内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

難路を一歩前進 ― ジルベール・シモンドンを読む(136)

2016-10-25 13:10:57 | 哲学

 今日の読解作業も難路が予想されるが、まずはILFI の330頁の第一行目から段落の終わりの第八行目までを引用し、その後に私訳を付す。

L’information exprime l’immanence de l’ensemble en chacun des sous-ensembles et l’existence de l’ensemble comme groupe de sous-ensembles, incorporant réellement la quiddité de chacun, ce qui est la réciproque de l’immanence de l’ensemble à chacun des sous-ensembles. S’il y a en effet une dépendance de chaque sous-ensemble par rapport à l’ensemble, il y a aussi une dépendance de l’ensemble par rapport aux sous-ensembles. Cette réciprocité entre deux niveaux désigne ce que l’on peut nommer résonance interne de l’ensemble, et définit l’ensemble comme réalité en cours d’individuation.

Information は、全体集合が下位集合の各々に内在していること、全体集合が複数の下位集合のグループとして実在し、それぞれの下位集合のそれとしての本質を現実的にその内に組み込んでいることを表現しているが、このような全体集合による下位集合の内包は、全体集合が各々の下位集合に内在していることの逆命題をなしている。確かに各下位集合は全体集合に依存しているが、他方、全体集合もまた下位集合に依存している。この異なった二つのレベルの間の相互性は、全体集合の内的共鳴と名づけられるものを指示しており、全体集合を個体化過程にある現実として定義している。

 ここで言われている下位集合として何を想定すればよいのだろうか。生物の一つの種を考えてみてはどうだろう。
 或る種に属する一個体の発生がその種の系統発生を表現しているように、或る種の系統発生は類としての個体化過程全体を表現しており、類としての個体化過程全体は現実的に種の系統発生を内包している。類としての全体集合が全体集合たりえるのは、それに属する種としての下位集合において個体化が実行されるかぎりにおいてであり、種レベルでの個体化が可能なのは類としての全体集合内においてのみである。
 この類と種という二つの異なったレベルの間のこのような相互依存的・相互表現的関係が内的共鳴と呼ばれる。しかし、内的と言われるのは、全体集合にとって内的という意味であり、ある一つの下位集合から見れば、その同じ共鳴はおのれのレベルを超える超越的なものであり、複数の下位集合間では、互いにとって外的なものである。それゆえ、「Informationは同時に内的かつ外的である」(« l’information est à la fois intérieure et extérieure » (p. 329) )。
 今、私たちは、類と種との関係を導入することで information の意味するところを捉えようとしているわけであるが、シモンドンの哲学的立場に立つかぎり、類・種・個という範疇を固定的な実体と考えてはならないことは言うまでもない。これら三項の関係は、田辺元の種の論理を援用して規定するならば、絶対媒介の弁証法によって司られていると言うことができる。
 ここで、私たちは、シモンドンにおける information 概念を理解するのに田辺元の種の論理が一つの手掛かりを与えてくれることに気づくわけであるが、この問題は12月のブリュッセルでの講演内容の一部をなしているので、本連載ではこれ以上それに立ち入らずに、明日以降もシモンドンのテキストの読解を続行する。