今年の10大ニュースを綴って思ったこと。
確かに10大とつくと、これらの事が思い浮かぶ。大と言うくらいだから、大きなイベント、前からずっとやりたかった事、遠くまで行った事、大きくお金を使った事、が出て来る。
振り返ってみると、今年はやりたい事をやった年と言える。
でも、それがすごい思い出になったかと言うと、一番ではない。
昔メルマガで見た男女の幸せの感じ方の違いをこう表現していた。
「女は小さな幸せの積み重ねに幸せを感じ、男は大きな成功に幸せを感じる。」
今は、女性も社会に出て働くのが当たり前の時代になった。
そしてそれは、産後でも。
男性的な社会に追随すると、社会的に認められる事や経済力がある事なんてのが成功や幸せの証のように思われる。
何かすごい良い事、人から見て賞賛されるような事って、「点」という感じがする。
その人の人生の輝かしい一部を切り取って見た「面」のようなもの。
本当にその人が幸せと感じる事って、何かすごい良い事という点でなく、線でつながってるんじゃないかな。
子どもが笑った事がうれしいとか、2人姉妹で一緒に揃ってるのがかわいいとか、よく姉妹でケンカするのにお互いの事を思い合ってるのを感じたりとか、2人お揃いの服を着てるのがたまらなくかわいいとか、子どもの視点がすっごく興味深かったりだとか。
ネットで見たけど、そういうのを小確幸と言うらしい。
(日本語俗語辞書より:小確幸とは「小さいけど、確かな幸福」を略して単語化したもので、小さくても確かな幸せを感じて生きていけば、なんとななるというニュアンスで用いる。
小確幸は作家:村上春樹が自身の著書『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)』の中で用いた造語である。村上春樹の書籍は世界で発売され、欧米の他、東アジアでも人気があるが、小確幸は特に台湾で流行し、用いられた。)
ランキングのように上下や順位もない。
数字で大きさも表せない。
そもそも、10大というようなキリのいい数で収まる訳でもない。
あえて言うなら、「今年感じた小さな幸せたち」みたいな感じ。
メディアでランキングなんてものをやってると、自分の思い出でもランキングするようになる。
思い出に順位はない。
ただ、そこにはずっとつながれて来た思い出がある。
小さな幸せの積み重ねがある。
もしかして、小さな幸せの積み重ねって、何か大きな出来事より何十倍も強力なんじゃないだろうか。
最近、そう思えてならないのだ。
確かに10大とつくと、これらの事が思い浮かぶ。大と言うくらいだから、大きなイベント、前からずっとやりたかった事、遠くまで行った事、大きくお金を使った事、が出て来る。
振り返ってみると、今年はやりたい事をやった年と言える。
でも、それがすごい思い出になったかと言うと、一番ではない。
昔メルマガで見た男女の幸せの感じ方の違いをこう表現していた。
「女は小さな幸せの積み重ねに幸せを感じ、男は大きな成功に幸せを感じる。」
今は、女性も社会に出て働くのが当たり前の時代になった。
そしてそれは、産後でも。
男性的な社会に追随すると、社会的に認められる事や経済力がある事なんてのが成功や幸せの証のように思われる。
何かすごい良い事、人から見て賞賛されるような事って、「点」という感じがする。
その人の人生の輝かしい一部を切り取って見た「面」のようなもの。
本当にその人が幸せと感じる事って、何かすごい良い事という点でなく、線でつながってるんじゃないかな。
子どもが笑った事がうれしいとか、2人姉妹で一緒に揃ってるのがかわいいとか、よく姉妹でケンカするのにお互いの事を思い合ってるのを感じたりとか、2人お揃いの服を着てるのがたまらなくかわいいとか、子どもの視点がすっごく興味深かったりだとか。
ネットで見たけど、そういうのを小確幸と言うらしい。
(日本語俗語辞書より:小確幸とは「小さいけど、確かな幸福」を略して単語化したもので、小さくても確かな幸せを感じて生きていけば、なんとななるというニュアンスで用いる。
小確幸は作家:村上春樹が自身の著書『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)』の中で用いた造語である。村上春樹の書籍は世界で発売され、欧米の他、東アジアでも人気があるが、小確幸は特に台湾で流行し、用いられた。)
ランキングのように上下や順位もない。
数字で大きさも表せない。
そもそも、10大というようなキリのいい数で収まる訳でもない。
あえて言うなら、「今年感じた小さな幸せたち」みたいな感じ。
メディアでランキングなんてものをやってると、自分の思い出でもランキングするようになる。
思い出に順位はない。
ただ、そこにはずっとつながれて来た思い出がある。
小さな幸せの積み重ねがある。
もしかして、小さな幸せの積み重ねって、何か大きな出来事より何十倍も強力なんじゃないだろうか。
最近、そう思えてならないのだ。