kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

「今日1日さあや結構いい子やった」

2025年01月01日 23時00分00秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
寝る前、さあやが言った。
「さあや、全体的に今日、1日いい子やった。」

なんでか聞くと、「怒られなかったから。」
「中毒にならなかった。」ゲームやタブレット(You Tube)をしなかったということ。

つまり怒る=中毒=ためになること・役に立つことを何もしてないってこと。
私が否定してる自分の姿を怒ってるってことだと気付いた。
主体的に動いてないとか、こうなってほしくないとか。


日中はさらとテレビ見てご機嫌だった。
晩ご飯の後に算数教えてあげたんだけど、こっちから教えようかって言うより、さあやが言って来て、私が自分のやりたいこと済ましてから呼んだけどそのくらいの方がいいかも。

私から教えてあげるって言った時は、最初は自分から「教えて」と言って来た割には、分からなかったらぐずぐず言う。

お母さんも時間を割いて、やってるんだと分かってもらえるし、いつもよりぐずぐずが少なかった。

それ終わったら、お母さんのやりたい「2025年やりたいことリスト」も親子3人でできたし、そういう時間が取れたのが良かったのかも。


自分が主体的に動くと、子どもも主体的に動く。

今年は子どもとの時間、1日1時間は取っていきたい。
心屋は、今年の目標とか立てたら、それ以上のことができないから立てないと言ってたけど、意図を持って生きる方がそっちの方向に行く。

どうやったら私がいない時でも主体的に動けるかが課題。

でも、冬休みも、ピアノや音符カードなんかは1人や姉妹でしてる。
認めるところは認めたらいいな。

(2025/1/2-3はgooブログがDDos攻撃とやらで開けなかったから、書けなかった。今までブログ、消えたらどうしようかと焦った。1/4朝これを書いてる。)
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日々を綴って思ったこと

2024年09月12日 15時00分00秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
後から思い出して 心に残ることは

特別な日より むしろ日常にある。

子どもの言葉はつき刺さる。心に響く。


ドーンと心に居すわる 呪いの言葉も、

本質をついた気付きを与える言葉も、

うれしくなる言葉も 日常にある。


書き留めないと忘れてしまう、そんな日常に、

表現しないとなかったことになってしまいそうな、そんな

何気ない日々の中にある。
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生活団の生活リズムの習得の効果、今現る。

2021年04月13日 09時54分53秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
生活団に入ったらどんな子になるんだろうと思ってたけど、最近さあやは習慣づけの効果がすごい。
小学校に入って、特に2、3学期とか生活リズムがついて来てからがすごい。
自分で「お風呂入るわ」とか、「もう寝るわ」って言うし。

さらの小さい時は、親がついておいてあげないとできない、みたいな思い込みが私にもあったから、私が用事済ますまで子どもの事ができなかったり、逆に用事を先にして子どもの事をしたら、溜まる用事にイライラが募る。

でも、生活団では、自分のことが自分でできる子に育てていくから、してあげられないことがかわいそうなこととならない。子どもは自分でしたいのだから。

ただ、さあやができてると、自然と姉妹で比較してしまって、さらが行動が遅いのにイラッとする。
私の子育てと生活団の子育ての違いだ。
自動反応で生活してるのと、意図を持って生活してるの違いだ。

さあやが習慣形成できてるのは喜ばしいことだけど、
できてる子=○
できてない子=×
にならないように。親は気を付けないといけない。

さらにはさらで、他に良い所がある。
さらの感性の素晴らしさはなかなか他に見ない。

できてる子もできてなかったり、リズムが崩れたらイラッとする。
それも良くない。
普段できてるだけで相当すごいこと。

分かってる。
イラッとするのは、できてない自分にイラッとしてる。
その姿を子どもにも確認するとイラッとしてるのだ。
いわゆる同族嫌悪というものだ。

できてないことを責めない。
できてないなら、どうやったらできるようになるか仕組みづくりをする。

習慣化できたなら、それをできた分、何をしたいか目的を決める。
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クリスマスの朝、思った事

2020年12月25日 23時00分00秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
朝、子どもらが起きたらすぐ、どちらかが下に走ってった。
さあやだった。

昨日は、2人とも早起きしたと思ったら、クリスマスプレゼントが届いてるか見に行ったのだったけど、フライングだった。
走って行くほど楽しみにしてるなんて!

親にとっては、子どものうれしい顔を見るのがうれしい。

自分にだったら、ご褒美とかあげなくても、子どもには喜んでほしい。
子どもが喜ぶ姿って、子どもが喜ぶだけじゃなくて、その姿を見ると自分が癒されるんよね。
それは子どもの時、満たされなかった思いだったり、子どもの時のもっとこうしたかったりだったりするのかもしれないけど、それを子どもにしてあげる事で自分が癒される。

逆に、子どもの時自分は「してもらえなかった」を抱えてる人は、子どもに「してあげる」事で、「子どもはずるい」となる人もいるらしい。その人はまず自分を癒す事が先なのかもしれないな。

そして、子どもは大切にできるけど、自分は別にいいという人は、子どもという他者だけど、自分に限りなく近い存在(赤ちゃんの時なんかは、赤ちゃんとお母さんは一心同体というくらいお乳でつながってる)を大切にする事で、自分を大切にする方法を思い出すんじゃないかな。

子どもは、自分に親切にできなくなった大人に、自分に親切にする練習をさせてくれる。
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子育てを通して、人に頼み事ができるようになった

2020年12月01日 22時32分10秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
今日、出ようとしたら、電動自転車の電池が0%だった。
うわー、と思って、ちょっと時間遅らせて15分くらい充電してから行こうかなと思ったけど、距離的に持たん。

予約の時間もあるから、どうしても出ないといけなかったから、言いづらいなと思いつつ、近所の人に借りれないか頼むことに。

そしたら、快く貸してくれたー。
ほんと助かったー!!

人にお願いするとか、頼るとかホント苦手だけど、子育てし始めてから、こういう事が少しずつできるようになって来たー。
(←今回の場合、子ども全然関係ないけど。ただのいつもの自分の凡ミス。)

子どもとケーキ作ってたけど、卵が足りなくて5,6個借りたり。(下の子が赤ちゃんの時で簡単に買いに行けないけど、作り始めたものの終わらせないといけない状態の時)

あとちょっとの事で片栗粉足りなくて借りたり。
雨の日、どしゃぶりの中の自転車送迎を気の毒に思って、車載せてもらったり。
(↑書くと色々あるようだけど、ほんと頼むの苦手。)

だからこそ、「いいよー、いつでも」ってあったかい。
自分ばかり迷惑かける人でいたくないから、「私にも言って」と言うけど、そんなに頼まれないのは、私の凡ミス度が高いからか。

(12/1FB投稿を編集)
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