内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

午後の陽射しの中、時間が止まる

2013-06-08 20:00:00 | 雑感

 今日は午前中が成績判定会議、午後が学生たちの答案閲覧の立ち会い。どちらも大した仕事ではなく、両者の間の空き時間に研究室で上田閑照の著作を読み返し、仏語の発表原稿の準備をしていた。だが、まだ記事にするほど読み込めていない。この週末に集中して読み直す。記事にできるのはそれからだろう。
 仏語の発表原稿の準備はいつものようにメモを取りながら進めている。こちらは徐々に、まだおぼろげにだが、議論の展開の筋道が見えてきた。取ったメモ同士の間に呼応と限定が始まりだしたのだ。それは、最初はばらばらに思いつくままに記された種々の言葉が互いを求め合い、それぞれその処を得ながら文として形成され、その一文あるいは複数の文として形をとった思考の断片が、今度は自ずと一つのまとまった議論として組織されていく過程で、その過程を生きることそのことが一つの小さな生命の誕生に立ち会うような心の高揚を与えてくれる。この意味で、思索することは生きることそのことにほかならない。
 この5月のパリは、私がこちらで暮らすようになってから最悪の天気だった。一時帰国していた東京からからパリに戻ったのが15日。それ以降、ほとんど毎日曇り時々雨。朝の最低気温が2,3度まで下がり、日中の最高気温が15度前後という日が何日もあった。前半も似たようなものだったらしい。6月に入ってようやく夏らしくなってきた。今日は29度まで気温が上がり、冷房の効かないメトロや郊外電車の中は不快であった。急な気温変化に体もついていくのが大変だ。
 それでも、やはり視界一杯に広がる青空と陽光に翻る街路樹の新緑の煌きを見ると、陰鬱な気分に閉ざされている私の心にも光が射し込む。6月後半、日没は10時を過ぎる。今でも晴れの日は10時過ぎまでまだ夕暮れのような明るさを湛えている。私は6月が7,8月のヴァカンスより好きだ。それは午後5時を過ぎでも、まだ西方の空高く輝く太陽からの陽射しを静かに浴びていると、時間が止まってしまったような感覚が生まれ、日常の時間性から解放されるからだ。これは毎年何度経験しても、その度に再生感をもたらしてくれる。そこにはこれからやってくる本格的な夏への期待感も含まれているだろう。それを誰かと共有できれば喜びは一層大きい。