内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「生物多様性 Biodiversity」という言葉の起源

2023-12-13 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の修士一年の演習では、先週課題として与えておいた「生物多様性はなぜ守られなくてはならないのか」という問いに15名の出席者全員に一人一人日本語で答えてもらった。それぞれ表現のニュアンスには違いがあったにせよ、生物多様性が保全されなくてはならないという点では異論はなく、その根拠として、生物多様性の減少は生態系の破壊に繋がり、その生態系に人類も属し、依存している以上、生物多様性の保全は人類そのものにとっても必要だとする点でもほぼ一致していた。
 このような意見の収束が意味しているのは、学生たちがすでにこの問題についての一定の情報と教育を基に自分自身の考えを持っているということである。ある学生は、高校の科学の授業でこの問題についてクラスで話し合ったことがあると言っていた。学生たちは、生態系の破壊、気候変動、環境倫理等について、大学での専攻いかんにかかわらず、考えざるを得ない世界に生きている。
 「生物多様性(フランス語では biodiversité)」という言葉は、彼女ら彼らにしてみれば、大学入学以前から聞き慣れていた言葉である。ところが、この言葉の登場は1980年代半ばのことにすぎない。
 次の段落の叙述は、Dictionnaire de la pensée écologique (PUF, 2015) の Biodiversité の項の記述に依拠している。
 生物多様性(Biodiversity)という言葉は、1970年代から80年代にかけて徐々に形成されていった「保全の生物学」を推進していたアメリカの生物学者たちが1986年にワシントンで開催した生物多様性についてのフォーラムで Walter Rosen によってはじめて使われた。この言葉とともに表明されたのは、生物学ばかりでなく諸科学が自然に対する態度を変えなくてはならないという危機意識である。絶滅危惧種の増大を前にして、科学者たちが自然に対する態度を改め、その研究活動と啓蒙活動を通じて、一般の意識も変えていかなくてはならないという倫理観に保全の生物学は基礎づけられている。
 この言葉が今日広く流通するようになった背景にはこのような初発の倫理的方向性が前提としてあり、学生たちが生物多様性の保全をいわば無条件に支持しているのは、彼女ら彼らの思考がすでに一定の思潮によって条件づけられていることを意味している。
 このことを自覚した上で今一度生物多様性について考えてみてほしかったので、上掲の辞書の当該箇所を示しながら、生物多様性という考えの起源について説明したところ、この言葉の登場からまだ四十年も経っていないことに学生たちは驚きを隠せなかった。このことは、生物多様性がいかに急速に深刻な危機に曝されつつあるのかということも意味している。