kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

新しい時代の仕事のあり方

2020年07月15日 22時17分29秒 | 人生観
さあやが生活団を卒業して小学校に入ってから、いや6月にコロナ休校明けで学校がスタートしてから、子どもが家にいないとヒマだ。
子どもがいないとこんなに時間があるなんて。
そう思うと、前からだけど、仕事をしないとと焦りがある。

下の子が小学校に上がったら、仕事してる人が多いのに、自分はまだ仕事をしてない事にプレッシャーがある。

仕事をしようと思えば、前職でつながりのある人から、アパレルの仕様書の英訳を頼まれてたから、それをする事もできる。
でも、正直、心が動かない。
前職では営業と言っても、仕事の範囲が広かった。企画から、事務的な事、納期管理、品質管理、クレーム処理まで。
してほしいという仕事がどこまでの範囲か分からないけど、英訳と言っても、打ち合わせで週1回は大阪に出てほしいと言われてるし、相手あっての仕事だからバタバタする事もある。
そうなると、今までできてなくて、さあやが小学校に入ったらしようと思ってた事もできなくなる。

でも、昨日今日、新しい時代がどうなるか話を聞き、私が今してる事って間違ってないと思った。

昨日、高橋ナナさんの「魂職」のzoomセミナーでは、ナナさんは1,2年ぷらぷらしてたら、ブログを書いてた事、それまでに経験や勉強してた事がつながって、セミナー講師やカウンセラーをする準備ができていたという。目的をもってそうした訳じゃなくても、まさに点と点がつながったということ。
これからは、色んなものがブレンドしてその人だけの仕事を作ると言う。

今日、本田健さんのオンラインサロンメンバー専用ライブでは、今、日銭を稼ごうとしてたら、せっかくの自己投資の時間がなくなり、2,3年後には仕事がなくなると言う。
専門職の翻訳の仕事でさえ、コロナと関係なくAIが進んでAIがやってくれると言う。

という事は、私が今してる、これからどういう時代になるか研究したり、興味ある本を読んだり、今まで経験して来た語学、海外経験、貿易、営業、悩み、心理学、自己啓発、生活団、そういったものが全てミックスされて、どれもが意味のある事だったと分かり、仕事になるかもしれない。いや、そうなるようにする。

だから、今自分がしてる事は合ってるんだ。
そう思った。


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表面だけ取り繕って成功する者と本物

2019年11月24日 08時13分32秒 | 人生観
朝起きた時、ここのところ1年以上もやもやしてたのが、静かに、しかしぐっと晴れたような気がした。

昨日は、コープ自然派経由で入ったひょうご大豆畑トラスト運動の大豆収穫祭だった。
これで3年目になると思う。
最初は、大豆になる前が枝豆だという事も知らなかった。

当初年輩の生産者さんだけで始まった運動だったけど、途中から若手の農家さんも運動に参加して、後継者が育って行ってる。
年輩の生産者さんの話を聞くのは私も楽しみである。科学的な難しい事はよく分からないけど、長年1つの事をやり通して来た方の言葉は本質を突いている。

遺伝子組換え(GM)や農薬が問題になっている中、この運動は始まった。
昨日は農薬の話を聞いた。

大豆を収獲したら、その後乾燥させる。
晴天が続くと天日干しで1週間、雨を挟むと10日ほどかかる。
大量生産をしている農場ではその手間を省くために、最終段階で農薬をかける。
莢(さや)の上から農薬をかけた状態の豆に残留農薬がないと考える方が不自然だ。

そうして残った農薬は微量ながら体内に蓄積される。
本人は大丈夫と思って食べていても、それは子どもが生まれたらより濃く、孫が生まれたらさらに濃く、後の世代に引き継がれる。昔はこんなにアレルギーの子はいなかった。

「食べ物は元気を出すものなのに、食べ物でアレルギーが出るというのは、本来あってはならない。生産者としてそれはどうかと思う」と年輩の生産者の方は言う。
この言葉がすごく残った。

今回は若手農家の畑で大豆収穫をしたのだけど、今回は雑草がすごく多かった。
前回もあったけど、くっつき虫がすごく多くて軍手をしてても繊維の間から刺して来る。雑草を抜きつつ作業をしたけど、くっつき虫が多すぎて痛くて、途中でくっつき虫を取る作業をしたほどだった。
大豆の茎も細く、実が少なかった。
莢から落ちてる大豆も多く、もったいなかった。

昼食後の交流会で、「農薬を使わないからこんなに雑草があるんだな。大豆が落ちていて大切に食べないとと思った」というコメントをしていた方もいたけど、それだけではないと思っていた。
草抜きとかはせず一番楽しい場面だけ参加させてもらっておいて言うのもなんだけど、雑草は本来もう少し手入れしておくんじゃないかと思っていた。

交流会で年輩生産者の方が、「昨年も参加した人いますか?」と言って、私が手を挙げた。
「昨年と比べて雑草どうだった?」と聞かれて、「今年の方が多かったです」と答える。
雑草は生え始めに取り除くとそこまで生えないそうだ。

若手生産者は、「東京に有機農業のセミナーに行っていたら、戻ったら増えていた」と言う。
若手生産者とはFacebookでつながっていて、色んな分野のセミナーや交流会に行っているようで、友人知人が多いのも見て取れた。彼の主催するイベントは、高めに設定されている事が多く、その値段の割にお食事は食べても物足りない事があった。(こういうコープ自然派等が主催の場合は低価格でお食事の満足度も高い。)
高利主義だなと思うところはあったけど、まあそれはその値段に納得した人が行けばいいと言われるだろう。私も彼個人のイベントに参加した事はあるが、家族全員で参加すると結構額がいくし、たまにでいいと思う。
でも、基本的にNPOを1人でしていて、行事を手伝う方にも謝礼等あるだろうし、農業にもお金がかかるんだし、仕方ないんだと思っていた。

若手生産者は、大豆の後は麦を育てようと思うと言っていたが、そこで年輩生産者が考えを語る。
それはアドバイスという感じでもなく、上から目線でもなく、長年農業に携わって来たからこそ分かった事を共有するという感じだった。

若手農家の畑は、2年目の今回は雑草が増え、3年目はもっと増える事になる。
大豆の後は、米を育てると良いそうだ。
稲を育てるのに畑に水を張ると、雑草の種が死に、雑草が生えにくくなる。
そして次の年にまた大豆を育てたら良いとの事。
もしくは、稲を育てなくても、大豆の種を撒く前に、3カ月位畑に水を張って抜いたら雑草が生えにくくなると言う。

年輩生産者が大豆を育てるようになったのも、米を育てていて、その後にする組み合わせとして良いと気付いたからだそうだ。

コンバイン等の機械を買うだけでなく、組み合わせ等工夫できる事があると言うのだ。

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人が子育てで何を与えられるか

2019年11月18日 22時20分59秒 | 人生観
夢の中でまた言葉が降りて来た。
最近こういう事がある。
悩みというか、もやもやがある時、夢の中で答えのようなものが降りて来る事が。

夢の内容は忘れたけど、もやもやしてたのは、最近の社会の傾向で、子育てに専念してる人より、子どもほったらかしでも出張行ったり、自分の好きな事をしてる人、それで成果を上げてる人に対して、「キラキラしてる」とか評価が高い。
子どもより自分、子どもとの時間より自分の時間、今が大切じゃないんかな?とそこにもやもやしてた。

そうした気持ちに対して降りて来た言葉が、

目に見えない価値 と

ゆっくり過ごす時間


これが、人(母親)が子育てで何を与えられるのかという事なんだと思う。

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幸せな人生なんだったら良かった

2019年01月10日 23時28分03秒 | 人生観
2019.1.1(火・祝)(1/10アメブロに投稿)

大叔母が肺がんと分かった。
大叔母は、生涯独身で生きて来た。

生活は質素だけど、こつこつと働いて来た人だった。
大叔母ががんと分かっても、できる事はないらしい。

ただ死を待つという事になる。
なんか、そんなのって。

病院にお見舞いに行った時に聞いてみた。

どういう風に聞いたんだったかな。

人生に後悔はないか、やっとけば良かったって事はないかというような事を聞いたんだっけか。
はたまた、そんな聞き方は失礼だから、人生良かった?という風に聞いたんだっけか。

叔母ちゃんは、「戦争で何もかもなくなって、ただただ働いて来た。」みたいに言っていた。

もっと海外旅行行ったりしたいとかなかったか聞いたら、「行きたい所は、国内旅行も行ったし」と言ってたかな。

「それより、生きて行くのが大変だった」というような事を言っていた。

大叔母は、若い時に肺結核になった事があり、そのせいで片耳が聞こえなかった。
また、片足もびっこを引いていた。

姪である私の母からは、この障害があるから叔母ちゃんは結婚を考えなかったと聞いた事があった。

障害があっても結婚してる人はいるのに。

障害があっても子どもを産む人もいるのに。

何もそんな遠慮しないでも良かったんじゃないか。

(NHKの朝ドラの「半分青い」でも、主人公の鈴愛(すずめ)は片耳聞こえなくても結婚して、子どもも産んでるし。)

そんな思いが私にはあった。

せっかくお金を稼いで貯めても、使いきれなかったらもったいないんじゃ。
なんかもっと自分の事で、もっと楽しい事に使えば良かったのに。
そんな気持ちもあるのかな。

それは、自分だったらと考えるから出て来る思い、なんだろう。

本人には聞けないけど、
「叔母ちゃんは幸せだったのかな?」
そんな疑問が頭に残った。

年末最後の日、次女の幼稚園の動物のお世話に行った後、大叔母の病院にお見舞いに行った。

点滴をしていて、寝ていて、肩でしんどそうに息をしていて、起こすのもかわいそうだから、そのまま帰った。
年を越せないかもしれないと聞いていたけど、大叔母は年越しができた。

母からメールがあると、もしかしてと思う日々だった。
大叔母は、もしかして皆の印象に残る日に亡くなるんじゃないか。
そんな気がしていた。

昔好きだったエッセイで、群ようこという人の本にハマった事がある。
群さんは独身で、当時で40代くらいだったのかな。
群さんは、こう書いていた。

お祝いされるというのは、入学祝いや卒業祝いが終わったら、後は結婚に関するお祝いしかない。
結婚祝い、出産祝い、そして子どもが大きくなったらまた入学祝いといったように。
正確な表現は覚えてないが、こんな内容だった。

その考えが頭に残っていて。
生涯結婚する事がなかった大叔母。子どもを成す事がなかった大叔母。

何かだからこそ、皆に注目される時、皆の印象に残る時に亡くなるんじゃないか、とそういう気がしていた。

年が明けて、お正月、実家を訪ねた時に、夕食後に父と2人になる事があり、聞いてみた。

「叔母ちゃん、幸せやったんかな?」

そしたら、父はこう言った。
「入院してる時に、前にお母さんにメールが来て、『私は幸せです』って書いてあったよ」と。

大叔母は、ボケてはおらず、頭はしっかりしていた。
入院中も痛い痛いと言って、「早く逝く方法を考えて」とまで言っていたのに、メールを打つ事ができた時もあったなんて、驚いた。

けど、うれしかったのは、大叔母が『幸せだった』と言った事。
叔母ちゃんは、幸せだったんだ。
その事がなんか、うれしく、また安心した。

私は、自分が結婚して子どもが生まれた事が、自分が想像した以上の喜びで。
幸せの形は色々あるんだろうけど、この喜びを自ら遠慮するなんて、という風に思っていた。

うん、少し違うな。
うまく表現できない。
うまく言えないけど、決しておこがましい意味で言ってるんじゃない。

父は言った。
叔母ちゃんは子どもはいなかったけど、こうして周りに介護する人がいて、死んだ後の事もちゃんとできて安心してたと。

入院してから、大叔母は自分の家のお墓には入りたくないという事で、うちの父のお寺さんのところの納骨堂を1人分購入したそうだ。
その事をちゃんとしたら、すごく安心した顔をしたそうだ。

うちの両親は、大叔母に直接の子どもがいないので、近所に住んでいる事もあり、よく出かけたり、病気がちな時には病院に連れ添ったりもしていた。

よく考えたら、子どもがいなくても、そんな風に大事にしてくれる存在がいるって事は、十分幸せな事かもしれない。
子どもがいても、そうしてくれるとも限らないのだし。

人が幸せかどうかは、自分の価値観では測れない。
自分の見方では、あれがないと思っても、本人にとっては十分あるのかもしれない。

障害のために結婚を諦めたんじゃなくて、もしかしたら1人の生活が良くて敢えて選んだのかもしれない。
悠々自適で結構満喫していたのかもしれない。

結局、人は自分が大事な人には後悔してほしくないという事。

あと先人から、どうしたら人生を満たされて終えるか、そんな事も知りたいのかもしれない。

幸せな人生なんだったら良かった。
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