島薗進氏の『ともに悲嘆を生きる』(朝日選書、2019年)の第3章「グリーフケアが知られるようになるまで」のなかに、ポーリン・ボス(Pauline Boss)というアメリカの臨床心理学者の『あいまいな喪失とトラウマからの回復 家族とコミュニティのレジリエンス』(誠信書房、二〇一五年、原書 Loss, Trauma, and Resilience : Therapeutic Work with Ambiguous Loss, W. W. Norton & Company, 2006)が紹介されており、同書の鍵概念の一つである「心の家族(Psychological Family)」の定義が引用されている。
心の家族というものは、人間の心のなかに本質的に存在しているものです。それは、人間の経験の基本的特徴とも言える喪失を補うものなのです。心の家族とはただ懐かしい人々の寄せ集めではありません。それは生き生きと心の通ったつながりであり、喪失やトラウマのなかにいる人々がその時を生きていくことを助けてくれるものです。愛する人から、身体的にも、心理的にも切り離されてしまった人は、自分の心のなかで認識できる故郷や家族とつながることによって、喪失に対処していくことができます。このような、心理的に構築された家族は、時として、公的に記録されている家族や現在共に住んでいる家族と重なるかもしれませんし、別なのかもしれません。
The psychological family is intrinsic in the human psyche. It compensates for loss, a basic feature of human experience. More than simply a collection of remembered ties, the psychological family is an active and affective bond that helps people live with loss and trauma in the present. Cut off from loved ones physically or psychologically, people cope by holding on to some private perception of home and family. This psychological construction of family may coincide or conflict with official records and the physical family one lives with, […] (p. 26)
原文では、邦訳の引用部分の直後に « but who is viewed as being in the family is of therapeutic importance. » とあって、「しかし、家族に属していると見なされる人が治療上重要なのです」と最後の文が結ばれている。
「心の家族」もまた人によって構成されるものである以上、その家族を成す人たちと離れて生きているとしても、あるいは、すでにその人たちはこの世にはいないとしても、それらの人たちとの繋がり或いは「現前」が今ここで実感されなくてはならないだろうし、それぞれの「顔」をはっきりと思い浮かべ、「声」を聴くことができなくてはならないだろう。ボスの本を読んだわけではなく、上掲の引用を読んでの私個人の感想にすぎないが。