬け物、それで子どもがぽこぽこできた。
働きながら田んぼで産んだり。
その子ども達が皆いい子で、乳もどんどん出て。

低蛋白、低栄養が一番っていうこと。
質素な暮らしが一番なのよ。
私には3人孫がいるけど、
娘のお産は本当に軽かったよ。

野草を食べていたので、
2人目のときは10回位イキんだだけで生まれちゃった。
3人目なんか3回イキんだ位。

《野草の生命力はすごい命のない食べものが、私たちの命を狂わせてしまうんですね。》

●若杉:無月経や無排卵が増えてるけど、
これは大変なことよ。
命を宿せないということ。
例えば無精卵を食べ続けていたら、
人間だってそうなる。

鶏だって無精卵は抱かないのよ。
有精卵なら本能で自然に抱くけど。
有精卵なら丸飲みにする蛇だって、
無精卵には見向きもしない。

『F1』の種だってそう。
一年中四季に関係なく育って便利だけど、
次世代に続く種を決してつけない死の種。
これは科学者達が経済のため研究して創り出したもの。

肥料漬けで育つ野菜。
有機肥料といったって、鶏糞なんて化学物質づけ。

病気にならないよう抗生物質をどんどん入れて、その糞が土を汚染してる。
今の家畜はほとんど内臓が癌に冒されてるのよ。
アメリカではレバーなどの内臓を食べるのは、毒の塊だから禁止になった。

癌の牛を食べれば癌になるし、
合成飼料や肉骨粉で共食いさせてるものを、
まだ平気で食べている日本人がいる。

牛も豚も人間の力で種付けさせられて、
自分の力でセックスして増殖してるわけじゃないでしょ。

だから人間も人工飼育になるし、
子どもが荒れてゆく。
自分のお乳で育てたいという本能もなくなってる女は、
家庭より仕事、子どもは保育所。

誕生のスタートに母乳をもらえず代用品のミルクで育った子は、
母性愛ももらえず、キレたり問題を起こすようになる。

母乳育児がどれだけ偉大なことか、そのことに目覚めなかったら社会も救われない。

牛乳を飲むのは自然だと思う? 
なんで大人が乳を飲む必要あるの? 
歯の生えた動物が乳なんか飲んでないでしょ。

家帰って、『ただいま!かあちゃん乳のましてくれ!』っていったら、
あんた何いってるのやめてちょーだいっておこられるやろ(笑)。

ましてや牛の乳よ。
どうしても飲みたいなら、冷蔵庫から牛乳とるかわりに、
牛舎へいって直接牛からおっぱいもらってちゅうちゅう飲みいな。
あんた飲めるか。
乳は空気に触れたらだめで、直接乳首から飲むものなのよ。

スーパーとかデパ地下のあれだけの食品の中に、本物の旬のものがある? 
ほんのひとにぎりもない。
人為的に加工された食品や野菜ばかり。
これでは人間がおかしくなってあたりまえや。

『不正』と書いて『歪み』。
不正なものを食べてれば、
体は歪みを起こすし、
体が歪めば精神も歪む。

世の中を見て、これだけの狂った犯罪や病気も、
食べ物のあらわれとして見る視点が必要。

『口で極楽、腹地獄』といって、
口ではうまいウマイと食べているものも、
いったん体に入ってどんなふうになるか、
感じとる繊細さと慎重さを持ち合わせていなかったら、大変なことになるよ。

町へでても、私はまず外食することがない。
米ひとつとっても、『F1』という死の洗礼をうけた米を使っていると思うと食べられない。だから出かけるときもおにぎり握っていったり、
水はポットに入れていったら金も使わんでいいしね。

『天地のチカラをどう受けとる』

部分だけをとらえてたらダメ。
『いただきます』といって心臓のところで手を合わせる、
その時に体の中で酵素がうごくのよ。

食べものはただの食べものにあらずで、
大地や水や火の力、そういう天地の力を凝縮してもった、その力を頂いているの。

渾然一帯とした、大宇宙と小宇宙としての人間のなかで、もっと大きな力が働いているの。

サプリメントに大根十本ぶんの栄養と書いてある。
大根十本食べられる? 
食べられないものをどうして飲むの?
宣伝に金をつぎ込んで、
化粧された包装や能書きなんかの見かけにいつまで踊らされてるの。
食べるのは天然自然のもの、いのちを頂く、
それだけなの。

米や野菜は必ず在来の種で育ったものを。
とりあえず健康になりたかったら野草を食べなさい。

それが早道だから。
そこらの草は水一滴やらなくたって天の恵みで生えてるでしょ。
天界からまっすぐきたものが、
ほんものの体をつくってくれるのよ。
そこから本当のものが見えてくるし、
世の中のことも見えてくる。

除草剤ぶっかけようという感覚もなくなる。
野草は人間が育てた野菜と違って、そこら 辺に地這いでいっぱいある。

精が強いからあまりがばがば食べちゃいけないの。
あくぬきをしてきちんとした食べ方で、
毎日ほんのひと箸でそれが薬になる。
『加薬』というのも、食べるものに添えるだけで薬ダヨってこと。

魚食べるときは大根おろしや柑橘類が毒消し、分解消化をちゃんとやってくれる。

私もここの暮らしで野草食べてたら、
毎年春と秋に必ず排毒があるようになった。
いい水と空気のお陰もあって。
いくらいいもの食べてても、毒素を出せないような体はだめよ。

おしっこやうんちが毎日でるように、
年に何回か排毒はあってしかるべきものなのよ。
今地球も排毒してるわね。

人間がアトピーだアレルギーだって排毒するように、地球も苦しんでる。
人間が地球の天敵になってしまったね。

《若杉さんのこの感性って、どうやって培われたものなんでしょうか。》

●若杉:若いときは貧乏が当たり前で、
だんだん豊かになってきたときに、
肉体と精神もそれに伴って変わっていく体験をしてる。

その辺に炒り豆が落ちてるのを拾って食べる生活だったのが、
そのうちここでもごちそう、どこでもごちそう。

このままでは自分がとんでもない方向、
欲の強い悪魔的な考え方に変身していきそうで、ブレーキをかけなきゃと思った。

それで、まずは近所の川の掃除を1年間続けた。
川が汚れて悲しくて私の魂が泣いてたからね。1人でダンプに何杯分もゴミを拾った。

次の1年間は、老人ホームのシーツ替えとお掃除にボランティアで通った。

おばあちゃんとおじいちゃん達に声をかけて歩き、手を握ったり髪なでたり話しかけると涙流してよろこぶの。

そこで色んな人間模様、人生の縮図を見せてもらった。
次は5年半、お年寄りの家に週2回お弁当を配って歩いた。
マクロビオティックの桜沢如一先生の本に出会ったのはその頃。

桜沢先生が、
『どうやってこんなすごいことを研究したのか』と外国で問われたときに、
『僕は研究してない。日本の祖先がつくった食文化を再発見して、
世界の人に知らせてるんだよ』って答えてる。

陰性な野菜を、塩や火を使って陽性化して食べる食養の知恵や、
促成ではない昔ながらの醸造でつくった調味料の大事さを私も伝えたくて、
静岡にお店をもって大繁盛してたの。

でもあっさりと店を たたみ、こうして山に入ったのが8年前。
ここの暮らしは最高よ。
水は天からのもらい水でタダ。
冷蔵庫なんて要らない、
土間の竈や七輪で料理して、薪で五右衛門風呂。

米も野菜も梅干しもみんな手作り。
冷え込む冬も、火鉢や豆炭のコタツで、窓を開けっ放しで外の雪を見るの。

春夏秋冬、天地の青春を楽しんで生きてるって感じよ。
明日死んでも悔いない。
すべてこの私が選んできた行動なのよ。

思いがあれば、誰でも成就できるのよ。
思いは岩をも貫いちゃう位だから、
必ず成就できるの。

あんたがまだ成就できてないということは、
自分の魂磨き、修行が足らんということ。
人生は苦労しないとな。
山あり谷あり、陰アリ陽あり、
一つひとつクリアしながら、自分を鍛えておかないと。

何かの時に弱くなっちゃうから。
すぐにあきらめたり。
昔の女は大和撫子といって、
掴んだら死んでも離さない強さがあったものよ。

『そぎ落として楽になる』

人生は心地よく、機嫌良く、生きてるのが一番。
だって楽しい所なんだものここは。
地球というのは実に楽しいところ。
とどのつまりは、機嫌よう生きて通れば一番いいわけで。
あれこれ色々やることない。

ただこの時代、あまりにも物事が曇っちゃって、魂が曇りすぎて、
闇のように色んなことが皆わからなくなっているものだから、
私は料理を通してお話ししてるだけ。

料理の先生といわれても困るのよ。
料理は私の人生のパフォーマンス。
それでお金を稼ごうとは思わない。
これは小さじ何杯とかカップ何杯とかじゃなくて、全部直感なのよ。

その日の疲れ具合で、塩加減だって 違ってくるんだから。
『この草は食べるとどこに効くんですか?』、そんなのアホか。
机の上でお勉強して何になるの。
『教育』はいらないのよ。

昔の子は教わらなくても親の後ろ姿で育った。自分が汗と水を流して体験して、余計なもの捨てて取り外していくことが悟りなのよ。

みんな自分に色んなものをくっつけようとしすぎ。
本物をやっていったらいいのよ。
真実真理だけを。
そぎ落としたぶん、楽になるから。

とらわれなくていい。
信仰したり、こだわらなくても。
こう生きねばとか、こうあらねばならぬとか、そんなものはない。
自分が歩きたい創造の世界を歩いてゆけばよいだけのこと。
私が孫たちに手渡したいのはその切符なの。

世の中は色んな幻想を創り出して、
働かなくては生きていけないという恐怖心を植え付けられてる。

ちっとくらいお金が仕事がなくて困ったなと思ったら、
ホームレス1年間くらい体験したらどう?。
やるなら楽しくやればいいの。

引け目を感じる乞食なんかじゃなくて、堂々と。
そうしたって充分生きていけるのよ。
たとえ世の中がひっくり返ろうが。

最低限の塩と米に野草食べて。
良寛さんだって寺も持ってなかったんだから。お釈迦様だってそこらの道ばたで説いてたの。

私も辻説法して歩きたいくらいよ。
【宗教にお金がかかるなんておかしい。
それならこの大宇宙に金払いなさいよ。】
お天道様が金くれっていう? 
何も請求しないやろ。
金もらうのは人間だけやないか。

人間が作った電気にはお金払うけど、
太陽の光から作ったものには払わない。
このおいしい水と空気。本当のものはタダなのよ。

『人の魂を喜ばせる人になれ』

みんな欲で生きてるから戦争が起きる時代なの。

食べる欲、着る欲、住むにも飾り立てて、
何か余計にないと不安がって。
これから生きていこう思ったら、
一つ一つ捨てていくのよ。

友だちもつまらんやつは自分から切って。
自分がどん底に落ちたときにすくいあげてくれる人が本当の親友なのよ。

夫婦だって、うちのめされたときに真意が分かる。
魂をきれいにしておきなさい。
人の魂を喜ばせてあげる人にならなあかん。
人とべたべたするんじゃなく、
遠くからでもつながりを大事に、
かわいがられる人に。
それが財産や。

人生は会うが別れのはじめ。
一瞬の、二度とこないこの時間。
それか命だとかわったら、
あらゆるこの世の万物が大事に思える。

部分部分じゃなくて、渾然一体万物が。
神さまは私たちに悦びしか与えてないのよ。
それがわかる? 

まずは誕生という最大の悦び。
生きてれば祝いごとが沢山。
七五三、成人、結婚の祝い、収穫祭、新嘗祭、種を蒔くお祭り‥。
そういう悦びにわくのがこの地球人類の営みなのよ。

いまはその祝いごとを忘れた時代。
野草だって春になれば天の恵みで、
人間が一滴の水も肥料も施さなくてもちゃんと出てくるじゃない。
それも悦びでしょ。

ありがたい悦びとして感謝しぬいて、死んだら自然に帰る。
土と溶け合って。

以上。

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「可愛がる」と「甘やかす」の違い

2019年05月21日 22時00分00秒 | 共感できる事
思わず涙する感動秘話 (Facebook)
2019年5月5日 

「可愛がる」と「甘やかす」の違い

子育てというのは親の犠牲の上に成り立っていくものです。
出産自体、母親の命を削っているんです。
出血もするし、傷もできる。中には亡くなるお母さんだっています。
赤ちゃんって、母親の命を犠牲にして生まれてくるんですね。

それから一年半も二年もお乳を出すこともお母さんの命を削っています。
体重はどんどん減っていきますし、夜中に授乳するのも大変です。
でも、そうやって自分の時間を犠牲にしないと子育てはできません。
それが子どもに伝わるから、いい子に育ってくれる。

ところが最近は、子どものために
自分の時間を犠牲にしたくないという若い親が増えています。
子どものために我慢したくないんですね。
夜遅く子どもを連れ回している親を見かけますが、
昔はそんなことはなかったと思います。
九時にはちゃんと子どもを寝かしつけていたんですよ。
子どもと一緒に少し寝てからまた起きて、
夜中に掃除したり洗濯したりするお母さんもいました。
いまはそういうお母さんが減っていますね。

 若いお母さん方は、「我慢しなくていいよ」、
「頑張らなくていいよ」、と育てられてきたのでしょう。
その人が親になったからといって、
急に「子どものために我慢しなくちゃ」
「頑張らなくちゃ」とはなりにくいです。
自分が甘やかされて大きくなってきたので、
子育てのために自分を犠牲にしようとはなかなか思わないのです。

「可愛がる」と「甘やかす」の違いは分かりにくいですよね。
私が母親学級でお母さんたちに言うのは、
「してやりすぎると、すべてしてもらうことが
当たり前の子どもが育っていきますよ」ということなんです。
してやることだけが親の務めではない。
大人になったら我慢することや
頑張らなければならないことがたくさんありますから。
できないことを一つずつできるようにしてあげて、
親元から離れた時に一人でも頑張って生きていける
子どもを育てるのが親の仕事なんですよ。

一から十まで全部してやっておいて、
そのまま放り出されたら子どもは悲劇です。
自分のことが何もできない大人になってしまう。
それは間違った子育ての結果ですね。
手をかけることと、甘やかしてしまうことの違いは
そこにあると私は思います。

内田美智子(助産師)
おかあさんの宝物 シェア33,500を記録
『致知』2012年12月号「大人の幸福論」

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クリスマスの思い出

2018年12月24日 23時56分15秒 | 共感できる事
クリスマスイブの日に、テレビで「クリスマスの思い出って何ですか?」と聞いてて、1人の女性がこう言ってた。
「子どもの時に小さいクリスマスツリーしかなくて、子どもが生まれたら大きなクリスマスツリーを買って、一緒に飾り付けをするのが夢だった。そして実際買っていつも飾り付けをした。最後、☆を飾る時は抱っこしてあげて。でも、今ではひょいっと簡単に付けるようになった。そして今年は、娘は一人暮らしを始めたのでもうできない」と。

「切ないー」と旦那さんと言っていた。

そう考えると、今、人に憧れられるような事をしてるんだなというのと、ツリーを飾ったり、何でも、特別な日じゃなくても、一緒に何かをするのって、一瞬一瞬が貴重だなーと。

ツリーも面倒なようだけど、子どもと一緒に飾ったら早いし、独身時代だったら「めんどくさい」で済ませてた事が(ほんと、昔、どれだけ「めんどくさい」って言葉を言ってた事か)、子どもの喜ぶ顔見れると思うとうれしいに変わってたんよね。
なんか文字に起こすと照れくさいけど。

そうそう、上記のお母さんはその後、娘さんはクリスマスには帰って来て、一緒にツリーを飾ったそうですよ。
なんかいつかの自分達と思うと、そんな光景がうれしくて。

ハレもケも、どちらも愛しい日々。



(12/27お母さん大学に投稿分を編集)

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