北海道の伯父が亡くなった。
父方の5人兄弟の長兄で、住まいは北海道だったけど、伊藤家のお墓に入りたいと遺言を残していた。こちら関西でもお葬式とまた集まれないので四十九日の法要を合わせてした。
北海道という離れたところに住む伯父とは言え、よくこちらに来ていたので、今でも「朋子~」と呼んでる声がするようで、亡くなった実感はありません。
私が北海道に友達と旅行に行った時は、あちこち連れて行ってくれては、自分の会社で携わった公園の石の話をしていた。
兄弟と父の子ども家族だけだけど、コロナ禍でこれだけ集まれたのは良かったかも。
父方の5人兄弟の長兄で、住まいは北海道だったけど、伊藤家のお墓に入りたいと遺言を残していた。こちら関西でもお葬式とまた集まれないので四十九日の法要を合わせてした。
北海道という離れたところに住む伯父とは言え、よくこちらに来ていたので、今でも「朋子~」と呼んでる声がするようで、亡くなった実感はありません。
私が北海道に友達と旅行に行った時は、あちこち連れて行ってくれては、自分の会社で携わった公園の石の話をしていた。
兄弟と父の子ども家族だけだけど、コロナ禍でこれだけ集まれたのは良かったかも。
2年前に始まったコロナに、「不信感を持った」という三男の奥さんの叔母。
三男夫妻の次女で、私の仲良かったいとこは、ワクチンに対する考えが似ていて、うれしくなった。この叔母も、いつも柔らかくて好きなのだ。
姪っ子には赤ちゃんが生まれて、弟はおじいちゃんに。
ちょうど出産祝いにも行こうとしていたので、この機会に。
私の子ども達世代のいとこが勢ぞろいするのも久しぶり。
香典袋と祝儀袋の2つを用意するのに、ゆずる葉を思い出した。新しい命が生まれるということは、それだけ時が経っている。誰しもいずれ終わりが来るということを改めて思う時となりました。
やっぱり生きてる間にやりたいことをしないと、動かないとと故人は教えてくれるのです。