kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

わくわくひろば ー ここはパワースポットか、ここはいい気が流れてる

2021年11月28日 00時34分27秒 | 生活団からの気付き
生活団の後継のわくわくひろばの働き人としてお手伝いに行って来た。
11/9にした打合せもだけど、何かと感動すぎた。

久しぶりに見る4歳児に、4歳ってこんな小さかったんだと、我が子がいる団体でないと客観的に見れる。


私、人と働く時って、「ちゃんと役に立ってるか」を気にする性質みたい。察して動くとか気の利くことはできないから、人がしてると、ああこうやって動いたらいいのかと思ったり、今ので「気が利かないな」と思われたかなとか無意識に気にしてしまう。

生活団って独自の方針があるから、何かして余計なことかなとか思ってしまうから、変なことできないと思ってしまう。でも、打合せではこうして、これはしないでとも言われてないから、どう動くは本人の裁量権に任されている。間違ったことはしたくないから、マニュアル的なものがあったらとも思うんだけど。

例えば、親子が入って来た時、生活団の時の違う学年のお母さんがいたから挨拶してたら、そこから少し話してしまった。そう言えば打合せの時、「お母さん同士が喋ってしまうと、朝の『今からやるぞ』というぴしーっとした空気がなくなってしまう」と言ってたなと思い出した。そうしたら、働き人で行ってる私が空気乱してどうすんだ?と思ったり。

お昼ご飯食べる前、今しかチャンスないとトイレ行ったら、「○○さん(私)を待ってるよ」と子どもより私が一番遅いし。

もちろん、今何をするか明らかに分かってる内容に対しては、水汲みとか雑巾絞りとか、床拭きとかせっせせっせとしてたけど。

私、役に立ててるのかなと思いつつ、働き人をしてたのに、終わってから「ありがとう~。○○さんがいなかったら、どうなってたか」とか言ってくれた。私、ここで特殊技能とか自分の得意な事を発揮するとか全然そんなことなかったのに、この普通に誰でもできることしてるだけでこんなに感謝されるなんて。(普段から私は、人が思う以上に、もっとしないと、もっと役に立たないとと思ってるのかもしれない。)


昼食の時は、さあやの時と同じように、静かな時間があった。
讃美歌454番「うるわしき朝も」をピアノで弾いて、子ども達が目をつむる。
小さい子が目をぎゅーっと閉じてる様子は、何か尊い。



先生 気になるところを話す
自分が子育てしててお母さんの立場で、それを指摘されたら「注意された」と思ってカチンと来たり、素直に受け取れないだろうな。

それは何故かと考えた。
ただ自分が怒りっぽい性格とかということではない。

子どもの頃から感じてた感覚だけど、公教育ではなにか正しい答えがあって、それを求められているという空気を感じてた。(子どもの時は、そこまで表現する力はないから、そうは言ってなかったけど、振り返ってみると、そういう見えない縛りのようなものを感じてたという感じ。)

生活団の教育では、自分が思っていることを言うことを求められる。ここでは、素直に自分の意見を言っていい。それを受け入れる土壌がある。

生活団で何か「こうでしたよ。」というのは、公教育でのやり方に慣れていたら、注意されたと感じてしまう。でも、生活団の指導者は客観的な事実を言っているだけなのだ。それを元に、「こちらが正しい」「あなたは間違ってる」「母親としてこうすべき」「このやり方に変えたらいい」と言っている訳ではないのだ。でも、公教育のやり方に慣れていたら、「注意された」「ダメ出しされた」と思ってしまうということがあると思う。

でも、先生もそれは十分承知していて、これを言ったら押し付けになる、とか考えてくれている。


ブラウスの着方を教えに来た三好さんの次男君は、最後に名前とお印を言う際、すぐに言わなかった。この子の兄はうちの次女と同じ学年で、幼い時からしっかり自立するよう教育されてるからしっかりしてて、恥ずかしくて言えないとかいうタイプじゃないと思ってたら、「こっち見てない人がいるから」と言う。すごい!みんなが話し手の方に集中してなかったら、まだ話すタイミングじゃないって、口で言い聞かせるんじゃなくて、体現してる。しかも、注意という形を取るんじゃなくて、待つというのがすごい。


わくわくひろば、子どもの集まりがあって、親は生活お役立ち情報の講習があって、1回2,200円って安すぎる。でも、それだけ幼児教育は誰でも受けられる敷居の低い価格にしてるのか。キリスト教精神でやってるからからか。でも、残念なのは、この教育がそこまで知れ渡っていない。人って安いものには惹かれないというか、高いものだと高いなりの価値があると思ってしまうってとこがあると思う。実際、そうでないただ高いだけのものもいっぱいあるんだけど。そして、タダのものは感謝されないけど、生きて行くのに必要なものはタダのものばっかりだったりする。空気とか。(これはさとうみつろうのブログにあった。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さあや 6才組 クリスマスのお祝い② - 「申し訳ない」と思うんじゃなくて「ありがとう」でいい

2019年12月06日 23時09分01秒 | 生活団からの気付き
一足早く、次女の生活団はクリスマスのお祝いでした。

寒くなって来て良かった。
春に作ったツイル素材のワンピースを着せれる時がやって来た。(生地は2年前に買って、昨年冬に型紙写して、今年の春にやっと裁断した。)
でも、面倒で裾上げしてなかって、前日の夜する。

そして、朝8時前に出なあかんのに、7時半に起きてもーたー。
長女、完全に遅刻。

クリスマスのお祝いの参観のため、旦那さんに休み取っといてもらって助かった。長女を送り、そのまま生活団へ。
母は全員クリスマスのお祝いのお食事を作るので当番。ただ母の分を作る余裕はないので、母は弁当持参。

前日、旦那さんに旦那さんの分の弁当も作るわ~、駅まで送ってくれたら後は電車で行くわ、せっかく休みやから参観来るまでは自分の事してたら、と言っていた私。
当日、弁当作ってたら間に合わんと見なした旦那さんに、「代わるわ」と言ってもらい、車も結局生活団まで送ってもらう。

結局9時から入る食事当番にも間に合った。

お昼前に旦那さんから「遅れそう」と電話が。
今日は昨年の高潮浸水被害の影響で計画停電があるのでした。
それを忘れて、セキュリティかけてしまい、警備会社から駆け付ける連絡があって事情を説明したり、電気系統が壊れてないか点検してたと。
生活団のクリスマスのお祝いの準備で頭が一杯で、その事忘れてました。
なんか、有休取ってもらったのに、散々でごめん...。
参観見る時間減ってしまった。

何年か前に、心理学のワークショップに行った時に、旦那さんが普段から色々してくれるのを「申し訳ない」って言ったら、「そこはありがとう、でいいんじゃない?」と言われたんよね。そう言ってもらってたのに、私は相変わらず申し訳ないと思ってて。
でも、私がこんなまぬけをしても、旦那さんは「弁当、しいたけどうやった?」と嬉しそうなんよね。
もう、「申し訳ない」っていらなくない?
と改めて思ったのでした。

あー、全ては完璧にできない。
何か頑張ったら、他の所は抜けてしまうもの。
そこはありがとうでいいんじゃないか。
「申し訳ない」を「ありがとう」に変えて行こうと思った日でした。


「申し訳ない」と思うのは、「責められる」と思う事に対してなんよね。
家の外の人間関係(生活団の中の人間関係)でも、責められないように行動しようとしてると気付いた。
だから、自分が責められると思うような事を人がした場合、口に出さなくても心の中で責めてしまうんだ。
人に責められないように気を遣う人は、人に責められるような行為をした人を責めるんだ。

責める・責められるを考えるより、嬉しい事をしてもらった時は「ありがとう」で良くない?
私、「ありがとう」って普段言いにくいのは、照れがあるからだ。
特に家族間でわざわざ「ありがとう」って言うのは照れ臭いし、他人に対してでも言い慣れてないから照れ臭い。
でも、世の中の人間関係うまく行ってる人は、おしなべて「ありがとう」を言うのが上手。

「申し訳ない」を「ありがとう」に変えて行こう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人に迷惑をかけない信条

2019年10月10日 23時40分32秒 | 生活団からの気付き
うちの次女の幼稚園では、母が給食を作ります。
給食というよりもお食事と呼んでいる。
母3,4人で子どもと先生、食事当番など20人弱の食事を作ります。

明日は私が食事当番のリーダー、という日に、晩ご飯の支度をしていて、指を切ってしまいました。
(しかも、2本。)



食事当番は、以前なら手に怪我をしたら交替。
と言っても、交替しようにも待機してる人がいない場合もあるので、絆創膏をしてゴム手袋をしてする事にしている。
リーダーの担当は、ご飯と汁物、軽食なので、できなくもないけど、明日はドーナツがある。
ドーナツは平たく丸くした生地を指でくるくるして作るのである。



これはできんやん。
皆家事得意そうな人がいる中、言うの恥かしいし、人にお願いするのが苦手。

でも、集団食だから、衛生面は家庭以上に注意をしないといけない。
私が無理して頑張って、食品に衛生上良くない事があったらかえって困る。
人に迷惑かけたくないと考えてる場合ではない。

早めに言うしかないと、明日の他の当番のメンバーにメッセージを送る。
そしたら、サブリーダー予定の人が「ドーナツの時入った事ないけど、やるよー」って軽く言ってくれた。

当日も、他の人も「大丈夫~?」と言ってくれて。

誰も、包丁で怪我するなんてマヌケだななんて言わない。
(ま、そんなん言うの親とか家族だからか。)

「人に迷惑をかけない」が信条だった私。
そのため、人にお願いする、頼る事が苦手で1人で頑張ろうとする事が多かった。
それが自分の首を絞めてる事も。

以前学んだ心屋の心理学で、(ちょっときつく聞こえるかもしれないけど)「迷惑をかけまいと頑張る人が一番迷惑」というのを聞いた。
叔父にも、「小さな迷惑をかけて、大きな迷惑をかけないようにする」という言葉をもらった事がある。
人に迷惑をかけたくないので、人に迷惑かけないとする事でかえって迷惑と分かると、やっと人にお願いしようと思えたのです。

迷惑をかけまいと頑張ってても、いざお願いしてみると、相手にとってもそこまで迷惑でもないみたい。

子どもが育つ環境で、親も育つ。

(10/12お母さん大学に投稿分を編集)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『それは本人に言う事でしょ』の真意

2019年10月02日 23時22分51秒 | 生活団からの気付き
さあやが家で、生活団の話をしていた。

「先生に言っても、『本人に言う事でしょ』って言われるだけ」と言う。

事の発端は、
「ゆうすけ君とつかさ君がアンパンチしてた。あやめちゃんが先生に言ったら、『それはやってる人に言う事でしょ』って言ってた」という事らしい。

聞いてたさらは、「生活団の先生、厳しいな」と言う。

そしたらさあやは、「生活団の先生、厳しい、厳しい」と言う。

そして、「先生に言ってもどうにもならん」と言う。

子どももある意味、諦めてる。
先生に言ってもどうにもならないから、自分で言うようにしようとなったらと事なんだろうな。

普通の幼稚園とかだったら、こういうシーンで、子どもの手前注意しないととなって、ふざけ合ってる子を諭したりする。
でも、それを子どもに「本人に言え」と言うとは。

でも、先生も放置だった訳ではない。
生活団に入って4才組の時なんかは、子ども同士で何かトラブル等があったら、時間を延長してでも話し合いが行われた。それは大人から一方的にこっちが悪いと判断が入るのではなく、まず「どうしたの?」という問いかけから始まって、事実関係を明らかにして、どんな気持ちか聞いて行く。
そうコミュニケーションして行くのが、丁寧だなと思った。
感情ってその時起こっても、表現しきれなかったらもやもやが残ったりするところを、こうやって言葉に出して行くのがすごいなと思った。

そういう信頼感という土台があってのこれだから、厳しいことは厳しいんだけど、子どもの将来の事考えてそうしてるんだろうな。

社会に出ると、いつも人が気遣ってフォローしてくれる場合ばかりではない。
それどころか主張しない人には、どんどん主張して来るやつがいる。
社会に出ると、「厚かましいもん勝ち」みたいな側面がある。

ちょっと言いにくい事でも、自分で本人に言う練習をさせようとしてるんだな。

ま、ただ子どもがそこで、先生に言ってもどうにもならん→自分で言おう。
となるかどうかは分からん。
どうにもならんから、言わんとこう。となるかもしれない。

子どもは大人の思った意図通りにはならん。

5才の子に、もうそこまで求めるかーとも思うけど。
でも、子どももそんなに困ってる様子ではない。

まだまだ子どももどう出るか、模索中かな。

さて、さあやは主張するようになるのかどうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子に失敗させるよう持って行く、もとい 子に失敗を分からせるようにする

2019年09月27日 22時39分29秒 | 生活団からの気付き
生活団では、集合日と呼ばれる週1回集まる日には、食事用のお米として100g持って行く事になっている。
それが6才組になってからは、月1回月末に、正確に言うとその月の冷水摩擦の集計が終わってからの集合日に、お米をまとめて400g持って行く事になった。

冷水摩擦は、家でそれぞれの子が毎朝して来る。
それを励み表でしたかどうかの有無をシールやその月の決まった方法で記す。
1か月したら、それを集計する。月末が集合日より後で来る場合もあるので、月初になる場合もある。
でも、とにかく子どもには集計した後の集合日にお米を持って来るよう言われている。

それが2学期が始まって、ちょっと混乱したのか、まだ統計表を書いてないうちに、「明日お米いるんやったっけ?」といると思っていた時があった。
私は、「お米は冷水摩擦の統計表持って行く時に持って行くんやろ?」と言ったけど、さあやはまだ納得してない様子。
持って行くか持って行かないかなら、忘れるより一応持って行く方が忘れ物しないからいいでと言うと、用意し始める。
と言っても、いまだに風袋引きと400gというのが分かりにくいみたいで、いつも私がそばで見てる。

私が手伝わないといけないので、しなくていい事はしないで済むように、念のため明日は持って行くタイミングでない事を伝えたというのもある。

子どもがお米を持って行くと勘違いしてたという話を生活団の母にしたら、他にも1,2人、子どもが勘違いして持って来てるという人がいた。

その中の1人の母Mさんは、間違ってると分かりつつも、何も言わず子どもが準備するのを見て、さらにその集合日には朝一番に着くように早く行ったそう。
それは、朝生活団に行ったら、来た子から持って来た物をかごに入れて行くようになっているから、子どもが朝一に誰の見本も見ず出すように持って行ったそう。

「子どもに失敗させるよう持ってったんやね」と私は言ったけど、ちゃうわ。
正確には、「子どもに失敗を分からせるように持ってった」んやわ。

小さいうちに失敗しとく方がいいからな」とその母は言う。

確かに、病気でも失敗でも、小さいうちに経験しとく方が、大きくなって大ごとにならない。
はしかや水ぼうそうも子どものうちにかかったら、心配はするけど、熱が出てそのうち治る事が多いけど、大人になって初めてなったら重症化するという。
失敗も小さいうちにしなかったら、成長と共に失敗を恐れるようになるし、大きくなってからする失敗はすごく尾を引く。


それにしても、失敗に気付かせるために、一番に着くようにするという母の努力もえらい。
私なんて、どたばたでいつもクラスで最後の方だけど。

でも、その回は先生がお米用のかごを出してなかった事もあって、その子は自分で今日は持って来る日でないと悟ったらしい。
さあやは、他の子が出してないのを見て、出さなかったそう。

私も、子どもが自分で気付く機会、無駄にしたらあかんな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする