ずっと哲学の記事が続いていて、以前ほど記事のジャンルにヴァリエーションがなくなってしまっている。研究発表の機会がこれから年末にかけて複数回あり、その準備にこのブログの記事を充てていることがその主な理由なのだが、自分でもいささかうんざりしてきたので、今日は一回休憩して、音楽の話題にする。
昨年秋に自転車を購入してからは、よほどの悪天候でないかぎり、大学への行くのに自転車を使っており、路面電車はめったに利用しなくなってしまった。通勤時間は電車通勤の半分以下で済むし、何より経済効果が絶大で、自転車及び周辺備品の購入費用のもとはもうすっかりとってしまった。
今朝、プールで泳いでいる(そうですよ、水泳は休まず続けています)と、雨が降ってきて、たいした降りではなかったのだが、なんとなく、たまには電車で大学へ行ってみようかという気になった。
通勤電車の中で聴く音楽を選ぶために、iPhone や iPad にダウンロードしてあるアルバムからどれか選ぼうとしていたら、新譜の中にマレイ・ペライア演奏のバッハ『フランス組曲全曲』を見つけた。ペライア演奏の『イギリス組曲全曲』『ゴールドベルク変奏曲』『パルティータ全曲』は、いずれも今も繰り返し聴いている愛聴盤だが、そのペライアが『フランス組曲』を弾けば、その演奏が悪かろうはずはない。
2013年12月13日の記事「愛情に満ちた名曲 ― バッハ、フランス組曲第五番ト長調」にも書いたことだが、私は『イギリス組曲』より規模の小さい『フランス組曲』の方を好む。しかし、これで決まりと言いたいほどの演奏には出会っていなかった。グールド、ガヴリーロフ、シフ、フィオレンティーノ、ケンプ、ケフェレックなどいろいろ聴いてきたけれど、全曲盤に話を限ると、チェンバロ演奏も含めて、どの曲を聴いてもまったく素晴らしいと言い切れるほどの演奏、これさえあればいいと言えるほどの演奏にはまだ出会っていなかった。
そんなこともあって、大いに期待しつつ、第一番第一曲アルマンドから聴きはじめた。
なんと美しく澄みきり、かつ優しく暖かい音なのだろう。一貫して芯がしっかりとしていながら、それそれの舞曲の性格に合わせた装飾音が軽やかに、愉しげに、艶やかに、あるいは力強く、まるでキラキラと転がっていく宝石のように鏤められている。
繰り返しをすべて行っているため、総録音時間83分という長さだが、その繰り返しが聴いていて嬉しくなるほど、一瞬の弛緩も欠片ほどの冗長さも感じさせない。全曲、稀有な名演奏と言い切って差し支えないと思う。録音も、ヘッドホンで聴いたかぎりでだが、超優秀。
今朝からもう三回全曲聴いている。今晩も明日の講義の準備をしながら繰り返し聴くことだろう。私個人にとって、このペライアの演奏がやっと出会うことのできた『フランス組曲全曲』の決定盤である。